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6月11日の聖霊降臨後第ニ主日の礼拝では早稲田大学留学生のエーリク・シートネン兄の転入式が行われ、「信仰の証し」を語って頂きました。クリックすると視聴できます。
今来日中のシートネン兄のご両親も礼拝に参加されました。コーヒータイムでは、シートネン家とも関係があるラヌアの野外日本博物館や、北フィンランドで盛んなルター派教会内のリヴァイヴァル運動の一つ”レスタディオ派”について興味深いお話を聞かせて下さいました。
私たちの住んでいたトゥルク市のアパート群では毎年5月に「タルコーの日」という日があります。 何をする日かと言うと、住民が一緒に周囲の掃き掃除をしたり冬の間芝生に落ちた葉っぱや木の枝を集めたりします。これらのゴミはかなりの量になり、いつもゴミ収集会社からコンテナを手配します。またブランコベンチ、ガーデン・チェアーやテーブルを倉庫から出して芝生に置いて夏の楽しみに備えます。共同公園の砂場の砂を入れ替えたり新しい遊具を購入して自分たちで設置したこともあります。これら一仕事の後は皆でフランクフルトをバーベキューして談笑のひと時。共同サウナも点火、最初は女性組、次は男性組、話はそこでも続きます。
“タルコー”talkooとは何か?フィンランド語・英語の辞書を見ると、ボランティアの意味ともう一つ、隣人的という意味があります。タルコーはボランティアと言い換えてもよさそうですが、フィンランド語では英語のボランティアに相当する言葉は”ヴァパーエヘトイネン”vapaaehtoinenがあります。何か違いがあるのです。日本語で言うボランティアは何か社会活動の意味があると思います。タルコーは特にそれはなく、身近な共通のこと(ないしは自分にとって身近で共通と感じること)のために時間を割いて一緒に働くという意味合いが強いと思います。それと、参加する人は、しない人に対して別に何もとやかく言いもしないし思ったりもしません。アパートのタルコーで、何か事情があって参加できなかった人がバーベキューしている所に来ても「一緒にどうぞ」と誘われます。サウナも同じ。参加できない人も引け目を感じることはありません。この大らかさ気前の良さは一体何なんだと思ったものです。
ルターは、キリスト信仰者とは「洗礼」とイエス様を救い主と信じる「信仰」の二つでもう至福を手にしてしまった者である、自分が十分すぎるほど満たされているとわかっている、だから、あとは神のため隣人のために善いことをするしか残されていない、それくらい縛られていない自由な存在なのだと教えます(事情があって隣人のために祈ることしか出来ない場合も善いことです)。タルコー精神の源はルター派の精神というのは言いすぎでしょうか?
6月の料理クラブは10日に開催しました。今週は東京でも梅雨に入りましたが、この日は雨が降らず曇り空の天候でした。今回はシードブレッドと「田舎風サラダ」を作りました。
料理クラブはいつもお祈りをしてスタートします。はじめに生地を作ります。計量した材料を順番にボールに入れて、強力粉を少しづつ加えてよく捏ねると生地の形が見えてきました。サラダ油を入れてさらに捏ねると生地の出来上がりです。ここで一回目の発酵をさせます。その間に「田舎風サラダ」の茹でジャガイモの皮をむきます。今の季節のせいでパン生地はあっという間に大きく膨み、みんな驚きです。生地を10個に分けて棒の形に丸めていき、一個一個きれいにロールして丸い形にします。鉄板の上に並べて二回目の発酵をさせます。その間に「田舎風サラダ」の準備を進めます。茹でジャガイモ、リンゴ等をさいころ形に刻んで、ドレッシングの材料と混ぜます。皆さんの手は早く、サラダはあっという間に出来上がりました。パンの二回目の発酵も早く済み、膨らんだパン生地の上に卵を少し塗ります。その上にシードをかけて、オーブンで焼きます。その間はコーヒーの準備とテーブルのセッティングです。きれいな焼き色がついたパンがテーブルの上に並びました!
