10月13日 スオミ教会家庭料理クラブのご報告


心待にしていた涼やかな気候のなか、
お休みを頂いていた「スオミ教会家庭料理クラブ」は再開しました。
メニューは「お母さんのベリーケーキ」mamman  marjapiirakka
フィンランドでも人気の高いブルーベリーを使ったケーキです。

最初にお祈りをしてスタートです。

計量をして生地を作り、冷蔵庫で休ませます。
次は生地に流すクリーム作りです、
計量した材料を混ぜ、使った道具類は洗われ、スムーズに作業が進みながらも、
楽しい会話も盛り上り、4台のケーキはオーブンに入りました。

焼き上がりを待つ間、キュウリとパプリカを添えたクラッカーに、
飲み物や食器類の用意と、牧師館のキッチンは大忙しでした。

きれいに焼き上がったケーキを、最初はアツアツで頂き、
次は少し冷めてからと、ケーキの味の変化も楽しみました。

パイヴィ先生からは、フィンランドで過ごされた夏休みの楽しいエピソードや、
ベリーのお話、聖書と詩編34章の一節を聞かせて頂きました。

次回のスオミ教会家庭料理クラブは11月開催予定です。

参加の皆様、お疲れさまでした、ご一緒できる機会を楽しみにしています。


ブルーベリーの 話「Mamman marjapiirakka」

今日皆さんと一緒に作ったブルーベリー・ケーキはフィンランドの家庭でよく作られるケーキの一つです。ブルーベリーの季節になるとどの家庭でも作られて、家族皆で出来上がりのケーキを美味しく味わいます。名前はフィンランド語で「mamman marjapiirakka」と言います。日本語に訳すと、「お母さんのベリーケーキ」です。

「Mamman marjapiirakka」はフィンランドの伝統的なベリーのケーキで、私の母もよく作りました。このケーキは、1976年に「Valio」というフィンランドの乳製品の会社の試験所でJarvinenという家庭科の先生が作ったのが始まりだそうです。「Valio」は新しい乳製品を沢山開発する会社なので、Valioから出されている乳製品の種類はとても多いです。1970年代にValioは酸っぱみがあるkermaviili という乳製品を開発して、これを多くの人たちが使うようになるために、Järvinen先生は「Mamman marjapiirakka」のレシピを作りました。この時ケーキのレシピは多くの雑誌にのせられて、フィンランド全国に広がりました。それで、「Mamman marjapiirakka」はあっという間に多くの家庭で作られるようになって、フィンランド人の好きなケーキの一つになりました。50年前に初めて作られたケーキが現在多くの家庭で作られるようになったのは興味深いことです。

今では「Mamman marjapiirakka」にはいろいろなバージョンがあります。上にのせるベリーはブルーベリーだけではなく、リンゴンベリー、ラズベリーなども使われます。スパイスに、シナモンかカーダモンを入れたら味の変化も出ます。

今年の夏私たちの家族はフィンランドに一時帰国をしました。今年のフィンランドの夏は珍しく暑くて、30℃くらいの日が一か月ずっと続きました。雨の日は多くありませんでしたので、夏休みを過ごす人たちにとって良い夏の天気でした。しかし雨が少なかったため、自然の植物や畑の野菜や麦などの成長はよくありませんでした。雨が少ない影響で森のブルーベリーやリンゴンベリーもあまり沢山出来なくて、しかも出来たベリーは大きさが普通より小さかったです。こんな夏でしたが、私の父は森にブルーベリーを採りに行って、けっこう沢山採りました。父はベリーがよく採れる森を知っていて、毎年同じ場所で採ります。ブルーベリーはいつもより小さかったでしたが、それでも甘くて美味しかったです。父が採ったブルーベリーのおかげで、私は「mamman marjapiirakka」を作ることが出来ました。父は余ったブルーベリーを冷凍して、冬それを毎朝のオートミールのおかゆの上にのせて食べます。

父は森でブルーベリーを採りましたが、私たちは父の家の庭の「くろくずり」を採りました。森と違って庭には蚊や蠅はいないので庭でベリーを採るのは森より簡単でした。しかし今年の夏は蜂が多かったので、刺されないように注意しなければなりませんでした。蜂は周りで飛ぶだけではなく、ベリーの汁を飲もうとしてベリーにもくっついていました。刺されないように注意してベリーを採りましたが、博明も私も刺されてしまいました。庭の「くろくずり」も去年より少なかったでしたが、「くろくずり」のジュースを作るくらいは十分採れました。

私たちは毎年新鮮なベリーや果物を食べることが出来ます。これは当たりまえのように感じられますが、少しよく考えてみると、美味しいベリーや果物などを食べられるのは私たち人間の努力のおかげではありません。ベリーや果物が育つのに適した光や温度などが必要です。これらは人間にはコントロールは出来ないことです。ベリーや果物の成長は天と地を造られた神様が与えて下さるものです。天の神様は自然を通して私たちに良いものを沢山与えて下さいます。旧約聖書の詩篇には良いものを与えて下さる神様に感謝したり賛美する歌が多くあります。詩篇34篇9-11篇には次のように言われています。「味わい、見よ、主の恵み深さを。いかに幸いなことか、御もとに身を寄せる人は。主の聖なる人々よ、主を畏れ敬え。主を畏れる人には何も欠けることがない。若獅子は獲物がなくて飢えても主に求める人には良いものの欠けることがない。」私たちは天の神様の良い業をこのように気づいて賛美することが出来るでしょうか。私たちは自然を通して神様の御手の良い業を見ることが出来るのです。それがわかれば、私たちの心に神様に感謝する気持ちが生まれるでしょう。私たちの日常生活の中で神様に感謝することが他にもあるでしょうか?

生活の中には嬉しい、素晴らしいことが沢山あると思います。しかし、それらが当たりまえのようになってしまうと、感謝するのを忘れてしまうのではないでしょうか?また、生活の中に困難がある時には感謝することなどできないでしょう。そのような時、感謝することなんか何もないと思ってしまいます。でも、本当はあるのです。困難の時にも感謝することがあることに気づくと心に平安が得られます。どこに感謝することがあるでしょうか?悩みや苦しみがある時、私たちはお祈りして神様に全部のことを打ち明けることが出来ます。もし私たちが自分の父親は頼りに出来る人と思うならば、同じような信頼を持って天の父である神様にお祈りして全部のことを打ち明けてよいのです。神様は私たちも私たちの父親母親もお造りになった創造主です。その方が、私を信頼しなさい、全てのことをお祈りで打ち明けなさい、とおっしゃって下さるのです。それが出来れば、全てのことを神様の御手に委ねて、自分一人で心配事を抱える必要はなくなります。神様が一緒に背負って下さいます。先ほど読んだ詩篇には「いかに幸いなことか、御もとに身を寄せる人は」と書いてありました。私たちは神様に信頼することが出来たら、心に平安も得ることが出来ます。そこから神様に感謝の気持ちも生まれます。

このように、困難の時に天の父である神様にお祈りして全てを打ち明けて委ねることが出来れば、神様に感謝の気持ちが起こってきます。この時、私たちは困難の中にあっても心には平安があります。これは神様が与えて下さる平安です。

いろんなベリーも、他の素晴らしいものも全ては私たちのためになるようにと、神様が与えて下さるものです。だから、私たちの感謝もいつも、最終的には創造主である神様に向けられるのがふさわしいのです。

宣教師のフィンランド便り(3)

