歳時記

サンゴジュ

〈主は、「わたしは、決してあなたを離れず、あなたを捨てない」と言われた。 へブル書13:5

教会の近くの鶴巻公園にサンゴジュを見つけました。卒業後、憧れの設計事務所に入り初めての住宅の設計を任されました。図面が完成した後でクライアントの奥さんから生垣には何が良いか尋ねられました。咄嗟だったのでまごついていましたらすかさず脇から上司がサンゴジュが宜しいでしょうと言いました。この時初めてサンゴジュの木を知りました葉が大きく密生していますので目隠しにもなるので生垣に適しています。以来、個人的には好みの木ではありませんでしたが久し振りに見たサンゴジュはオレンジ色の実をたわわに実らせていました。今まで見たことのないサンゴジュの姿に改めて興味が湧いてきました。当分、この道を通って教会通いが続きます、サンゴジュとの再会が楽しくなりそうです。

 

2026年8月23日(日)10時半 聖霊降臨後第十三主日 礼拝

司式・説教 田口 聖 牧師(日本ルーテル同胞教団) 聖書日課  イザヤ51章1~6節(旧1146頁) ローマ12章1~8節(新291頁)       マタイ16章13~20節(新31頁) 説教題   「信仰も教会も宣教も律法ではなく福音」 讃美歌 279 286 288 260 384 特別の祈り 全知全能の父なるみ神よ。
どうか私たちが、イエス様の十字架の贖(あがな)いの業によって罪を赦していた
だいた者として、あなたにひれ伏(ふ)し、あなたを全身全霊で愛し、隣人を自分を
愛するが如(ごと)く愛することができるようにして下さい。
あなたと聖霊と共にただひとりの神であり、永遠に生きて治められるみ子、主イエ
ス・キリストのみ名を通して祈ります。アーメン

8月の予定

歳時記

臭木(kusagi)

〈43悪い実のなる良い木はないし、また良い実のなる悪い木もない。
44 木はそれぞれ、その実でわかる。いばらからいちじくを取ることはないし、野ばらからぶどうを摘むこともない。ルカ6:43,44

散歩道の途中の藪の手前に白い小さな花をいっぱいつけた木があります。時々立ち止まって観察しています、近寄って花の香りを嗅いだら香水の香りによく似た香りでジャスミンの香りでした。調べてみたら「臭木(くさぎ)」と言う木でした。藪の所に最初に侵入する先駆植物です、この木も藪の先端に生えていました。花が終わると丸い小さな黒い実をつけます、根元の赤いガクと黒い実のコントラストは鳥たちの格好の餌のシグナルとなって多くの鳥たちがやって来ます。秋の林を歩くとこの実によく似たゴンズイと言う木を見かけます。樹木も子孫を残すために色々な工夫を凝らしていますね。ところで、木の名前の「臭木」は枝や葉を傷つけると強い不快な臭気を発することからつけられたようです。

 

歳時記

ホルトの木

〈わたしの兄弟たちよ。いちじくの木がオリブの実を結び、ぶどうの木がいちじくの実を結ぶことができようか。塩水も、甘い水を出すことはできない。ヤコブの手紙3:12〉

近くの商店街の入り口に何の木か分からずに見過ごしていた木があります、近くに多くのクスノキがあるのでそれの仲間と思っていたのかも知れません。過日、朝の散歩でその木に不思議な花が咲いているのを見つけました。長年見ていましたが花を見たのはこれが初めてでした、家内も余程珍しかったのか一輪採ってきました。調べてみたら”ホルトの木”でした。ホルトとは江戸時代にポルトガルの事をホルトと呼んでいました。平賀源内がこの木をポルトガルのオリーブの木と間違えて名付けたようです。確かに実はオリーブの実に似ていますが全く別種で日本の在来種の木です。何時も何気なく見過ごしていた木が源内先生のミスリードの木だったとは、つゆ知らずでこれも灯台下暗しでした。

歳時記

鉈の思い出

〈わたしはいにしえの日を思い出し、あなたが行われたすべての事を考え、あなたのみ手わざを思います。 詩編143:5

先週の話の中に鉈が出てきましたがあの鉈にも苦い思い出があります。鶏の首を切り落として変な勇気が出たのか一年坊主の私はやたらに鉈を使うことを覚え振り回していました。或る日、何を切ろうとしていたのか覚えていませんが何かを押えて鉈を振り下ろした先に左手の親指がありました。小学一坊主の親指はあっけなく切られましたが幸い鉈の刃はなまくらだったので切断には至らずに皮一枚でつながっていました。母は血の滴る指を手拭いで縛り学校に駆けつけました。幸い校医がいて見てくれましたが指が小さすぎて縫うこともかなわずに広い部屋(講堂?)に腹ばいにさせられて母と医者に押さえつけられて親指に注射(麻酔?)を打たれて何やらやっていましたが痛くて思い切り泣きわめきました。漸く治療が終わり消毒して包帯でぐるぐる巻きにしておしまいでした。八十五歳になった今でも両手の親指を並べて見ると左の親指の先端に小さな突起が見えます。この小さな突起は小学一年坊主の時の私の親指の名残です、小さな指をしていたなと今でも時々眺めています。