今回は準備が予想以上にスムーズに進みました!「田舎風サラダ」の盛りつけをして皆さん席に着き、温かいシードブレッドと一緒に味わいました。歓談のひと時のあとで、フィンランドの夏の景色と讃美歌のビデオ「夏の光と休み」を皆さんご一緒に観ました。それからフィンランドの夏至祭(ユハンヌス)の過ごし方や天の神さまが与える祝福についてお話を聞きました。
これから料理クラブはしばらくお休みになりますが、また夏の後に再開する予定です。詳しいお知らせはホームページに載せます。どうぞご覧ください。皆さん、お身体に気をつけて天の神さまのお守りの内にこの夏を乗り切られますように。
今日は新ジャカが沢山入っている「田舎風サラダ」を作りました。フィンランド人は5月6月になると、その年の新ジャカはいつお店にでるかと楽しみに待ちます。新ジャカは最初のものはまだ小さいですが、味はとても美味しいのであまり料理をする必要はありません。ただ茹でてバターをのせただけでも美味しく食べられます。新ジャカはサラダにもよく合い、この「田舎風サラダ」もフィンランドで人気があるものです。新ジャカは売り始めの頃はまだ値段は高く、毎日買うことは出来ませんが、フィンランドの夏の大きなお祝い夏至祭(フィンランド語でユハンヌスと言います)になると、どの家庭でも食卓の大事な食材になります。
フィンランド人はユハンヌスをどのように過ごすでしょうか?ユハンヌスは6月の終わりの金曜日から日曜日までの3日間のお祝いです。ユハンヌスの過ごし方にはいろんな伝統があります。町に住んでいる人たちは町を出て別荘に行って、そこでサウナに入ったり、湖で泳いだり、ボートを漕いだりして過ごします。それでユハンヌスの時は町は人が少なくとても静かになりますが、田舎の方が賑やかになります。田舎の人たちは別荘に行く人もいますが、自宅で過ごす人も多いです。自宅でユハンヌスを過ごす人たちはいろいろ準備することがあります。家の大掃除をしたり、マットやカーテンを洗ったり、ケーキやクッキーを焼いたりします。夏用のマットとカーテンを出すので家の中は冬と違う雰囲気になります。森や野原のきれいな花をたくさん摘んで家に飾ったり、細長い白樺の木を何本も切ってきて玄関の前に立てたりします。そうすると白樺の良い香りが玄関前に広がります。ユハンヌスの食事は普通はバーベキューです。肉やソーセージや野菜を焼いたりします。一緒に新ジャガやいろんな野菜のサラダを添えます。夜は完全に暗くならないので、みな遅くまで起きています。
フィンランドでは夏至祭の頃の自然は緑が一杯で、いろんな花が沢山咲いてとてもきれいな季節です。私はこれらの自然の美しさを見ると、これは人間の手では造ることが出来ないもの、まさに天の神さまの御手の業によるものと思い、いつも感謝の気持ちに満たされました。天の神さまは自然を通して私たちに祝福を与えて下さると思いました。しかし、神さまの祝福は自然の中だけではなく、私たちの日常生活の中にも、いろいろな賜物や贈り物を通して与えて下さいます。
聖書は神さまの祝福について沢山教えます。新約聖書の福音書の中には有名な「イエス様が子どもを祝福する」というお話があります。これを紹介したいと思います。
イエス様が神さまのことを教える時はいつも大勢の人々が集まってきました。その中に子供たちを連れた親たちもいました。親たちはイエス様が子どもたちを祝福するように連れてきたのです。イエス様が祝福すると子供たちは天の神さまと結ばれると考えたからです。しかし弟子たちは親は失礼なことをしてはいけないと、親たちを叱って帰らせようとしました。彼らはイエス様の祝福に相応しいのは大人だと思ったのです。それを見たイエス様は残念な気持ちになり弟子たちに言われました。「子供たちを私のところに来させなさい、来るのを妨げてはならない。 神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることは出来ない。」そして、イエス様は子ども一人一人を自分の膝の上にのせて手を頭の上において祝福されました。
イエス様は大人だけではなく子どもも祝福されました。誰が祝福を受けるのに相応しいか、その例としてイエス様は子どもたちに祝福を授けたのです。親たちはどうして子供たちにもイエス様の祝福を望んだのでしょうか?それは、イエス様の教えを聞いて子どもの将来を神さまの守りと導きに委ねたかったからです。もちろん、イエス様の祝福を受けても子供たちは親の世話を受け続けますが、深いところでは子供の毎日の生活や将来は神さまの守りと導きの下に置かれるのです。祝福を通して天の神さまが子どもの脇に立って一緒に歩んで下さるようになります。
今教会の礼拝で牧師が礼拝の終わりに神さまからの祝福を大人も子供もみな一緒に授けます。礼拝だけでなく、洗礼式では洗礼を受ける人に、結婚式では新郎新婦に神さまからの祝福を授けます。それらの祝福の意味はイエス様がなさった祝福と同じです。天の神さまがずっと一緒にいて守り見導いて下さるということです。
フィンランドのクリスチャンは友達や同僚に会って別れる時は必ず「祝福がありますように」と言います。メールや手紙の終わりにも書きます。クリスチャンの挨拶言葉になっています。この挨拶を通して、神さまがあなたと共にいて守り導いて下さいますようにと願うのです。その人を天の神さまの守りと導ぎに委ねるのです。
私もこの挨拶をよくもらって感謝します。私は今年の春小さな手術を受けなければなりませんでした。これは私の人生の初めての手術で、成功するかどうか心配がありました。いろいろ悩みました。しかし手術の前に励ましの言葉を多くの方々からもらいました。その中にはもちろん「神さまの祝福がありますように」もありました。この言葉の深い意味を考えると心配はだんだん軽くなって手術を神さまの守りと導きに委ねることが出来ました。この手術のことや結果のことも天の神さまが一番よくご存じなのだと神さまを信頼しました。手術の日はもちろん緊張がありましたが、心の中に平安を感じました。それは神さまが与えて下さった平安でした。それを神さまに感謝しました。