日本は、西日本の台風や北海道の地震等、大変なことが続き、こちらのニュースでも報じられていました。被害に遭われた方々へ改めて心からお見舞いの気持ちを表したく思います。   今回はフィンランド便りの最終回です。トゥルクの大聖堂の周りの木々も葉っぱが黄色くなり始めました。北国の秋は静かに深まってきています。(吉村は昔、大学の神学部の学生の時、ここで説教の実習をしました。)     今回のフィンランド滞在の最後の教会訪問は、トゥルクから北へ450キロ程行ったところにあるハルスアでした(写真はハルスア教会 、宣教師の「教会訪問」については「フィンランド便り2」をご覧ください)。           ハルスア教会の日曜礼拝で吉村は説教を担当(写真は説教壇に立つ吉村)。ここをクリックすると説教のテキストがご覧になれます。ご関心のある方はどうぞ!Tässä on Hiroakin saarna, ole hyvä!
礼拝後は、教会付属ホールにて「ミッション・ランチ」の提供。サーモン・スープでした。収益はSLEYの海外伝道への献金になります。100人くらいの方とランチを共にし、ハルスア教会の主任牧師カルフラハティ牧師から宣教師への挨拶スピーチ、宣教師からは返答の挨拶スピーチが交わされました。   オフィシャルな行事の後は、教会主催のフリスビー・ゴルフ大会となり、40人位の参加者と一緒に宣教師家族も挑戦しました。隣町ヴェテリに交換留学していた日本の高校生Y君も参加しました。まずはルールの説明から。     主任牧師が先陣を切って、     パイヴィ宣教師も奮闘、

大会後は教会事務室前にてフランクフルトソーセージをグリルして味わいました。

        以上のように最後の教会訪問はリラックスした雰囲気で終わりました。   今回の教会訪問は「フィンランド便り2」でお伝えしたように、南の地方の教会が中心だったのですが、前回2年前の北の地方を中心とした教会訪問との違いがありました。それは、前回は教会だけではなく、地元の小中学校の訪問もあったのですが、今回は学校から訪問要請は全くありませんでした。宣教師が学校を訪問するというのは、フィンランドの学校には「宗教」の科目があり、授業の一環として宣教師に話をしてもらうということが伝統としてありました。ただ最近は「フィンランド便り1」でもお話ししたように、国全体の脱国教会化、脱キリスト教化が進んでおり、特に南の都市部では宣教師の学校訪問には慎重ないし否定的な傾向が強まっているとのことでした。   脱国教会化、脱キリスト教化と言っても、かなり地方差があります。例えばヘルシンキ市では国教会所属率は60%にまで落ち、生まれてくる赤ちゃんの洗礼率は40%台と、近い将来同市のキリスト教徒は少数派に転落する勢いですが、地方に行くと所属率、洗礼率共に100%近くというのはざらです。(どのあたりが境界か、私個人はタンペレの南と北で差が出ると思うのですが、人によっては首都圏環状三号線の内側と外側と言う人もいます。)写真は、2年前コルテスヤルヴィの小学校で授業をする吉村宣教師。   今年の6月、日本フィンランド関係の歴史を記念する出来事がありましたので、最後にそれについて記したく思います。「フィンランド便り1」でも記しましたように、SLEYはフィンランドが独立する以前の1900年から日本に宣教師を派遣してキリスト教伝道を行ってきました。伝道初期に洗礼を受けた若者の一人、渡辺忠雄(洗礼名ダニエル)という明治の青年は神学を勉強するためにフィンランドに留学、そこで出会ったフィンランド人女性シーリと結婚し、後にSLEYの宣教師として日本に派遣されます。二人には息子が二人いて、長男の忠恕はジャーナリストとして活躍し後に日本新聞協会の会長も務めた日本報道界の大御所的存在、次男の暁雄は音楽家として日本フィルハーモニーの指揮者も務めた芸術家でした。   6月12日、ヘルシンキのかつて4人の家族が住んでいたアパートの建物の壁にそれを記念するプラークの除幕式が行われたのです。式には、サイラSLEY会長ほか日本伝道や日フィン関係にゆかりのある人たちに加え、日本大使館からは大使も臨席されたとのこと。   プラークには日フィン関係の「架け橋」を築いた4人を覚える内容がフィンランド語と英語で記されています。ヘルシンキにお出かけの際は是非訪れてみて下さい。場所は、マンネルヘイム通りとドゥンケル通りの交差点にある建物でフィンランディア・ホールの反対側、国立民族博物館の後ろ側になります(住所はDunkerinkatu 2)。現在両国関係は、経済、貿易、文化、学術面と多岐にわたっていますが、まだ外交関係が樹立される以前にキリスト教伝道を介して両国間の交流が始まり、それは118年たった今も続いていることもお忘れなく。

写真は記念プラークを横に、パイヴィ・ヨシムラSLEY宣教師とアンナ‐カイサ・タカキSLEY海外伝道局アジア地域担当(アンナ‐カイサさんの夫・高木賢氏はSLEYでインターネット伝道を担当する神学者)。

宣教師のフィンランド便り(その2)

日本はまだ暑さが続いているとのことですが、皆様お元気ですか?こちらフィンランドは、前回お伝えしたように7月は連日30度以上の猛暑、加えて干ばつもひどく、農作物は大打撃を被るという夏でした。地域によっては穀物の収穫が例年の半分以下というところもあり、毎日のニュースで政府の農業支援策が報じられています。猛暑は8月初めに終わり、それからは20度前後という通常の夏に戻りました。学校の学期も既に始まっています。少ないながらも穀物の刈入れは既に終わり、北国は秋を迎えようとしています。

今回は「教会訪問」の報告です。宣教師の「教会訪問」というのは、フィンランドのルター派国教会には公認のミッション団体が6つほどあり、それぞれが世界各国に宣教師を派遣していますが、宣教師一人あたりに各市町村の「支援教会」が複数ついて、財政的・霊的に支援をします。それで、宣教師と「支援教会」は常時連絡を取り合い、フィンランドに帰国した時は訪問して、教会関係者への挨拶、礼拝や集会の担当、派遣国での伝道について報告しなければなりません。

私たち吉村の場合、支援教会はトゥルクを中心に半径100キロ内に6つ、パイヴィ宣教師の実家エヴィヤルヴィ(トゥルクから北へ380キロ程)を中心に半径200キロ内に6つあります。今回はトゥルクを中心とした南の地方の教会を訪問しました。   教会訪問のオーソドックスな形は、まず地元の新聞に「私たちの地元の教会が支援している宣教師が訪問します!」という案内の記事が出たり、ミッション集会の案内が告知されます。写真はライティラ市の地元紙の記事。   訪問が日曜日にあれば、教会の礼拝で説教を担当したりします。平日であれば、教会の付属ホール等でミッション集会が開催されます。SLEY(フィンランド・ルター派福音協会)の場合は全国各地に有する「祈りの家」も会場になります(SLEYについては「宣教師のフィンランド便り1」をご参照)。   ミッション集会はいつもコーヒーと軽食で和やかに始まります。写真はライティラ教会のミッション集会のコーヒー・テーブル、テーブルには集会あとのくじ引きの景品も並べられています。   集会では、派遣国の最近の一般情勢から宣教師の伝道、派遣されている教会の動向について宣教師が報告します。写真はライティラ教会の集会で報告するパイヴィ宣教師。     報告の時は参加者から質問やコメント、励ましやアドヴァイスも出て、派遣国のキリスト教伝道の課題や挑戦について一緒に考えます。   集会はあと、讃美歌斉唱、地元教会の牧師がメッセージ、祈りのひと時があり、終わりにくじ引きの景品授与があります。写真は、ライティラ教会の集会の後の景品授与の様子。   ロイマーのSLEYの「祈りの家」ではロイマーの主任牧師がサクソフォーン演奏を披露。     パイミオ教会での集会の様子。

 

パイミオ教会の入り口にはSLEYの創始者G・ヘドヴェルイ牧師が1838年から1840年まで牧師を務めていた旨を記したレリーフが掲げられています。

  トゥルクのマーリア教会とミッション集会の会場となった旧牧師館。

スウェーデン国王グスタフ三世の治世14年の時に建てられたと記したレリーフがあります(1809年までフィンランドはスウェーデン王国の一部)。マーリア教会での集会の様子。

ノウシアイネン教会での集会の様子。

ギターを弾くのは元SLEY宣教師のT.ハブカイネンさん(現ナーンタリ教会のユースリーダー職員)。
マルッティラのSLEYの「祈りの家」での集会の様子。

ルスコ教会の集会は野外礼拝でした。

礼拝中に報告をする吉村、パイヴィ宣教師。

礼拝後の野外のコーヒータイムの様子。コーヒータイムでは、報告の質疑応答の話がインフォーマルに続きます。日本に行ったことのある人も多く、旅行の感想や印象を話したりします。