 

歳時記

続・小綬鶏

〈わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。 マタイ6:11

先週、小綬鶏について述べましたが太田愛人先生は二羽の小綬鶏をいとも簡単に絞めたようです。流石に長野の辺境の地で長い間自給自足の生活をされていただけあって鶏の絞め方も熟知されていたのですね。実は私も鶏を絞めた事があります。疎開先で小学一年生の時でした。卵を産まなくなった鶏を母は病み上がりの妹のために栄養をつけたかったのでしょうか。東京育ちの母にはどうしたらいいのか分かりかねていたので僕がやると勇んで件の鶏を膝に押さえ込んで首を思い切りねじってみました、そのうちに鶏がぐったりしてきたので脇の鉈を振り上げて首を目掛けて降り下ろしましたが鶏は首を元通りにするとけたたましい叫び声をあげながら逃げて行きました。母と妹たちも一緒になって追いかけてやっと捕まえて私の手に返しました。今度は初めから鉈で首を叩き切りましたが妹たちは「トトコ可哀そう/\」と言っていましたが料理が出来て食べ始めると盛んに「美味しいね/\」とにこにこしながら食べていました。後で大人から教えられたのは鶏を絞める時は捻った後に少し首を引っ張ると良いと教わりましたが生憎その後がありませんでした。

 

歳時記

 

小綬鶏(コジュケイ)

 もろもろの花は地にあらわれ、鳥のさえずる時がきた。山ばとの声がわれわれの地に聞える。

                                                   ソロモンの雅歌2:12

朝の散歩で桜美林教会の生垣まで来ると時々、鳩より少し大きい二羽の鳥を見かけます。コジュケイではないかとカメラを用意すると、すうーっと生垣の中に消えてしまいます。撮るのが難しい鳥ですが鳴き声はけたたましく「チョットコイ /\」と叫ぶように啼いています。過日、教会の門の所で捜していたコジュケイと思しき二羽がいました。彼らも驚いたのか慌てふためいてうろ/\していました、これ幸いと撮った写真がこれです。敬愛する太田愛人牧師のエッセイに清泉女子大に講演に行った折に鴨料理を伝授しようと思ったが生憎鴨が手に入らず困っていたら外の方からチョットコイ /\と呼ばれたので行って二羽のコジュケイを捕まえて来てコジュケイを捌き鴨料理を始めましたら回りにいた女子大生が可哀そうと言っていましたが料理が出来て食べ始めると美味しい/\と嬉しそうに食べたそうです。コジュケイを見るとこの話を思い出しています。

 

歳時記

アヴぇリア

〈8 小麦、大麦、ぶどう、いちじく及びざくろのある地、油のオリブの木、および蜜のある地、
9 あなたが食べる食物に欠けることなく、なんの乏しいこともない地である 。 申命記8:8,9

道路脇に綺麗に刈り込まれているアヴぇリアの植え込みをよく見かけます。何時頃からか流行り出したのか今では通りを飾るアヴぇリアですが散歩の途中で清掃工場の目隠しにでもしていたのかアヴぇリアの植え込みを見上げながら通り抜けます。此処のアヴぇリアは路傍の植え込みと違って一度も刈り込まれた事がないようで枝を伸ばしほうだいになっていました。花の季節になると沢山の蜂が集まってきます、芳香の強い花なので辺り一帯に甘い香りを漂わせていました。白州で農園を営んでいる井手さんが最近蜂蜜も手がけていますがアヴぇリアの蜂蜜だけは出来ないようです。アヴぇリアは矢張り都会の花で野生の花ではなかったようです。

 

歳時記

 

 

アカンサス(葉アザミ)

あなたがたは、その実で彼らを見分ける。茨からぶどうが、あざみからいちじくが採れるだろうか。(マタイ7:16

藕絲館の庭にアカンサスの花が咲きました。アカンサスは古代からヨーロッパデザインの元になっています。その源流はギリシャ、ローマ建築の柱頭の飾りに用いられました、建築科に入学した当時教室の隅に先輩たちが描き残していったコリント式柱頭のスケッチがありました。幸い私たちにはこのような不毛の修練はありませんでした、でも改めてアカンサスの葉を見ているとW・モリスの壁紙を思い出したりして何故か少し残念な気持ちになりました。