このように、神さまの祝福は自然の美しさの中だけでなく、私たちの生活の中でも神さまの守りと導きとして祝福があります。このことを信じられると心に平安がもたらされます。
<私たちの父なる神と、主イエス・キリストから、恵と平安が、あなた方にあるように>
「罪人を招くキリスト」 2023年6月11日
聖書:マタイ福音書9章9~13節
きょうの聖書のテーマはキリストは地上では罪を許す権威を持つ方である。ということです。
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福音書を見ますと、この権威をめぐって、イエス様とユダヤ教の律法学者との間にはいつも対立がありました。この対立が激しくなって、ついにイエス様を十字架上で処刑するという恐ろしいことになってしまいました。対立や憎しみ、争いからは何も良い事は生まれません。行き着く先は悲劇の結果しかない。その悲劇が今も世界で戦争が続いています。きょうの聖書のマタイ9章9節から13節までのところでもイエス様を批難する、という対立が出て来ます。まず9章9節には、徴税人のマタイをイエス様は弟子の一人に招かれたのでした。この福音書を書いた「マタイ」その人です。このマタイという人がどういう人であったか。マルコ福音書2章14節によれば、「アルパヨの子レビ」と呼ばれていました。だから元の名は「レビ」であった。ヨハネ福音書1章の42節のところで、シモン・ペテロの兄弟アンデレが兄のペテロに「イエス様に会ったよ」と言って紹介した。そしてシモン・ペテロをイエスのところに連れて行った。イエス様はそこで「あなたはヨハネの子、シモンであるがケファ(岩という意味)と呼ぶことにする」と言われた。ちょうどそれと同じように、アルパヨの子レビもイエス様の弟子とされた時「マタイ」とあだ名されるようになった。と言うのです。マタイ9章9節を見ますと、「イエスはそこを去り、通りがかりにマタイという人が徴税所に座っているのを見かけて『私に従いなさい』と言われた。」と書いています。マタイが自分の事を書いているんですね。このマタイという人が徴税所に座っていた。ですから、彼はユダヤ人でありながら税金を取り立てる仕事をしていたのです。ユダヤは、この当時ローマ帝国の支配下にありました。ユダヤはローマ帝国に税金を納めなければならない。その税金を取り立てる仕事をマタイは請け負っていたわけです。徴税人と呼ばれユダヤの民からは蔑まれ、憎まれ、裏切り者と呼ばれ売国奴として皆から嫌われていました。イエス様はマタイのそうした職業の立場で苦しんでいることなど、すべてをご存知の上でマタイに目をかけて声を掛けられたのでありました。実はイエス様は、この前に既にガリラヤの漁師をしていたペテロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレと言った漁師たちを「これからは人間をとる漁師にしよう」と言って弟子として招いておられました。漁師ですから、彼らは力強い、素朴な男たちです。でも貧しく教養もない者たちです。こうした男たちに、まず弟子となる声を掛けられたこと自体が驚きでした。しかし、今度はマタイを弟子にされています。漁師たちと違って、彼は教養もあり金もある、しかしユダヤの同胞からは嫌われていた徴税人であった彼に声を掛けられていいます。
これは、また一層の驚きであります。「私に従って来なさい」とのひと声にマタイは立ち上がりイエス様に従ったのです。マタイはこれまで徴税人として、かなり金も持っていて家族や友人などもあったかもしれない。それらの一切を捨ててイエス様に従ったのです・。これは大変なことです。彼の一生の一大転換の出来事であったでしょう。何故イエス様のひと声にマタイは従って行ったのでしょうか。マルコ福音書2章13節を見ますと、「イエス様が中風の人を癒す奇跡の出来事をなさって、イエスは再び湖のほとりに出た行かれた、群衆が皆そばに集まって来たのでイエスは教えられた。」とあります。恐らく彼方此方で群衆がイエス様のもとに集まってきたので、そこで大切な教えをなさった。また、行く先々で病人を癒したり、人々が驚くような奇跡を起こされた。その噂を人づてマタイは聞いていたのでしょう。特にイエス様の語られる教えに胸打たれ、また罪人や弱い人々を限りなく慈しんでゆかれる姿に心惹かれ、マタイは常々話を聞いては考えさせられていた。自分はどうしてこういうユダヤ人として生まれてきたのか。生きていくため本当は望まない仕事でも、やらざるを得ない。彼は貧しい自分の民から無理やりでも税を取り立てて、心がどんなにか痛んでいたことでしょう。そうした中にイエス様の目にとまり、ひと声の招きを聞いた瞬間、彼の全ての思いと魂が光に打たれたような、運命的なみ霊に包まれて導かれて行ったのです。そして、即座に自分の過去もこれからの事も一切このお方に委ねてゆく決心をして立ち上がり、ただ従って行ったのです。もう、後戻りはできない。これから自分の人生がどうなって行くのかもわからない!漁師であったペテロ、ヤコブたちは又戻っても恐らく兄弟たちか家族があとを継いで漁師をやっていますでしょう、だから後戻りが出来るでしょう。マタイは税を取り立てていたサラリーマンでしたから、もう彼の後釜は誰かがやっていて道は塞がっている、後戻りなどできない。前に進むしかない、イエス様の弟子たちと共に運命を預けて行くことになったのです、マタイの思いはどうだったでしょう。私自身もサラリーマンを捨てて神学校に入った途端、それまでの月給もボーナスも収入は全くない、学費と生活のための一切をどうして生きていったらよいのか。マタイの気持ちが良くわかります。