ルスコの「名物牧師」サルミネン牧師。

SLEYの良き理解者であると同時にユーモア溢れる温かい人柄で地元の人たちに愛されている牧師です。


宣教師のフィンランド便り(その1)

 

宣教師のフィンランド便り(1)

日本の皆様、お元気ですか?こちらフィンランドは、7月16日にヘルシンキで米ロ首脳会談があった前の週から急に連日30℃の猛暑の日々となりました。日本の酷暑ほどではないですが、基本的にクーラーの備えのない国なのでうだる様な暑さです。日本の豪雨洪水はこちらのテレビ・ニュースでもトップ扱いで報じられていました。被災地の方々にお見舞いの意を表したく思います。

6月29日から7月1日にかけてヘルシンキから北へ500キロ程のところにあるカラヨキ市にて、私どものミッション団体「フィンランド・ルター派福音協会」(SLEY)の全国大会が開催されました。今回はその報告です。

SLEYというのは、フィンランドのルター派国教会の中で活動するルター派のリヴァイヴァル運動の団体で、1873年に結成されました。ルター派のリヴァイヴァル運動というのは、「ルターを通して福音の真髄に」という趣旨の信仰活性化の運動です。国民向け伝道の勢いが海外伝道に発展し、フィンランドが独立する前の1900年に日本伝道を開始。現在はケニア、ロシア、エストニア、南スーダン、ミャンマーにも宣教師を派遣しています(今年からドイツにも派遣開始、これは難民移民向けの伝道)。

SLEYは聖書解釈において保守的な立場なので、そうでない国教会とは難しい関係にあります。しかし、国教会の牧師・信徒の中にSLEYに共鳴する人は少なくなく、加えて近年フィンランドの国教会は脱退する人が毎年3~4万人出るなど(昨年は5万2千人が脱退)凋落傾向が著しく、それを憂える人たちの賛同も得ています。

SLEYの全国大会は1874年から毎年開催されており、唯一例外は第二次大戦中の1941年、旧ソ連軍の空襲のために中止になったことでした。従って今年で143回目となります。

カラヨキ市はフィンランドでは珍しく大きな砂浜があるリゾート地で、人口は1万2千人程。SLEYの全国大会には1万4千人が参加したということですから、大会期間は人口が倍増したことになります。

 

 

 

 

 

 

会場はイヴェント・パークと呼ばれる、4千人収容のホールと、追加の席はホールの外にベンチを並べます。

会場には、SLEYが宣教師を派遣している国々の国旗が掲げられます。

メイン会場の回りに、食堂、若者用、子供用プログラム会場、海外伝道テーマの大天幕が張られます。

大会はまずカラヨキ市長と国教会オウル監督区関係者の歓迎の挨拶から始まります。3日間の大会は、SLEY会員の年次総会、聖書の学びの時間、各界著名人のスピーチ、聖歌の時間、コンサート、聖餐式礼拝それに海外伝道地からの報告からなり、これらとは別に、若者向けプログラム、子供向けプログラムが併行して行われます。全体集会のハイライトは3つあり、土曜日の夕方ポップ調メロディーが奏でられる聖餐式礼拝と日曜日朝の伝統的な聖餐式礼拝そして宣教師の派遣式です。

吉村、パイヴィ宣教師のスオミ教会での福音伝道についての報告の様子、ステージの様子が大スクリーンに映し出されます。

若者向けプログラムの一コマ、ゴスペル・ロックの熱演。

演奏の合間に教会のユースリーダーがスピード感溢れる言葉遣いで聖書を教えます。子供向けプログラムでは、国営テレビの子供番組の人気司会者がお遊戯の合間に聖書を教えていました。

宣教師の派遣式。初めに、派遣国の国旗を持った子供たちが宣教師たちの前で歌を歌います。

これから派遣の按手の儀式に臨みます。按手を授けたのは、フィンランド国教会オウル監督区サルミ監督、ケニアのルター派教会のマトンゴ神学校のオモロン校長それにサイラSLEY会長とアウヴィネン同海外伝道局長。

按手を受けるエッサイ、右側はパイヴィ宣教師。吉村宣教師は悦才の左側(SLEYのSanansaattaja紙の記事から)。宣教師の子供も派遣される者として按手を受けます。大学生となった長女のヨハンナは一人ヘルシンキに残ることとなっため、派遣者と見なされず按手を受けられません。子供のいる宣教師家族は皆、子供が大きくなるとこのような別離を経験します。

以上がカラヨキ市で開催されたSLEYの全国大会の報告でした。

全国大会の後、当地で猛暑が始まるや、家族でオーランド諸島をフェリーを乗り継ぎながら、4日間サイクリング旅行をしてきました。写真は、チョーカル島にて次の島に行くフェリーを待っているところと、クムリンゲ島の聖アンナ教会の壁画に見入るパイヴィ宣教師。

この壁画は1500年代半ばのもので、聖書に記述されている出来事が教会の壁中に描かれています。

手芸クラブのご案内、2018年5月30日(水)10時―13時

スモッキング刺繍を作ってみませんか。

スモッキング刺繍とは布にヒダを寄せて刺繍する技法で古くからイギリスなどで親しまれてきました。

薄地の布を縫い縮めてヒダを寄せ、そのヒダ山をすくいながら刺繍するのが一般的ですが、
今回はステッチを刺しながら布にヒダを寄せていく方法でより気軽な方法で刺繍します。

基本のステッチさえ覚えてしまえば、様々な模様が刺繍できるようになります。

この機会に是非スモッキング刺繍をマスターしてみませんか?

お話しながらワイワイ楽しく作りましょう.

手芸クラブは、お子さん連れの参加も歓迎です。
皆様のご参加をお待ちしています。

材料費: 500円

お申し込み・お問い合わせ moc.l1745879646iamg@1745879646arumi1745879646hsoy.1745879646iviap1745879646
電話03-3362-1105
日本福音ルーテルスオミ・キリスト教会
東京都中野区上高田1-36-20

5月の料理クラブのご報告

マフィン寒い日が続いた後の、穏やかな土曜日の午後、
スオミ教会家庭料理クラブは「レモン風味のマフィン」を作りました。

最初にパイヴィ先生のお祈りからスタートです。

試作を重ねてのレモン風味のマフィンは、しっとりとして柔らかな生地に焼き上がり、参加の皆様から「美味しい!!!」の歓声が上がりました。

ホイップクリームにブルーベリーやイチゴとキゥイを添えてのデコレーションは、
各自思案を重ねての可愛い出来上がりに、テーブルは華やかになりました。

パイヴィ先生から、ベリー類や沢山の種類のあるマフィンについてのお話や、
聖書について、分かりやすく聞かせて頂きました。

今回は熊の話まで飛び出して、楽しいおしゃべりは続きました。

スオミ教会家庭料理クラブは、6月からお休みになります、
9月からの家庭料理クラブを、楽しみにお待ちください。


 2018年5月の料理クラブの話

 春は日本ではとてもきれいな季節です。今はつつじや他の花もきれいに咲いています。冬の間枯れて死んだような木や低木などの植物から突然沢山の美しい花が咲くのを見ると、いつも神様の素晴らしい創造の業を思い出します。枯れて死んだような枝が花と新緑に変わると、神様が新しい命を与えて下さることがよく分かります。イザヤ書の43章19節には次のように書いてあります。
 「見よ、新しいことを私は行う。今や、それは芽生えている。」

日本では4月は学校や会社などでスタートの時です。新しい学年や仕事について期待がいろいろあると思います。子どもたちが新しい学年でどのように成長するかを見るのは親にとっても楽しみの一つでしょう。新しい仕事場で、自分の持っている専門的な知識や力をうまく生かせることを期待するでしょう。私たちは新しいことに興味を持って取り組む時、チャレンジの気持ちで出来ますが、新しいことに対して不安な気持ち、他の生徒たちと仲良くできるか、勉強についていけるか、うまく仕事が出来るかなど心配もあると思います。

