2月の家庭料理クラブのご報告

ピーチパイ

そこはかとなく、春の気配を感じさせてくれる穏やかな土曜日の午後、
ピーチパイ家庭料理クラブは「ヨーグルト風味のピーチパイ」を作りました。
最初にお祈りをしてスタートです。

春を感じさせてくれるピーチパイ、
たっぷりの黄桃を入れて、レモンとヨーグルトのほどよい酸味のクリームを乗せたパイは、本来は冷めてからですが、今日はアツアツをフーフーしながら、美味しく頂きました。

さっぱりなパプリカときゅうりのクラッカー乗せを添えて、おしゃべりは弾みました。

パイヴィ先生から、フィンランドの果物事情や、聖書の神様が与えて下さる「大切な果物」についてのお話も聞かせて貰いました。

参加の皆様お疲れさまでした、
是非美味しいピーチパイを、ご自宅でも作って下さい。

料理クラブの話2018年2月10日

来週の水曜日はヴァレンタイン・デーです。皆さんはこの日に何か特別なことをする予定があるでしょうか?ヴァレンタイン・デーが近いのに、今日はチョコレートケーキではなくピーチパイを作りました。このパイは、家族の方たちや友達を喜ばせるためにヴァレンタイン・デーに作っても良いのではないでしょうか?フィンランドでは、ピーチパイは春が近づくとよく作られるパイの一つです。前の年の夏に採って冷凍庫に保存していたイチゴやブルーベリーなどのベリーは、春が近づくと残り少なくなります。それで、ベリーの代わりに缶詰めの果物を使ってお菓子やパイを作ります。黄色の桃は春の明るい雰囲気を良く表すので、春を迎える時に作るお菓子にピッタリ合います。

日本では2,3月になると、桃の木は白とピンク色の花できれいになりますね。そして秋の収穫の季節になると、美味しい桃が実って食べられます。日本人は桃を、このように一年に2回、花と果物で楽しむことが出来るので、うらやましいです。桃フィンランドは寒すぎて桃の木は植えられません。フィンランド人は生の桃をあまり食べたことはありません。時々店で輸入の桃は売られますが、固いのであまり美味しくありません。しかし、フィンランドでも缶詰めの桃は売っています。

ところで、桃は何科の植物でしょうか?それはパラ科の植物で、桜、アーモンド、バラの親せきです。桃の木は中国で一番初めに育てられて、そこから日本や地中海の国々に広がりました。現在はアメリカ、カナダとオーストラリアでも育てられています。桃の中身は白か黄色です。白は元々の桃の色です。面白い事に、イギリスのエリザベス女王はいつも白い桃しか食べないと言われています。白い桃は長い輸送にもよくもち、大きな種は取りやすいので、黄色い桃よりも多く育てられるそうです。

フィンランド人にとって桃は果物の中で高価なものの一つです。皆さんにとっては、どんな果物が高価なものでしょうか?果物には健康によいビタミン、ミネラルが入っているので、毎日食べると栄養のバランスにもよいのです。このように天と地を造られた神様は、私たちの健康のために、また私たちを喜ばせるために色んな種類の果物を与えてくださいます。

聖書には神様が与えて下さる大切な果物について書いてあります。それは、「神様の霊が結ぶ実」という果物です。新約聖書の「ガラテヤの信徒への手紙」5章22節に次のように書いてあります。

「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です」。

つまり一つの実に9つの違う味があるのです。桃や他の果物にも違う味があります。甘い、酸っぱい、苦いなど、いろんな味があります。この神様の霊が結ぶ実は、愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制という、普通の果物の味と違って、全部は良い味です。これらの味は全部、神様が与えて下さるものです。

それでは、神様の霊が結ぶ実とはどんな意味でしょうか?神様の霊が結ぶ実は、神の独り子イエス様の性質を現します。イエス様はどんな方でしょうか?イエス様は世界で一番最初のクリスマスの日にお生まれになりました。お母さんは人間のマリアでしたが、神様の霊の力が働いて生まれたので、人間でもあり、また神様の子でもありました。空腹を覚えたりのどが渇いたり涙を流したり、人間と同じ必要や感情を持っていました。同時に治らない病気の人をいやしたり、大勢の人の空腹を満たしたり、嵐を静めたり、沢山の奇跡の業を行って、多くの人々を助けました。またイエス様は罪を何も犯しませんでした。これは人間にはできないことです。しかし、イエス様は十字架で死ななければなりませんでした。それは、私たちの罪を全部十字架の上運んで、私たちが罰を受けないようにと代わりに罰を受けて死んで下さったからです。しかし、それで終わりませんでした。亡くなられた後、イエス様は復活されました。イエス様の復活のおかげで、私たちにも死を超えた永遠の命が与えられるようになりました。これらのことから、イエス様の私たちに対する愛がとても大きいことがわかります。

私たちがイエス様を信じることが出来れば、私たちはイエス様に結ばれます。そしてイエス様に結ばれていると、私たちも神様の霊が結ぶ実を得られます。イエス様も次のように述べておられます。