さて、10節を見ますとマタイはイエスとの出会いで、もうとても嬉しかったのです。「それから、イエスが家で食事の席についておられる時のことである。」とあります。イエス様に召されたマタイのした事は第一には職業を変えた、という事。第二にはイエス様や弟子たち、そして徴税人、罪人と共に宴会を開いた、という事です。ところで、10節のところを良く読んでみますと、はじめにある「イエスが」というのは「彼が」というただの代名詞です。次の「家で」というのは冠詞がついていて「その家で」と記されている。ここを文法的に直訳すると、10節はこうなります。「そして彼がその家で席に着いていた時のこと、見よ、多くの徴税人や罪人も来て、イエスと彼の弟子たちと共に席に着いた。」とこうなります。9節から続いて読みますと「すると、彼は立ち上がってイエスに従った。そして彼がその家で席に着いた。」こう読めます。これは、いかにもマタイが立ち上がってイエスに従いイエスの家に行き、その食卓に着いた」と言うようです。マルコ福音書の方では「そこで彼は立って彼に従った。そして彼が彼の家で席に着いている」こうあります。席に着いた「彼」というのをイエスと解すればイエスが自分の家で席に着いた、ことになります。今度は「彼」というのをマタイであるとすれば、マタイが自宅で宴会を開いた、となります。このように、どちらの文章も宴会を開いたのがマタイなのかイエスなのか、また会場がマタイの家なのかイエス様の家だったのか、大変にわかり難い文章です。この事実はルカの福音書の方で明らかになります。ルカは5章29節に、その宴会はマタイの家で催された。しかもイエスのために開かれたのでした。ですから、会場はマタイの家で開かれ、余程うれしかったと思います。そこで費用もマタイが全部出しているのでしょう。ここで大切な事は宴会そのものはイエス様のための宴会で、マタイ自身のためのものではなかったというとです。食事を共にして、もてなしをしたい、というマタイの主イエス様に捧げたい気持ちがここにあふれるように思われます。現代の私たちの教会で礼拝をすること自体マタイのように自分の一切を捧げて神様を敬う、その一つの表れとして献金を捧げる、ことにあると思われます。さて、きょうの聖書の中心点はイエスは罪人を招くために来られた、ということです。マタイは自宅を開放し、友人たち、徴税人を招き、貧しく困った生活をしている人々に、これまでつれなく酷い税の取り立てで冷たくあしらった人々を招き、そうした罪滅ぼしの気持ちを表したい、そして社会的に日陰で辛い思いをしている人々を、いくらかでも明るく解放してあげたいとも思ったのでしょう。マタイは特に裏の社会の悲惨さも充分知っていた人ですから、皆を招いてイエス様と一緒の食事をしたかったのでありましょう。ここで私たちに教えられているメッセージは何でしょうか。マタイが催したように自分の家を開放して、いつでも心置きなく訪ねられる、又、食事を共にしてイエス様の大事な話を聞けるようにしてやったことであります。聖書を見ますと、マタイがしたように漁師であったペテロもそうでした。自宅を開放し、イエス様のカぺナウムでの伝道の拠点とされました。使徒言行録10章24節にはコリネリオも自宅に友人や親族を招いてペテロの伝道集会を開きました。又、使徒言行録12章12節ではマルコの母マリヤも自宅を開放してエルサレム教会の会場としました。更に、使徒言行録16章14節にはルデヤも自宅を開放しピリピの伝道の会場としました。使徒言行録18章26節を見ますとアクラとプリスキラもエペソの自宅にアポロを招き伝道しました。又、ロマ書16章3節ではアクラとプリスキラがローマの新居をローマ教会の集会場に開放しました。コロサイ書4章15節にはラオデキアのヌンパも自宅を教会に捧げまいた。ピレモン書2節にはピレモンも自宅を教会に聖別して捧げました。こうした、初代教会の輝かしい進展は主によって招かれたひとりびとりが自宅をイエスのために捧げ、解放して多くの友や罪人たちをイエス様の救いに与からせて行きました。考えてみますと私たちは誰でも初めての教会を訪ねた時、気恥ずかしく気後れするものです。自分のような者でも神様の礼拝に与からせてもらえるものかしらと、何度も教会の玄関ま行っても教会の敷居は高く感じるものです。心の悩みや心に重荷を負った人、罪の意識にどうしたら良いか迷っている人々は教会の門まで遠いものです。そこに貧しくとも、悩み困惑しつつあっても快く迎えられる教会の解放された姿こそイエス様が望まれた姿でしょう。さて、11節から13節を見ますとマタイの家での罪人たちとイエス様と弟子たちとが共に食事をしている光景をパリサイ派と言われる律法学者たちが来てイエス様の弟子たちに言った。「なぜ、あなたの先生は徴税人や罪人たち等と食事を共に交わっているのか」と非難したのです。それに対してイエス様は二つの反論をもってお答になりました。
第一は医者の例を話され、医者という者は病人のためにあるのだ。医者が病人に接して病気がうつるからと言って離れていては病人は治らないでしょう。そのように、救い主も救いを必要とする罪人を招くために来たのである。パリサイ派の人の如く「自分は健全だ」と自惚れ「自分こそ義人だ」と言っている者にはイエス様とは縁がないでしょう。自ら救われたい、と願っている魂の病人にとってはイエス様は慰めと癒しを豊かに与えて下さる医者であられます。