私たちの息子も4月から新しい学年が始まりました。特別支援学校の高校2年生になりました。先日、初めての保護者会がありました。そこでは新しい学年の予定や勉強のし方について先生たちから説明が聞けたので良かったです。息子の学年は今年、職場の実習が三回あり、進路についてもいろいろ考えなければいけないことも分かりました。それで彼は将来どんな仕事が出来るのか、と先のことをいろいろ考えるようになって心配な気持ちになりました。

しかし、今息子の将来を心配しても、今の段階で何も解決はできません。もちろん、親としてしなければならないことはしますが、その結果どうなるかは神様に委ねるしかありません。それで、息子の将来について、思い悩むことはしないようにしようと思いました。新約聖書のマタイ福音書には思い悩むなと教えるイエス様の言葉があります。野の花
 「野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。」
 神様は私たちをどんな時でも守って、導いてくださいます。神様の守りと導きは私たちの感じることと関係なく、いつもあります。私たちが神様の導きを感じる時に導いて下さるということではありません。私たちの生活の中に困難がある時にも私たちが気づかない仕方で確かに導いてくださいます。
 「同じように、私はあなたたちの老いるの日まで白髪になるまで、背負って行こう。私はあなたたちを造った。私が担い、背負い、救い出す。」旧約聖書のイザヤ書46章4節の御言葉です。

毎年春になると花が咲くのは神様がして下さることです。同じように神様は私たちのことも覚えて見守って、咲くことができるように必要なものを与えて下さいます。神様は、困難のない生活を与えるとは約束していません。しかし神様は私たちにどんなことがあっても全てご存じで、私たちと共に歩んで下さいます。この世界はいつも変化ばかりですが、神様の私たち一人一人に対する愛や良いご計画は変わりません。神様は私たちを担い、背負い、救って下さいます。独り子イエス様をこの世に送って下さったことに、神様の私たちに対する変わらない愛が示されています。イエス様が私たちの救い主でいらっしゃっることを信じることが出来れば、神様は私たちを神様の国までも背負って導いてくださいます。

4月14日 スオミ教会家庭料理クラブのご報告

キャベツのキャセロール色とりどりの春の花が咲く穏やかな土曜日の午後、
家庭料理クラブは「キャベツのキャセロールとジャガイモのサラダ」を作りました。
出盛りの淡いグリーンのキャベツは、なんと大きなボウルに山盛り三杯、
茹でて使いますが、他の材料を加えて三台のキャセロール型に収まるのか、
少し心配になりました。

ジャガイモのサラダは、ピクルスを使ったさっぱりしたお味、
新じゃがの風味も生きた、美味しい一品の完成です。

特別にパイヴィ先生の焼いて下さった
「マーラスレイパ」の差し入れもあり、牧師館は、豪華な食卓になりました。

春の花お料理が出揃い、お祈りをして試食会のスタートです。

会話も進み、賑やかな食卓も一段落したころ、
パイヴィ先生から、フィンランドのキャベツの種類や、
色々な料理法の説明を受けたり、復活されたイエス様のお話を聞かせて頂きました。

参加の皆様、綺麗に最後まで片付けてください
まして、ありがとうございました。またご一緒出来るのを、楽しみにしています。


2018年4月14日キャベツとイースターの話

キャベツのキャセロールキャベツのキャセロール

キャベツのキャセロールはフィンランドの家庭料理の伝統的な料理の一つです。それをオーブンで焼いていると、外から家の中に入ったら、キャベツの香りでご飯は何かすぐ分かります。キャベツが好きな人ならご飯が待ち遠しくなりますが、キャベツがあまり好きではない人は少しがっかりかもしれません。今日料理教室に参加された皆さんは、キャベツはお好きだったでしょうか?

キャベツのキャセロールは作るのはあまり難しくありません。作る段階は、キャベツを茹でること、ひき肉を炒めること、そして最後にキャセロールをオーブンで煮込むことの三つです。美味しいキャベツ・キャセロールを作るのに大事なのはオーブンの中で長く煮込むことです。焼く時間が長ければ、美味しい出来上がりになります。今日は時間が限られているので、煮込む時間はあまり長くありませんでしたが、美味しいキャセロールができたのではと思います。

キャベツキャベツはフィンランドでは昔から育てられて、今もよく使われる野菜の一つです。残念なことに、キャベツの料理は最近、家庭で作られることが減っていると言われています。フィンランドではキャベツの種類は、新キャベツ、夏キャベツ、秋キャベツ、冬キャベツと4つあります。6月から7月の中ごろまでの新キャベツと夏のキャベツの葉っぱは柔らかくて、キャベツの玉も軽いです。秋と冬のキャベツは固い感じで、玉も重いです。キャベツは健康にもとても良い食材です。カロリーは低く、繊維、ビタミン特にビタミンC,E、K,そしてミネラルが沢山入っています。カロリーが低いため、キャベツを使うダイエットで体重を減らす方法がフィンランドの雑誌に時々紹介されます。

フィンランドではキャセロールの他にどんなキャベツの料理が作られるでしょうか?一番一般的なものはキャベツのスープです。スープにはキャベツの他にひき肉か羊の肉や人参などを入れます。羊の肉はキャベツの料理によく合います。他には、スープと似ていますが、キャベツの煮込み、キャベツロールがあります。もちろん、キャベツのサラダも作られます。ところでもう一つフィンランド独特のキャベツの料理があります。それはハパンカーリという、発酵させたキャベツです。臭いは強く、味も酸っぱくて漬物みたいです。これは家では作るのが難しく、店で売られています。

日本では新キャベツが店に出るのは3月の終わり頃です。ちょうど日本のきれいな春の季節の時です。春はキリスト教会のカレンダーではイースター・復活祭の季節です。スオミ教会でも2週間前にイースターのお祝いをしました。イースターというのは、十字架にかけられて死なれたイエス様が神様の力で復活されたことを覚えてお祝いする日です。これから、イエス様の復活の後に何が起きたかについて聖書に書かれていることをお話したく思います。

十字架の死から三日後の朝、復活されたイエス様が弟子たちや自分の教えをよく聞いていた婦人たちの前に現れました。そして同じ日の夜、弟子たちがある家に集まっていると、突然イエス様が部屋の真ん中に立って「あなた方に平和があるように」と言われました。弟子たちは恐れて、幽霊だと思いました。しかし、イエス様は弟子たちに自分の手足と十字架の時に受けた傷を見せて、幽霊には骨も肉もないが自分にはあると言われました。弟子たちは最初驚くばかりで信じられない気持ちでしたが、次第にイエス様の復活を受け入れて、心が平和に満たされていきました。

「あなたがたに平和があるように。」これは、イエス様が弟子たちの前に現れた時に一番初めに言われた挨拶の言葉でした。つい三日前の金曜日、イエス様は十字架に付けられて死なれました。その時弟子たちは皆恐くなって、イエス様を見捨てて逃げてしまいました。悲しんで後悔している弟子たちに、復活されたイエス様は責めるようなことは何も言わず、ただ「あなたがたに平和があるように」と挨拶されたのです。

神様が平和を与えて下さるという約束は、聖書の中で最も重要な約束の一つです。旧約聖書のイザヤ書の53章には、「彼の受けた懲らしめによって私たちに平和が与えられる」と預言されていました。イエス様が受けた苦しみによって与えられた平和とはどんな平和でしょうか?イエス様は神様のひとり子としてこの世に送られました。神様のことについて人々に教え、聖書のヘブライ人への手紙2章また困っている人や苦しんでいる人たちを奇跡の業で助けました。イエス様は十字架にかけられて死なれましたが、それは、私たち人間が持っている、神様の目から見て悪いことを全部背負って、私たちのかわりに神様の罰を受けられたのでした。しかし、神様は、イエス様を死から復活させることで、死を超えた永遠の命への道も開かれました。それで、イエス様を信じると罪が赦されて、神様との間に平和な関係が生まれることになったのです。これが、イエス様が受けた苦しみによって与えられた平和です。歴史の一番最初のイースターの日に起きたイエス様の復活によって、平和の約束が実現されたのです。

イエス様が弟子たちに言われた平和の挨拶は、この世の全ての人々、私たちにも向けられています。何かを恐れている人、心配なことや後悔がある人も皆、イエス様のおかげで神様と平和な関係が持つことができるとわかれば、心に平安を得ることができるのです。