「わたしはぶどうの木、
あなたがたはその枝である。
人がわたしにつながっており、
わたしもその人につながっていれば、
その人は豊かに実を結ぶ。」
ヨハネ福音書
15章5節

1月の「家庭料理クラブ」の報告

月曜日には大雪予報も聞かれる前の、穏やかな土曜日の午後、
家庭料理クラブは「野菜スープとオートミールのテーブルロール」を作りました

最初にお祈りをしてスタートです。

オートミールのテーブルロールは、
暖めたミルクに、シロップやイーストとたっぷりのオートミールを加え、発酵させた後に小麦粉等を加えた、ちょっと仕込みかたの違うパン。

しっとり柔らかく、食物繊維たっぷりの美味しい出来上がりに、歓声が上がりました。

野菜スープは、数種類の野菜を煮込み、バーミックスでトロトロに仕上げた、こちらも食物繊維たっぷりの品になりました。

試食タイムはホカホカのスープにカッテージチーズを添えて美味しく頂きました。

パイブィ先生からは、フィンランドのスープのお話や、先日先生の息子さんの電車登校時の道に迷った話から、聖書の 「迷い」についてのお話を聞かせて頂きました。

参加の皆様、最後の片付けまでお疲れ様でした。

 

料理クラブの話2018年1月、吉村パイブィ

今日は今年の初めての料理クラブです。新年になると多くのフィンランド人はいろいろ一年の目標を立てて、新しい年はもっと良い生き方をしようと考えます。フィンランド人がよく立てる目標は食事に関係することです。クリスマスの季節にカロリーの多い食事や甘いものを沢山食べたので、年明けになると、カロリーを減らそうと考えるようになります。それで1、2月のフィンランド人の食事はわりと簡単なものが多く、例えば今日作った野菜が沢山入っているスープとパンはその一つです。簡単な食事にもかかわらず、スープとパンは沢山ビタミン、ミネラル、繊維が入っているので、栄養的に体に良いものです。この間家で今日のスープとパンを作りました。息子は「野菜スープは食べたくない」と言いはっていましたが、ひと口を食べてみたら「美味しい」と言って、あっという間に全部食べてしまいました。息子はこのように、まだ何も知らないのにこうだと思ったら、それが正しいと思うことがよくあります。スープの時はおいしいことが本当とわかってよかったのですが、逆に本当のことがわかって大変になったこともあります。この話は食事に関係ありませんが、先週息子に起こったことについて話したく思います。

息子は毎朝地下鉄に乗って一人で特別支援学校に通っています。安全のために見守り携帯を持っていて、いつも出発の駅と終点の駅と学校に着いたら電話の発信音を、私と父親に鳴らします。

その朝息子はいつものように家を出て、出発の駅と終点の駅から2回発信音が来ました。もうそろそろ学校かなと待っているとなかなか発信音が来ないで、かわりに電話がかかってきました。「お父さん、今僕が歩いているのは方南町通りだよね?だから学校に着くよね?」と聞いてきたのです。方南町通りを歩いているのに学校に着かないというのは、きっと逆の方向に向かっているに違いないとわかり、すぐ父親が探しに出かけました。電話をかけながら、今いる場所はどこか、何か目印はないか、お父さんが着くまで動かないで待っていなさい、とか言いながら、方南町に着きました。息子が言う目印がなかなか見つからず、40分位探し回ってやっと見つけることが出来ました。電話があったので大丈夫とは思いましたが、もしバッテリーが切れたらどうなるか、それが一番心配でした。だから、見つかった時は父親も私も本当に喜びと安心で一杯になりました。

どうして息子は道が分からなくなったのかというと、いつもは東口の改札を出て地上に出るのですが、前から西口に出ることに興味があって、それを試したのでした。おそらく、上に出れば東口と同じように簡単に学校に着くと思ったのでしょう。ところが、目の前に環七通りと方南町通りの大きな交差点があって、今まで見たことのない景色でした。学校へはその交差点を渡って戻らないといけないのですが、今までそんな大きな交差点はなかったので、それでそのまま逆方向に歩いてしまったのです。自分で大丈夫と思っていたことが全然違ったのでした。

聖書には迷うことについて教えているところがあります。イエス様が話された「迷い出た羊」たとえの話はその一つです。ある羊飼いが100匹の羊を持っていて一匹一匹をよく知って世話をしていました。彼にはどの羊も大事でした。ところがある日、一匹の羊がどこかに行ってしまいました。羊は自分の群れがいる場所が分からなくなって戻ることが出来なくなってしまいました。羊飼いはとても心配して、迷い出た一匹をすぐ探しに出かけました。羊飼いは大きな声で呼びながら迷い出た羊を探しました。時間がかかってもずっと探しました。羊飼いは諦めないで、見つかるまで探しました。そして、とうとう羊を見つけました。羊飼いはどうするでしょうか?羊に怒ったでしょうか?そうではなくて、とても喜んで、羊を肩の上にのせて、家に連れて帰り、大きなお祝いをしました。