第二に、イエス様は言われます。「私が好むものは憐みであって、生贄ではない」これは旧約聖書のホセア書6章6節の言葉を引用してパリサイ人に答えられたのです。「憐み」というのはヘブル語の原語では「ケセド」と言い「慈しみ」と記されています。BC8世紀の預言者ホセアは「エフライムよ」と言って北のイスラエル人に呼びかけました。又、「ユダヤよ」と言って南のユダヤに呼びかけて南北、全イスラエル人の罪を責めました。その罪とは「あなた方の愛、ヘブル語のケセドが雲か露のように消え失せる、儚さにありました。反対に神様が求めたもうものは、まさにそのケセドである愛、慈しみなのです。ですからイエス様が好まれるのは神への愛、神への慈しみなのだ、と言っておられるのです。それには、神を知ること。神を喜ぶことであります。その「知る」というのは知識として神を知るだけではなく、結婚関係を結ぶほどの一体となる体験的知り方を表しています。つまり、神と結婚関係に入ったイスラエルが、つまり神の選ばれた民が神との契約に忠実なことを意味しています。”エフライムよ、ユダよ、あなたの貞節は実にはかない、それで私は。我が口の言葉で裁いた。私が欲しいのは見せかけの供え物などではない。本当に神の花嫁らしい、操が欲しいのだ”と言われておられるわけです。イエス様は供え物という礼拝形式よりも、神への忠実さが大切だ、と言っておられるのです。パリサイ人は供え物のような規則を守ることや、異邦人とは交わるな、と言った形ちばかりを追いかけて行く、それは本末転倒で神への忠実という中身を忘れている、というのです。
イエス様は、ただ罪人と席を共にするために来たのではない、罪人を招き、神に忠実な民へと生まれ変わらせるために来たのである。、とそう言っておられるのであります。
<人知では、とうてい測り知ることのできない神の平安があなた方の心と思いをキリスト・イエスにあって守るように。> アーメン
礼拝はYouTubeで同時配信します。後でもそこで見ることが出来ます。
(「その3」で終わるつもりでしたが補足します。) 前回、時限的・限定的でないイエス像、死の力に打ち勝つ真の聖書的なイエス様に出会えるためには、「使徒の教え」に習熟しながら福音書を繙くことが必要であると申し上げました。この方針にピッタリな新約聖書の読み方を考えました。それは、最初に使徒書簡集を読んでから4つの福音書を読むという順番です。
この順番に多くの人は違和感を覚えるかもしれません。というのは、歴史の順序から見れば、最初にイエス様の出来事があって、その後に使徒たちが教え書いたのだから、最初に福音書を読んでから使徒書簡集を読むのが自然に感じられるからです。しかし、福音書を書いた人たち(完成させた人たち)は皆、使徒の教えを受け入れて、イエス様についての歴史を書いたのだから、福音書の中のイエス様を理解しようとしたら「使徒の教え」を知らなければ出来ません。考えてみれば、使徒たちが伝道してキリスト信仰者になった人たちは、まだ福音書がない状態で、イエス様についての断片的な証言・記録と「使徒の教え」が決め手だったのです。「使徒の教え」がキリスト信仰にとってどれだけ重要だったかがわかります。(注意 私の議論は、福音書は西暦70年以後の完成品、使徒書簡の大半は70年以前の執筆品という釈義学の定説に基づいています。もちろん、福音書も70年以前に完成していたという説もあります。スウェーデン・ルンド大学の教授B.イェルハルズソンは1961年の博士論文で、福音書は速記者が書いたようにほとんどその場で出来たというような説を発表して当時の世界の釈義学会に衝撃をもたらしました。しかし、程なくして注目されなくなり、釈義学会は再び従来の定説で動くようになりました。)
「使徒の教え」は、使徒言行録の中にも沢山あります。西暦70年後の作というバイアスがありますが、使徒書簡の多くがどのような背景で書かれたかわかる大事な資料です。それで、まず使徒言行録から始めて、使徒書簡集を読みます。そこで、「使徒の教え」とは本質的に、イエス様の出来事を通して旧約聖書を理解したことがその主たる内容です。なので、出来れば、旧約聖書の引用に出くわしたら、その都度、旧約聖書の引用元も確認する。そうして使徒書簡集が終わったら福音書に入り、最後に黙示録。その場合も、出来れば旧約聖書の引用元を確認しながらです(引用箇所と引用元が異なることが多々ありますが、最初はあまり深入りせず)。
まだ考えついていないのは福音書の順番です。それと、旧約聖書をキリストに出会えるような繙き方で読む順番です。何かいい提案がありますか?
釈義学の研究者が競うようにして実際のイエスを再構成した結果、福音書に描かれるイエスと異なるイエスが無数に輩出します。 イエスの発言が福音書の趣旨と再構成された趣旨とで180度正反対というものもある位です(例として思いつくのは、80年代頃までイエスのたとえ研究の世界的権威であったJ.エレミアスのマルコ4章12節の解釈、現代世界の釈義学の重鎮の一人J.クロッペンボーグのマルコ12章1~12節の解釈。著名な研究者や権威ある教授が提唱したとなれば、市井の人は信じざるを得ません。学術的なイエスと聖書的なイエスのどっちを信じればよいのかと悩む人も多く出ました。人によっては伝統的なキリスト信仰を覆してやったと前衛的な気分に浸った人もいたかもしれません。
ここで注意すべきことは、研究者が打ち出す歴史的イエスは学術的な手法を用いて構成された像で、研究者が用いる手法や前提にする方法論が異なれば結論も変わるということです。研究者がどれを選び、それをどのように用いるかは研究者のイデオロギー的立場にも左右されます。異なる立場の研究者が異なる手法を用いれば、当然結果も異なってきます。時間が経てば、新しい見識に基づいて新しい手法や構成が生まれます。そのように学術的なイエス像は性質上、限りなく仮説に近い限定的・時限的なものなのです。そのようなものが学会で多くの賛同を得れば仮説の域を脱して理論に近づけますが、反論や異論が出るようになれば仮説に逆戻りです。そういうことを延々と繰り返すのが学術の世界です。信仰は異なる世界の話です。そういう仮説とも理論ともつかないものに信仰を基づかせてしまったら、信仰も限定的・時限的なものになってしまいます。死を越えて永遠に導いてくれるものでなくなります。それでは、信仰は何に基づかせたらよいのでしょうか?