説教「イエスと共に」Martti Poukka牧師、マルコによる福音書11章1−11 節

礼拝の締め括りにフインランド賛美歌15番を演奏してくださいました。

今年の2月16日から24日まで、イスラエルに旅行しました。とても面白かったです。色々な聖書の場所を見ましたし、良い歴史についての話を聞きましたし、美しい景 色を見ながらバスにも乗りました。そして、ナザレに行った時、生きているろばを見ました。もちろんたくさん写真をとりました、そして、このろばの親のの親 の親の事を考え始めました。今でもある地域では、ろばは色々な農家の仕事をやっています。体が強い動物だからです。昔もそうでした。でも、ある昔の 子ろばは、とても大切な仕事をするために選ばれました。それは、イエスのための仕事でした。

今日の聖書の箇所を読みましょう。

初めに

1.一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山のふもとにあるベトファゲとベタニアにさしかかったとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、

2. 言われた。「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、連れて来なさい。

3。もし、だれかが、『なぜ、そんなことをするのか』と言ったら、『主がお入り用なのです。すぐここにお返しになります』と言いなさい。」

このみことばは神様のご計画を表しています。神は長い時間をかけて、人類が救い主を迎えるように、準備されました。そして、ついに時が満ち、神はその独り子を世の救い主としてお送りになりました。四福音書はその救い主の生涯と御業とのよい音信を伝えています。

「しかし、時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました」(ガラテヤ4:4)。

聖書の箇所に戻りましょう。

4.二人は、出かけて行くと、表通りの戸口に子ろばのつないであるのを見つけたので、それをほどいた。

5。すると、そこに居合わせたある人々が、「その子ろばをほどいてどうするのか」と言った。

6。二人が、イエスの言われたとおり話すと、許してくれた。二人が子ろばを連れてイエスのところに戻って来て、その上に自分の服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。

子ろばはイエスに大切な仕事をもらいました。それは、ろばの力で、イエスを運ぶ仕事です。

次に

8.多くの人が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は野原から葉の付いた枝を切って来て道に敷いた。

9.そして、前を行く者も後に従う者も叫んだ。「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。

多分人々は.預言者の言葉を思い出しました。ゼカリヤ書/ 09章09節
娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者/高ぶることなく、ろばに乗って来る/雌ろばの子であるろばに乗って。

イエスと子ろばの事は、昔から預言されていたことです。

イエスとろばは、やっとエルサレムに到着しました。

11。こうして、イエスはエルサレムに着いて、神殿の境内に入り、辺りの様子を見て回った後、もはや夕方になったので、十二人を連れてベタニアへ出て行かれた。

イエスは、神様のご計画に従って、神殿の境内を見た後、また旅をつづけました。神様の計画による仕事がまだまだ残っていたからです。

子ろばは、イエスに大切な仕事を頂きました。私達人間もそうです。

マタイによる福音書/ 28章18節

イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。

19。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、

20。あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」

こ れは、弟子達が聞いた言葉でしたが、私達にとっても大切な御言葉です。イエスは、私達の仕事も必要として下さいます。その仕事は、子ろばにとっては足と力 でした。私達にも、色々な賜物(タレント)があります。それは、神様に頂いた賜物(タレント)です。そして、それは福音のために使うべきものです。

このような教えが書いてあります。

「奉仕への贖い」

神がその恩恵によって、私たちの罪を赦してくださったために、私たちの内に感謝と愛と信仰による服従心が生まれ、神と隣人とに奉仕するようになります。キリスト者の全生涯は奉仕の生涯であり、このような奉仕の生涯を私たちはキリスト教倫理と呼びます。

「わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです」(第一ヨハネ4:19)。

「なぜなら、キリストの愛がわたしたちを駆り立てているからです。わたしたちはこう考えます。すなわち、一人の方がすべての人のために死んでくださった以上、 すべての人も死んだことになります。その一人の方はすべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きる のではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです」(第二コリント5:14-15)。

「互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです」(ガラテヤ6:2)。

「信仰は、活発で、勤勉な、力強いものですので、絶えず善い業をしないでいることは不可能です」(マルティン・ルター)。

キリスト者の人生には、目的がありますし、希望もあります。それは、イエスの十字架による永遠の命の希望です。

この希望について、このような教えが書いてあります。

キリスト者の希望

時代の混乱の最中にあって、キリスト教会は神の国が栄光の中に現れる栄光の日を、神の御約束を信じて待ち望んでいます。その時に神は全てにおいて全てとなられるのです。

「わたしたちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように。神は豊かな憐れみにより、私たちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え」(第一ペテロ1:3)。

「このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ」(ルカ21:28)。

私達も、子ろばのように、希望を持って、イエスと共に教会のために働きましょう。

祈りましょう

天の父なる神様。子ろばは、あなたの御子イエスと共に働きました。これは、あなたの計画の通りだったのです。あなたは、人間を救う計画を作ってくださいまし た。私たち弱い人間は、あなたの知恵と力は理解できませんが、私たちを助けてください。あなたは人間ではなく、私たちの考えを超える神様でいらっしゃいま す。ですから、全部の約束も守ってくださいます。

聖書を読んで、イエスが復活されたということが分かります。これは私たちの一番大きな喜 びの元です。あなたはイエスを私たち人間の救いのために、罪の赦しのために送ってくださいました。そして、私たちの本国の天への道も教えてくださいまし た。それは私たちの人生の目的です。どうか私たちに天国への道を見せてください。

今日もあなたの教えを聞けるように導いてください。私た ちは信仰によってあなたの子どもです。私たちは恵みによって救われます。どうか、私たちがあなたの父なる神様のみ守りに信頼できるように私たちを強めてく ださい。イエスと共に人生の道を歩めますように。私たち一人一人にあなたからの使命を教えてください。子ろばは、足と力をもって働きました。私たちがあな たの子どもとして出来る社会的な義務や御国のためにできる仕事を教えてください。福音や神の招き、復活の喜びをどうすれば世界へ伝えることができるのか、 私たち一人一人に教えてください。また、あなたに与えられた力によって子どもと隣人を大切に出来るように、互いに支え合うことが出

来るように私たちの愛を主イエスキリストによって強めてください。心の中にあなたの光を照らすことができますように。この祈りを主イエスキリストのみ名によってお祈りいたします。アーメン


説教「信じるとは、心の目で見ること」神学博士 吉村博明 宣教師、ヨハネによる福音書3章13-21節

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン

 わたしたちの主イエス・キリストにあって兄弟姉妹でおられる皆様

1.はじめに 

東日本大震災からちょうど7年が経ちました。東京にいる私たちも、本当に立ち止まって被災した方々や犠牲者の遺族の方々そして今なお避難生活を送っている方々を心に留める日です。礼拝の後半部分で教会の祈りの部があります。その時に苦難の道を歩まれた方々のためにお祈りいたしましょう。本日の説教では、聖書の箇所の解き明しに努め、私たちの造り主である神は私たちに何を求めているのか、それに対して私たちはいかに応えて行くべきかということを御言葉から明らかにしていきたいと思います。その明らかになったことを心に刻んで、また明日から始まる平日の日常に戻って、自分自身の課題に取り組んだり、また私たちを取り巻く時代のいろんな問いかけに向き合ってまいりましょう。

 そういうわけで本日の説教は、本日の福音書の箇所、ヨハネ福音書3章13-21節にあるイエス様の言葉を解き明かすことが中心ですが、これは実は本日の旧約の日課、民数記21章4-9節と使徒書の日課、エフェソ2章4-10節とも密接に結びついています。これらの3つの聖句を互いに突きあわせることで、ヨハネ福音書のイエス様の言葉がよくわかってきます。ヨーロッパ中世の神学者で名前は忘れましたが、聖書は聖書に拠って解釈される、と言った人がいます。聖書の箇所で難しいところがあっても、聖書内の別の箇所と結びつけたり照らし合わせたりしてみるとわかるということです。いたずらに聖書外部の知見を持ちこんで、もともと神が意図していなかったことをさも神の意思であるかのように言うのではなく、聖書の良き解釈者はあくまで聖書であるという姿勢で行くのが、全知全能の神の意思に近づける近道です。