キリスト信仰は「使徒の教え」に基づく信仰です。「使徒の教え」とは、イエス様の教えと行動、彼の十字架の死と死からの復活を目撃した使徒たちの証言が土台にあります。使徒には、目撃が復活後だったパウロも含まれます。これらの使徒たちが目撃したことに基づいて旧約聖書を理解し教えたことが「使徒の教え」です。この「使徒の教え」は新約聖書の使徒書簡集の中にあります。「使徒の教え」を凝縮して箇条書きのようにしたものが「使徒信条」です。キリスト信仰はこの「使徒の教え」を受け継ぐ信仰です。この使徒的伝統に立つ教会がキリスト教会です。教団や神学校によっては、例えば、復活などないと教えるところもあるそうですが、そうなるとそれはもう「使徒の教え」を受け継いでおらず、使徒的伝統にも立っていないことになります。
新約聖書には使徒書簡集の他にマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つの福音書があります。それらは西暦70年の後に完成したというのが釈義学会の定説です。使徒書簡集の大半は70年の前に書かれました。ということは、福音書を書いた人たちは「使徒の教え」を受け入れてその視点に立って書いたことになります。実は福音書には4つの他にもトマス、ユダ、ペトロ等の福音書もありました。それらが聖書の中に入れられなかった理由は、「使徒の教え」に立っていないと判断されたからでした。そういうわけで、4つの福音書は「使徒の教え」というフィルターにかけられた書物と言っても過言ではないのです。それなので、福音書のイエス様を理解したければ「使徒の教え」なしでは理解できないことになります。「使徒の教え」に習熟しながら福音書を繙いていけば、時限的でない限定的でない、死の力に打ち勝つ真の聖書的なイエス様に一層出会えるのです。ところが逆に、「パウロはこんなことを言っているが、イエス様はそんなことは言わないだろう」というような使徒とイエス様を分離する議論は、学術的な議論と同レベルになり、信仰は時限的・限定的なものへと堕していきます。(了)
説教・聖餐式 ヴィッレ・アウヴィネン牧師 SLEY海外伝道局長
礼拝の後、アウヴィネン牧師よりSLEYとJLECとの関係見直し、スオミ教会の今後の展開などについて説明を受けた。
SLEY海外伝道局長ヴィッレ・アウヴィネン牧師は5月28日のスオミ教会の礼拝にて説教を担当されます(通訳付き)。
SLEYは、日本とフィンランドが外交関係を結ぶ前の1900年から日本に宣教師を派遣してきた北欧のルター派ミッションのパイオニアです。是非この機会に礼拝に御参加下さい。
V.アウヴィネン先生の略歴
5月の手芸クラブは24日に開催しました。前日は冷たい雨の日でしたが、この日は朝から太陽の光が輝いて爽やかの天候の中で開催することができました。
今回はマクラメのテクニックを使ってフラワー・バスケットやコースターを作りました。初めにモデルを見て自分の作りたいものを選びます。参加者の皆さんはフラワー・バスケットを選びました。早速モデルに合わせて糸の長さを測って結び始めます。今回はマクラメの基本の結び方の一つ、平結びだけを用います。4本の糸で結びをスタートさせますが、一つ一つの段に糸を増やしていくと三角の形になります。バスケットの幅が出来てから三角の形を丸い形にしてまた結び続けます。参加者の皆さんはおしゃべりをしながら楽しい雰囲気の中で作業を進めました。最後に作品の全部の糸を一つにまとめて結んで素敵なフラワー・バスケットが出来上がりました!参加者の皆さんはお家でどのように飾るでしょうか?
作業の後はコーヒータイムです。コーヒーとフィンランド風菓子パン「プッラ」も一緒に味わいながら楽しい歓談の一時を持ちました。そこでフィンランド人が春に感じる喜びや聖書が教える「喜び」についてお話を聞きました。終わりにフィンランドの子ども讃美歌「On ilo、 ilo olla yhdessä」を聞きました。「天の神さまはいつも私たちと共にいて下さる。だから私たちは大きな喜びを持てる」という意味の歌です。
次回の手芸クラブは6月28日に予定しています。日程が近づきましたらまたホームページに案内を載せますので是非ご覧ください。
スオミ教会の手芸クラブではマクラメの作品はもう何回か作りました。今日は初めてフラワー・バスケットを作りました。フラワー、花に関係して今回の話はフィンランドの春についてお話したくと思います。今年フィンランドの冬は長くて五月になってからやっと少しずつ暖かくなってきたそうです。春が訪れるのは年によって早かったり遅かったりしますが、毎年必ずやってきて、野原も森も花と緑で一杯になり、こういう自然の移り変わりの中に天の神さまの創造の業を見ることが出来ます。
私の実家は牛を飼っている農場でした。毎年春になり暖かい日が続くようになると、牛たちを牛舎から外に放牧します。雪と氷の長い冬の間に牛舎でずっと過ごさなければならなかった牛たちは明るい緑の牧場に出されると初めはとても興奮します。外の空気を吸って飛び跳ねたり走り回ったりします。嬉しそうな牛の様子を見ると、もうすぐ春から夏に変わる兆しにもなって、私の家族みんなもワクワクさせました。
フィンランドでは5月の終わりに学校の卒業式や終業式を行います。それから生徒たちが楽しみに待っていた夏休みが始まります。学校の式が終わると、子供たちは一斉に学校から出て嬉しそうに走り回ったり飛び跳ねたりすので、牛舎から出された牛と同じだと言われます。子供たちは「夏の牧場」に放牧されたと言う人もいます。それくらい学校の一年が終わって夏休みが始まるのは子供たちにとって大喜びの日なのです。皆さんも、学校時代に夏休みが始まった時は同じ気持ちではなかったのではないでしょうか。
子供だけでなく大人も喜んだり嬉しい気持ちになることは大切です。今、皆さんにとって喜びはどんなことでしょうか?私たちの普段の生活の中にあること、住まい、食事、家族、友達等は当たり前すぎて喜ぶものであることに気づかないかもしれません。生活の中でいろんなことがあって、それらに気を奪われていると、喜ぶものを忘れてしまうかもしれません。また、私たちが喜んでいることはずっとは続かないかもしれません。聖書は、時間が経っても消えない喜びについて教えます。旧約聖書の詩篇にはこのような言葉があります。
「主は命の道を教えてくださいます。私はみ顔を仰いで満ち足り、喜び祝い右の御手から永遠の喜びを頂きます。」詩篇16篇11節
神さまが私たちに教えて下さる「命の道」とは、私たちが天の神さまのことをわかるようになって神様を信頼して大丈夫と信じるようになって神さまのもとへと導いてくれる道です。その道は、神さまのひとり子イエス様が十字架の業を果たすことで私たちに開かれた道です。イエス様を私たちに送った神さまの愛を知って信じるようになると、いつも神様がそばにいて下さることがわかるようになります。
生活の中でいろんな苦労や困難があって神さまなんかそばにいないように思える時にも、神さまは私たちから離れず色んな方法で助け導いて下さる方であることを聖書は私たちに伝えます。私たちはそれに気がつくでしょうか。神さまは本当に毎日いつでもどこでも一緒にいてくださるのです。これが、神さまが世界の全ての人々に与えようとしている、いつも変わらない消えない喜です。私たちにもお与えになろうとしているのです。
このいつも変わらない消えない喜びは、パウロが「フィリピの信徒への手紙」の中で言っている「主にある喜び」です。主イエス様のことを思えば神さまの愛がわかる喜びです。この世で終わらない、永遠に続く喜びだとわかります。神様がお与えになるこの喜びを受け取れば、生活の苦労はなくならなくても、生活の悩みは軽くなり、わすれてしまった喜びも戻って来て神さまに感謝する気持ちが起きます。
1953年のE.ケーゼマンの学会講演の主眼は、福音書を通して歴史的イエスを解明できるというものでした。 彼の提唱した方法は、まず福音書著者の叙述法を明らかにし、次にイエスの発言の記述から著者の手加えを削除する、そうすると著者が伝授した伝承が残る、それをもって実際のイエスに近づけるというもの。それに基づいて実際のイエスを解明する研究が増えていきます。ただ研究結果は大体において、イエスがいかにユダヤ教の伝統から外れた存在であるかを示す傾向が強かったと言われます。
歴史的イエス研究の大きな転換点となったのは1985年のE.P.サンダースの「Jesus and Judaism」(日本語訳見つからず)でした。彼の手法は、第ニ神殿期のユダヤ教社会の諸思潮を聖書外の文献からも明らかにして、そこにイエスの発言と行動を当てはめてみる、そうすると福音書に書かれている発言や行動の意味が今までと違ったふうに見えてくる、もう福音書著者や初代キリスト教徒が創作したなどと言わなくてもよくなるということです。ただし、彼の打ち出した歴史的イエス像は、罪人との食事は悔い改めを前提としなかったという主張などがあり賛否両論を引き起こしました。
これ以後、歴史的イエス研究は飛躍的に増加します。ユダヤ教社会の諸思潮の解明は、死海文書の解明や研究が進んだことも手伝って進みます。研究の拠点もドイツ語圏から英語圏に移ったと言われます。しかし、パンドラの箱を開けたような状態になりました。いろんな研究結果が無数に次から次へと出されたのです。アメリカのジーザス・セミナーのような、研究者が集まって、これは真正なイエスの発言、これは初代キリスト教徒の創作などと投票で決めるところも出ました。他方で、これは創作ではない、真正な発言と主張する研究結果であっても、イエスの発言の趣旨が福音書にある趣旨と180度正反対というものも多く出ました。その背景には、使徒や初代キリスト教徒は外の世界に対して挑戦的だったのでイエスの発言をそのように変容したという先入観がありました。そのため、研究者たちが打ち出した歴史上のイエスは、社会改革家、人権擁護者、フェミニスト、放浪哲学者、ヒッピーを思わせるものがいろいろ。あなたの好みに合うイエス様が見つかるかも(続く)。
5月の料理クラブは13日、雨が降ったり止んだりのぐずつく天気の土曜日に開催しました。今回はフィンランド人が一番好きな菓子パン「コルヴァプースティ」を作りました。
料理クラブはいつもお祈りをしてスタートします。はじめに生地を作ります。計量した材料を順番にボールに入れて、強力粉を少しづつ加えてよく捏ねると生地の形が見えてきます。今回はお母さんと一緒に参加した二人のお子さんも一生懸命に生地を捏ねました。次にマーガリンを入れてさらに捏ねると地が出来上がります。ここで一回目の発酵をさせます。その間に中身の準備。生地が大きく膨らんだので次の段階に入ります。生地を長方形に伸ばし、その上にマーガリンとシナモンシュガーを付けます。それからロールにして切ります。
切ったものをコルヴァプースティの形にすると、わぁーという歓声があがりました。鉄板の上にコルヴァプースティの生地がどんどん並んでいきます。それから二回目の発酵をして、待っている間にみんなで「フィンランドの春の命」という風景と讃美歌のビデオを観て一休み。コルヴァプースティは大きく膨らんで、その上に卵を塗り、砂糖をかけてからオーブンに入れて焼きます。焼けいる間に礼拝堂から素敵なピアノの演奏が聞こえてきました。心が休まる一時でした。シナモンの香りが教会中に広がり早く味合うのが待ち遠しくなります。コルヴァプースティはきれいな焼き色がついてテーブルの上に並びました!