 そういうわけで、本日の説教ではヨハネ3章13-21節の解き明かしを、民数記21章4-9節とエフェソ2章4-10節と突きあわせながら行っていきます。そこでは、三つのことが大事なこととして見えてくると思います。一つは、信じるというのは心の目で見るということ。二つ目は、信仰とは神から与えられたものを受け取って生きること。三つ目は、隣人のために祈ることの大切さです。

 

2.信じるとは、心の目でみること

 本日の福音書の箇所は、イエス様の時代のユダヤ教社会でファリサイ派と呼ばれるグループに属するニコデモという人とイエス様の間で交わされた問答(ヨハネ3章1-21節)の後半部分です。この問答でニコデモはイエス様から、人間が霊的に生まれ変われるということについて、また神の愛や人間の救いについて教えを受けます。

本日の箇所でイエス様はニコデモに、「モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられなければならない。それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命をえるためである」と述べます。モーセが荒れ野で蛇を上げたという出来事は、先ほど読んで頂いた民数記21章の日課にありました。イスラエルの民が約束の地を目指して荒れ野を進んでいる時、過酷な環境の中での長旅に耐えきれなくなって、指導者のモーセのみならず神に対しても不平不満を言い始めます。神はこれまで幾度にも渡って民を苦境から助け出したにもかかわらず、一時すると民はそんなことは忘れて新しい試練に直面するとすぐ不平を言い出す、そういうことの繰り返しでした。この時、神は罰として「炎の蛇」を大量に送ります。咬まれた人はことごとく命を落とします。民は神に対する反抗の罪を認めてそれを悔い、モーセにお願いして神に祈ってもらいます。モーセは神の指示に従って青銅の蛇を作り、それを旗竿に掲げます。それを仰ぎ見る者は、「炎の蛇」に咬まれても命を失わないで済むようになりました。

 イエス様は、自分もこの青銅の蛇のように高く上げられる、そして自分を信じる者は永遠の命を得る、と言います。イエス様が高く上げられるというのは十字架にかけられることを意味します。イエス様は、旗竿の先に掲げられた青銅の蛇と十字架にかけられる自分のことを同じように考えています。旗竿に掲げられた青銅の蛇を見ると命が助かる。それと同じように十字架にかけられたイエス様を信じると永遠の命を得られる。ここには、両者がただ木の上に上げられたということにとどまらない深い意味が含まれています。

 民数記21章の出来事に出て来る「炎の蛇」שרףですが、興味深いことに各国の聖書では「猛毒の蛇」と訳されています(英語NIV、フィンランド語、スウェーデン語)。ヘブライ語の辞書を見ると、確かに「炎の蛇」と書いてありますが、「猛毒の蛇」はありません。訳した人たちはきっと、古代人というのは蛇が毒で人を殺すことを炎で焼き殺すことにたとえたのだろう、毒が回って体が熱くなるから炎の蛇なんて形容したんだろう、恐らくそんな考え方で辞書にはない言葉を使ったんではないかと思われます。「炎の蛇」など現実には存在しないと言わんばかりに、出来るだけ理性的に捉えた方が良いと考えたのでしょう。欧米人にはどうもそういうところがあるように思われます。しかし、彼らが作った辞書にせっかく「炎の蛇」とあるのだから、ここはもう少し踏みとどまって、「炎の蛇」で通すことにします。

モーセは神から「炎の蛇」を作りなさいと言われます。そこで彼がとっさに作ったのは当時の金属加工技術で出来る青銅の加工品でした。土か粘土で蛇の型を作り、そこに火の熱で溶かした銅と錫を流し込みます。その段階ではまだ高熱でまさに「炎の蛇」です。しかし、冷めて固まります。それを神に言われたように旗竿の先に掲げます。そこにあるのは、高熱からさめて冷たくなった蛇の像です。金属製ですので、もちろん生きていません。なんの力もありません。それに対して生きている「炎の蛇」は、人間の命を奪おうとします。これは罪と同じことです。創世記3章に記されているように、最初の人間アダムとエヴァが悪魔にそそのかされて、造り主の神に対して不従順になって罪を犯したことが原因で人間は死ぬ存在となってしまいました。

イスラエルの民が「炎の蛇」に咬まれて命を失うというのは、まさに神に対して罪を犯すと、その罪が犯した者を蝕んで死に至らしめるということを表わしています。そこで、罪を犯した民がそれを悔い神に赦しを乞うた時、彼らの目の前に掲げられたのは、冷たくなった蛇の像でした。それは、彼らの悔い改めが神に受け入れられて、蛇には人間に害を与える力がないことを表わしました。神が与える罪の赦しは、罪が持つ死に至らしめる力よりも強いということを表わしたのでした。それを悔い改めの心を持って見た者は、そこで表わされていることがその通りになって死を免れたのです。

これと同じことがイエス様の十字架でも起こりました。罪が人間の内に入り込んでしまったために、造り主の神と造られた人間の結びつきが壊れてしまいました。神はこれを修復しようとして、ひとり子イエス様をこの世に送り、彼に全ての人間の全ての罪を負わせて、十字架の上で罪の罰を受けさせました。まさにイエス様が、全ての人間の罪を人間に代わって償って下さったのです。さらに、全ての罪が十字架の上でイエス様と抱き合わせになる形で断罪されました。その結果、罪もイエス様と一緒に滅ぼされてその力が無にされました。罪の力とは、人間が神との結びつきを持てないようにしようとする力であり、人間がこの世から去った後も造り主のもとに永久に戻れなくなるようにする力です。その力が打ち砕かれ、無力と化したのです。こうしたことがゴルゴタの十字架の上で起こりました。ところが、一度滅ぼされたイエス様の方は三日後に神の力によって死から復活させられました。それによって、永遠の命への扉が人間に開かれました。罪の方はと言えば、もちろん復活など許されず、滅ぼされたままです。その力は無にされたままです。

このように神はイエス様を用いて全ての人間の全ての罪の償いをして下さり、また罪の力を無にして人間を罪の支配下から贖って下さいました。ところが、人間の方が、この神の整えて下さったものを受け取らない限り、償いも贖いも人間の外部によそよそしく留まっているだけです。せっかく準備ができているのに、それと無関係でいることになります。真にもって勿体ない話です。それでは、神がイエス様を用いて準備して下さった償いと贖いはどのようにして受け取ることが出来るでしょうか?

 それは、十字架にかかっているイエス様を心の目で見ることです。かつてイスラエルの民は、悔い改めの心を持って必死になって青銅の蛇を見ました。そして蛇の像が表わしていた毒消しがその通りに起こって、もう炎の蛇にかまれても大丈夫になりました。ところが、私たちはイエス様の十字架をイスラエルの民のように肉眼で見ることはできません。それは2000年前に立てられたものです。それゆえ、心の目で見なければなりません。心の目で見るというのは、まず思い浮かべることです。私たちは、思い出や愛する人を目の前にいるかのように思い浮かべたりします。イエス様の十字架の場合はもう一つあって、十字架に何があるかを知っていて思い浮かべるということです。イエス様の十字架に何があるかというと、私たちの罪があります。あそこで項垂れて死なれたイエス様がおられる。彼の肩や頭には私の罪が重く圧し掛かっている。イエス様はあそこでそれを私に代わって償って下さったのだ。そのようにわかって思い浮かべると、十字架のイエス様を心の目で見たことになります。それが出来た人はもう、イエス様を自分の救い主と信じてそう告白することができます。その時、罪の償いと罪からの贖いはもう外部によそよそしくあるものではありません。その人の中に入って、その人の中でその通りになります。まさにモーセの青銅の蛇と同じことが起こったのです。