テーブルのセッティングをして皆さん席に着き、温かいコルヴァプースティをコーヒー紅茶と一緒に味わいました。美味しいイチゴを添えていただきました!ピアノのBGMと歓談のひと時のあとで、コルヴァプースティと聖書のお話を聞きました。こうして皆さんが楽しみにしていたコルヴァプースティの日は味も雰囲気もとても素敵なものになりました。
今回発酵で少し時間がかかってしまいましたが、美味しくきれいなコルヴァプースティが出来てよかったです。参加者の皆さん、お疲れさまでした。
次回の料理クラブは6月10日に予定しています。詳しくはホームページをご覧ください。
フィンランドでは昔からコーヒータイムには菓子パンがつきものです。菓子パンのことをフィンランド語でプッラと言います。今日は皆さんと一緒に作ったコルヴァプースティはプッラの種類の一つです。コルヴァプースティはプッラの中で最も人気があるもので、プッラの王さまとも言われます。1700年位から貴族のコーヒータイムの嗜好品として出されていました。一般の家庭では第二次世界大戦後、砂糖やバターやシナモン等の材料が簡単に手に入るようになって作られるようになりました。私のお祖母さんの時代には、コルヴァプースティはまだ高価なものでクリスマスとかイースターとか夏至祭のようなお祝いの時しか作りませんでした。今は普段の日にも食べられます。お店や喫茶店でも売っているし家庭でも作られます。
昔コルヴァプースティはよく家庭で作られたましたが、時代が変わって人々は忙しくなったので、コルヴァプースティを作る家庭は少なくなりました。このためにフィンランドでは10月4日は「コルヴァプースティの日」に定められています。これは2006年から始まりました。この日を定めた目的は、コルヴァプースティをもっと家庭で作りましょうというキャンペーンで、家族や友達同士で集まって一緒に味わって楽しい一時を過ごしましょうという趣旨です。この日はお店や喫茶店でコルヴァプースティが沢山売られますが、もちろん多くの家庭でも作られます。フィンランド人にとって、焼きあがったばかりの温かいコルヴァプースティを冷たい牛乳と一緒に味わうのはとても大きな楽しみです。家庭でコルヴァプースティを作る習慣があると、それは子供たちが大きくなっても忘れられない大切なことになります。ほとんどのフィンランド人は、自分のお母さんが作ったコルヴァプースティが思い出の中にあります。フィンランド人に一番美味しいコルヴァプースティを作るのはだれ?と聞くと、きっと自分のお母さんと言うでしょう。
フィンランド人は「コルヴァプースティ」を作ってそれを家族や友達と一緒に味わうことで普段の生活に良い変化をもたらそうとします。もちろんそれは「コルヴァプースティ」を食べることだけではなく、家族や友達と一緒に話したりいろいろ分かち合うことが大事だからです。私たちにとって人に会って分かち合うことは重要です。友達や同僚と会って一緒にコーヒーを飲んだり食事したりするのは大切です。その時、食べ物はちょうど良い話題にもなるのでフィンランドでは「食べ物が人々を団結させる」などと言われます。
聖書の中の福音書にはイエス様がよく人々と一緒に食事をしたことについて書いてあります。しかし、イエス様が食事を共にしたのは自分の友達とか弟子たちだけではありませんでした。徴税人や他の罪人とも一緒に食事をしたのです。当時、徴税人は税金を取る時にいつも決まった金額より多くお金を取って自分のものにしていました。イエス様はそのような人たちとも一緒に食事をしたのです。それは、イエス様がこの世に送られたのは良い人たちの為ではなく悪い人も含めてこの世の全ての人たちの為ということを行動で示したのです。私たち人間は自分のことを良い人間と思う人でも心の中では悪いことを考えてしまったり口に出してしまうことがあります。誰も天の神さまの前で完璧な人間、罪を持たない人はいません。イエス様は全ての人たちが神さまの目に相応しい者になれるように、この世に送られました。それでは、私たちはどのようにして神様の目に相応しい者になれるでしょうか?それは、イエス様が良い人も悪い人も全ての人を愛して人間が罪から救われる道を開いて下さったことです。これはイエス様の十字架の業の出来事です。天の神さまの計画を多くの人たちが受け入れるようになる為にイエス様は全ての人々と食事をしたのです。新約聖書のヨハネの黙示録にはこのような言葉があります。
「見よ、私は戸口に立って、たたいている。だれか私の声を聞いて戸を明ける者があれば、私は中に入ってその者と共に食事をし、かれも私と共に食事をするだろう。」ヨハネ黙示録3章20
イエス様は私たちの心の戸口に立ってノックして私たちと一緒に食事をすることを望んでいます。私たちはその音を聞いて扉を開けるでしょうか。もし開けなくてもイエス様は諦めないで、何度もたたきます。イエス様に心の扉を開くと、私たちは神さまの子として受け入れられて愛されます。イエス様を救い主と信じて受け入れると、たとえこの世が終わってもその後に来る世に通じる道を歩ませてくださいます。
今日は皆さんと一緒に「コルヴァプースティ」を作ってコーヒーと一緒に頂いて楽しい一時を過ごしました。イエス様は私たちの心の戸口に立ってノックして私たちと共に食事をすることを望んでいることを忘れないように行きましょう。