3.信仰とは、神から与えられたものを受け取って生きること

  十字架のイエス様を心の目で見ることができる人には、罪の償いと罪からの贖いが起こることがわかりました。罪が償われて、罪から贖われるというのは、神から罪を赦してもらったということですから、そうなると神との結びつきを回復できたことになります。なぜなら、罪がその結びつきを壊していたのですから。神との結びつきを回復できた人は、それからはその結びつきを持ってこの世の人生を歩むこととなり、順境の時も逆境の時もいつも神から守りと良い導きを得られ、万が一この世から死ぬことになっても、その時は手を取って引き上げられて永遠に御許に戻ることができるようになります。不思議なことに、この結びつきを失ってしまった原因は人間にあるのですが、神がそれをひとり子を犠牲にしてまで取り戻して下さったのです。これが、神の愛と言われるものです。人間はただ、神が「こっちで準備は全部したから、あなたは受け取りなさい」と差し出して下さるものを受け取るだけで良いのです。

 エフェソ2章8節で使徒パウロは、「事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました」と述べますが、まさに救いとは、人間の方では神の気を引くようなことは何もしていないのに、神の方がただ人間を憐れんで一方的に「受け取りなさい」と言って差し出してくれている、それを受け取ることです。まさに神から人間への「お恵み」を受け取ることです。しかし、先にも申し上げましたように、人間がこの差し出されたものを受け取らないでいると、それは外側によそよそしくあるだけです。それを心の目で十字架のイエス様を見て受け取ってはじめて自分のものになり、それからは、神との結びつきを持って今の世と次の世の両方を貫く人生を歩むことができるようになります。この、神から与えられるものを受け取って生きることが「信仰」です。パウロは、救いは恵みによる、信仰による、と言って、二つなければならないことを言いました。「信仰による」(ギリシャ語原文では「信仰を通して」)がなければ、神が差し出すものは受け取られておらず、外側によそよそしくあるだけです。「恵みによる」がなければ、人間は救いを自分の力で得ようとして、それを信仰と呼ぶようになってしまいます。信仰とは神から与えられるものを受け取ることに徹することなのです。

信仰をそんな受け身で考えていいのか、と疑問をもたれるかもしれません。そんなことでは神からの贈り物を自分だけで消費する、利己的な人間になってしまうのではないか、という疑問です。私としては、神がひとり子を用いて準備して下さったものというのは、受け取ることに徹すれば徹するほど、利己的な人間から離れていくのではないかと思います。というのは、十字架のイエス様を心の目で見ることができると、魂は大きな解放感と深い厳粛さを同時に味わうことになります。神に対する負い目である罪を償ってもらったこと、罪の支配から贖ってもらったことはなんとも言えない大きな解放感をもたらします。同時にその解放が神のひとり子の尊い犠牲によるものであるというのは厳粛な気持ちにさせます。この全く異なる二つのことが同時にあることが大事です。厳粛さだけでは重苦しく暗くなるだけです。解放があるから喜びがあります。また解放感だけでは軽々しくなります。厳粛さがあるから軽はずみなことには走りません。キリスト信仰者というのは誰しも、こうした解放の喜びと厳粛さを同時に兼ね備えていると思います。バランスの取り方は人それぞれでしょう。

解放も厳粛も神の成し遂げたことから来ていますから、それらが魂に響いているキリスト信仰者は、神の意思に沿うように生きるのが当然という心になります。それでは、神の意思とはなんでしょうか?それは十戒にあります。先週の説教で少し詳しくお話ししました。それから、イエス様が十戒の主旨を二つにまとめて、神を全身全霊で愛することと隣人を自分を愛するが如く愛することが大事だと教えています。それと照らし合わせながら十戒をみます。また使徒パウロは具体的な場面でそれらをどう実践するかについて教えています。悪に対して悪で報いるな、とか、少なくとも自分の方からは他人と平和を保つように努めよ、とか、正義の実現のためと言っても復讐は正当化されない、償いも謝罪も何もなかったことについても神が最後の審判で決着をつけるからそれに委ねよ、等々。これらは、キリスト信仰者のこの世での立ち位置を教えています。

エフェソ2章10節でパウロは、「なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです」と述べています。「善い業」とは具体的にはどんな業なのかを考える時、今申し上げたこと、つまり、神が与えて下さるものを一所懸命に受け取るとそこから神の意思に沿うように生きようという心が生まれる、ということを思い起こしてみると良いと思います。もともと人間は神に造られたものとして、神との結びつきをもっていましたが、それが罪のために失われてしまった。それをイエス様が自分を犠牲にして回復して下さった。「イエス・キリストにおいて造られた」というのは、イエス様を救い主と信じることで、この世を生きる新しい命が与えられた、まさに新しく造られたことを意味します。その時、神の意思に沿うように生きようという心が生まれますが、それはもともと神が人間を造った時にあったものでした。それは堕罪で失われてしまいましたが、また回復したのです。まさに神が天地創造の時、「前もって準備してくださった」ものを、イエス様を救い主と信じることで回復したのです。

それから、新共同訳で「わたしたちは、その善い業を行って歩むのです」と言っていることについて。ギリシャ語原文では「善い業を行って歩む」とは言っていません。「善い業の中で歩む」です。「善い業の中で」というのはわかりにくいですが、要は、善い業と結びついているということです。実際に行って行為として現れる場合もあれば、神の意思に沿うように生きようという心の有り様も含まれます。

4. 隣人のために祈ることの大切さ

 ヨハネ福音書3章の本日の箇所の後半(18-21節)で、イエス様は自分のことを信じない者についてどう考えたらよいかについて教えています。信仰者にとっても気になるところと思われますので、ちょっと見てみましょう。

3章18節でイエス様は、彼を信じる者は裁かれないが、信じない者は「既に裁かれている」と述べます。これは一見、イエス様を信じない者は地獄行きと言っているように聞こえ、他の宗教の人や無神論の人が聞いたらあまりいい顔しないでしょう。ここで注意しなければならないことがあります。確かに人間には善人もいれば悪人もいますが、先ほども申し上げたように、人間は堕罪以来、自分を造られた神との間に深い断絶ができてしまっている、これは善人も悪人も皆同じです。みんながみんな代々死んできたように、人間は代々罪を受け継いでいます。みんながみんな、この世を去った後は永久に神から離れ離れになってしまう危険に置かれている。しかし、イエス様を救い主と信じることで、人間はこの滅びの道の進行にストップがかけられ、永遠の命に向かう道へ軌道修正されます。信じなければ状況は何も変わらず、堕罪以来からある滅びの道を進み続けるだけです。これが、「既に裁かれている」の意味です。軌道修正されていない状態を指します。従って、それまで信じていなかった人が信じるようになれば、それで軌道修正がなされて、「既に裁かれている」というのは過去のことになります。

3章19節では、「イエス・キリストという光がこの世に来たのに人々は光よりも闇を愛した。これが裁きである」と言っています。神はイエス様をこの世に送り、「こっちの道を行きなさい」と彼を用いて救いの道を整備して下さいました。それにもかかわらず、敢えてその道に行かないのは、「既に裁かれている」状態を自ら継続してしまうことになってしまいます。

3章20節では、人々がイエス様という光のもとに来ないのは、悪いことをする人が自分の悪行を白日のもとに晒さないようにするのと同じだ、と言います。これなども、他の宗教や無神論者からみれば、イエス様を信じない者は悪行を覆い隠そうとする悪人で、信じる者は善行しかしないので晴れ晴れとした顔で光のもとに行く人、そう言っているように見えて、キリスト教はなんと独善的かと呆れ返るところだと思います。しかし、それは早合点です。まず、キリスト信仰者とそうでない者の違いとして、そうでない者の場合は、人間の造り主を中心にした死生観がありません。だから、自分の行いや生き方、考えや口に出した言葉が、造り主に全てお見通しという考えがありません。そもそも、そういうことを見通している造り主を持っていません。

キリスト信仰者の場合は逆で、自分の行い、生き方、考え方、口に出した言葉は常に、造り主の意志に沿っているかいないかが問われます。結果はいつも沿っていないので、そのために罪の告白をして、イエス様の身代わりの犠牲に免じて神から赦しをいただくことを繰り返します。毎週礼拝で行っている通りです。これからも明らかなように、イエス様は「信じる者は善行しかしないので晴れ晴れした顔で光のもとに来る」などとは言っていません。3章21節を見ればわかるように、イエス様のもとに来る者は、善行を行うのではなく、「真理を行う」のです。「真理を行う」というのは、自分自身について真の姿を造り主に知らせるということです。善行もしたかもしれないけれど、罪もあわせて一緒に白日に晒すということです。私は全身全霊で神を愛しませんでした、また自分を愛するが如く隣人を愛しませんでした、と認めることです。以前であれば滅びの道を進むだけでしたが、今はイエス様を救い主と信じる信仰のおかげで救いの道を歩むことが許されます。

このようにキリスト信仰者は自分の罪を神の目の前に晒しだすことを辞しません。キリスト信仰者が光のもとに行くのは、こういう真理を行うためであって、なにも善行が人目につくように明るみに出すためなんかではありません。3章21節に言われているように、キリスト信仰者が行うことはまさに「神に導かれてなされる」ものです。そこでは善行も自分の力の産物でなくなり、神の力が働いてなせるものとなり、神の前で自分を誇ることができなくなります。

翻ってイエス様を救い主と信じない場合、そういう自分をさらけ出す造り主を持たないので、イエス様という光が来ても、光のもとに行く理由がありません。しかし、これは、造り主の側からみれば、滅びの道を進むことです。そこから人間を救い出したいがためにイエス様をこの世に送られたのでした。人間を救いたい神からみれば、これはゆゆしき大問題であります。

しなければならないことは、はっきりしています。とにかく福音を宣べ伝えることです。ただ具体的にどうすればよいのか、という段になるといろいろ考えなければならないことがあります。人によっては、宣べ伝えなどに貸す耳など持っていないでしょう。そのような人については、お祈りをします。ただ、お祈りの仕方は、いきなり「イエス様を救い主と信じるようにして下さい」ではなく、その方が抱える具体的な課題や問題の解決を父なるみ神にお願いするのが良いのではと思います。それに続いて、その方の心の目が開かれて十字架のイエス様に気づくように、と付け加えます。どうしてそういうふうにした方が良いかというと、神という方は具体的な問題や課題を通してよく御自分の力や導きを示される方だからです。

 

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安があなたがたの心と思いとをキリスト・イエスにあって守るように。アーメン

 

3月10日の家庭料理クラブのご報告

咲く花は春なのに、吹く風は冷たく、フィンランドの春を感じるような土曜日の午後、スオミ教会家庭料理クラブは「カレリアンピーラッカ」を作りました。
最初にお祈りをしてスタートです。

今回は、九州~の参加のご家族を含めて、参加は16名、牧師館は賑やかな雰囲気に溢れ、生地を作り、伸ばし、プーロをのせて形を作り、着々と作業が進み、鉄板に乗せたピーラッカは、 オープンで次々と焼かれました。
 トッピングは、サーモンとディル、たまごバターが用意され、コーヒーや紅茶と一緒に、賑やかな試食タイムとなりました。

ピーラッカだけや、具材をのせて、オープンサンドふうにしたりと、バリエーション豊富な食べ方を教えていただき、焼きたてのピーラッカに沢山の手が延のびていきます。

一段落してから、ピーラッカの話や聖書のお話を聞かせて頂きました。

参加の皆さま、最後まできれいに後片づけしてくださり、ありがとうございました。

 

2018年3月10日カルヤラン・ピーラッカ、パイヴィ先生

カルヤラン・ピーラッカは、フィンランドの東にあるカルヤラという地方から始まった食べ物です。第二次大戦でカルヤラ地方の一部はソ連に取られたので、そこに住んでいた人々は自分の故郷を去らなければならなくなり、フィンランドの各地に移住しました。それで、カルヤラン・ピーラッカはカルヤラの人々を通してフィンランド全国に広がりました。フィンランド人は最初、カルヤラン・ピーラッカをそれほど美味しいとは思いませんでした。というのは、彼らはパンとおかゆは別々に食べるものと考え、カルヤラン・ピーラッカのように二つを一緒にした食べ物には馴染みがなかったからです。それでも、フィンランド人もだんだん食べるようになって、いつの間にか全国に広がって行きました。そして、かつてカルヤラン・ピーラッカはカルヤラ地方の伝統的な食べ物でした。それがフィンランド全国にとっても伝統的な食べ物になったと言える位、とても一般的な食べ物になりました。カルヤラン・ピーラッカは、普段の日にも、お祝いの時にも出されます。また、フィンランドのどの食料品店でもカフェでも買うことができます。

カルヤラン・ピーラッカを作る材料は、普通の家庭料理で使われるものばかりです。パンを作る時に使うライ麦粉で、皮を作ります。皮の中にいれるのは米のお粥ですが、フィンランドでは昔から、お米はお粥にして食べていました。こうして、カルヤラン・ピーラッカを作る材料は、戦争の後、食糧が不足していた時でもほとんどの家にありました。このように特別な材料ではなく、どの家にもある材料で美味しいものが出来るのは大事です。カルヤラン・ピーラッカはまさにその一つです。カルヤラン・ピーラッカを作るとき、難しいことは、皮になる生地を伸ばすことと、中身の回りに皮をしめていくことです。カルヤラ地方の人たちは、カルヤラン・ピーラッカを作るのがとても上手です。フィンランドでは、毎年夏になるといろいろなお祭りやイベントが開催されますが、カルヤラン・ピーラッカを上手に作る競争もあります。そこでは、誰が一番早くて、きれいなカルヤラン・ピーラッカを作れるかが競われます。いつもカルヤラ地方出身の人が優勝します。カルヤラ地方の人たちにとって、きれいなピーラッカが出来るのは当たりまえのことなのです。他の地方のフィンランド人はなかなかきれいなピーラッカを作れませんが、練習すれば上手になります。

料理クラブの案内にも書きましたように、カルヤラン・ピーラッカは、そのまま食べてもいいし、バターやマーガリンをぬって食パンのように食べてもいいし、チーズやハムや切った野菜やスモークサーモンをのせてオープンサンドにしても美味しく食べられます。あと、フィンランドではゆで卵をすりつぶしてバターを混ぜた「卵バターmunavoi」を塗ったりします。このように色とりどりのバリエーションが楽しめるので、パーティーやお祝いの時にも出されます。カフェや食堂でもサンドウィッチと一緒に並んでいます。普通の家にある、高くない材料から、こんなにいろんな、色とりどりの食べ方が出来て、フィンランドの代表的な食べ物になったというのは驚きです。ところで、イエス様は、野の花の美しさについて次のように述べています。「栄華を極めたソロモン王でさえ、野の花の一つほどにも着飾っていなかった。今日は生えていて明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこんなにも美しく装って下さる」(マタイ6章28-30節)。お金をかけた豪華な食事がソロモン王の衣装と同じとすれば、カルヤラン・ピーラッカは神様が装ってくれる、美しい野の花と同じなのかもしれません。

聖書の神様は、何もないところから素晴らしいものをお造りになれる方ですが、そのことは聖書の最初から出てきます。天地創造の出来事です。神様は、何もないところに向かって、「光あれ」と言って光を造られ、同じように天と地それに海を造られました。それから草や木、太陽と月と星、生き物、そして最後に人間を造られました。神様は、自分が造られたものひとつひとつを確認して、良いものであると言いました。天地創造の時つくられたものは皆、神様の目にかなう良いものだったのです。

聖書の神様は、何もないところから素晴らしいものを造るだけではありません。素晴らしいものが素晴らしさを失ってしまった時でも、再び素晴らしさを持てるように助けて下さる方なのです。人間は初めは良いものとして造られましたが、罪を犯すようになって、神様の栄光の輝きを失い、神様のもとから離れなければならなくなってしまいました。そこで神様は、人間が再び素晴らしさを持てるために何をしたでしょうか?まず、ひとり子のイエス様をこの世に送られました。そして、人間が罰を受けないで済むようにと、人間の受ける罰を全部イエス様に負わせて、十字架の上で死なせました。このイエス様を受け入れた人は、素晴らしさを再び持てるようになり、神様を目指して歩むようになったのです。

このように神様は、何もないところから素晴らしいものを造られ、さらに、素晴らしいものが素晴らしさを失わないように助けて下さる方です。このような神様がいる人は、自分は野の花くらいと思っていても、実際は栄華を極めたソロモン王以上に装ってもらえるのです。豪華でなくても豊かにして下さいます。こんなに素敵な神様は他にいるでしょうか。