イエス様はこのたとえから私たちにどんなことを教えているでしょうか?羊は私たち人間のこと、羊飼いは神様のことを意味します。私たち一人一人は、羊飼いが持つ100匹の羊と同じように神様にとって大切なものです。しかし私たち人間は、羊と同じように自分の勝手な方向に向かってしまい、自分の造り主である神様から離れて道に迷ってしまいます。けれでも、神様は私たちのことを忘れません。100匹の群れから迷い出た1匹を探しに行った羊飼いと同じように神様も道に迷った私たちを探して出して、いるべきところに連れ戻してくださいます。私たちはどのように神様のもとに戻ることが出来るでしょうか?それは聖書にある神様の御言葉を聞くことによってです。聖書の御言葉は羊飼いの叫び声と同じです。聖書を通して神様が全ての人々に用意して下さった道が分かります。神様のひとり子イエス様は、「私は道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、だれも父のもとに行くことが出来ない」と教えました。イエス様は、神様のもとに行ける道です。この道を歩んでいけば、あなたは道に迷っていないと、神様は本当に喜んでくださいます。この間道に迷った息子が見つかった時、この神様の喜びがわかった気がしました。

今年も、神様の良い導きが私たち一人一人が歩む道の上に豊かにあるように、お祈りします。

12月の家庭料理クラブの報告

クリスマスが待たれる土曜日の午後、スオミ教会家庭料理クラブは「Bostonkakku」を作りました。

最初にお祈りをしてスタートです。

Bostonkakkuはプッラ生地(イーストを使った甘いパン生地)を丸形に焼いた、クリスマスの特別なケーキです。
レーズンにチェリー、アーモンドダイスをたっぷり巻き込み、出来上がりを想像しながら、ケーキの丸形にカットした生地を並べていきます。

発酵を待つ間、今度はピパルカックの型抜きをしました。

スパイス類をたくさん使った今回のメニューに、牧師館はクリスマスの香りでイッバイになりました。

Bostonkakkuとピパルカックは焼き上がり、グロッギと一緒の試食会は始まりました。
アイシングでデコレーションする予定でしたが、焼きたてのため断念、熱々を美味しく頂きました。

パイブィ先生からは、Bostonkakkuのいわれやアドベントのお話、そして聖書のお話を分かりやすく聞かせて頂きました。

皆さま、よいクリスマスをお迎え下さい。

 

料理クラブの話2017年12月16日

今日作ったBostonkakkuは、私の母がクリスマスの季節に良く作ったお菓子パンです。ドライフルーツやアーモンドなどを中に入れるので、クリスマスのお祝いの雰囲気を高めます。このお菓子パンの面白さの一つは名前です。この名前はアメリカのボストンと関係があるでしょうか?本当かどうかはっきり分からないのですが、ボストンでフライパンの形に似たパンが作られたそうです。そこからフィンランドに伝わったのかどうかは、はっきり分かりませんが、Bostonkakkuはフィンランドの伝統的なお菓子パンの一つになりました。

もう一つ、今日作ったシナモンクッキーは、フィンランドのクリスマスの季節に作られる伝統的なクッキーの一つです。このクッキーはフィンランドのどの家庭でもクリスマスの前に作られます。特に子供たちはこのクッキーを作るのを毎年楽しみにしています。クッキーを焼いているとき、その香りが家中に拡がって、クリスマスが近づいていることを家中のみんなが感じます。

明日の日曜日はもうアドベントの第3の日曜日になります。アドベントは日本語で待降節と言います。キリスト教会では、クリスマスの前の4週間をアドベントと呼びます。その意味は、クリスマスを迎える準備をする期間ということですが、「クリスマスを待つ」という意味もあります。フィンランドではアドベントになると、どの家庭でもクリスマスの準備をします。家の周りにイルミネーションを飾って、暗い外に暖かい光を輝かせます。家の中でクリスマスのお菓子を焼いたり料理を作ったりすると、家中クリスマスの香りで一杯になります。子どもたちはクリスマスが待ち遠しくなって、あと何日したらクリスマスになるかな、と毎日数えます。しかし、時間はとても遅く進んでいるように感じられます。皆さんは子どもの頃クリスマスが来るのを楽しみに待ちましたか?フィンランドには、「待つ人の時間はとても長い」という言い回しがあります。これはアドベントの4週間にピッタリの言葉だと思います。

皆さんも、何か期待する事が起きるのを待った経験があるでしょう。そのような時は、時間は遅く進んでいる感じがするのではないでしょうか?友だちと会う約束をして、先に着いて、早く来ないかなと楽しみに待っていて、もし約束の時間を過ぎても来なかったらイライラするでしょう。でも、待った後で、期待した事が起きたり、友だちが来て「遅れてごめんね」と言ったら、時間が長く感じたことは忘れてしまうでしょう。待つというのは、時々とても長い年月がかかることもあります。聖書には、ある大事なことのために、とても長い年月を待った人たちのことが書かれています。

ある大事なこととは、旧約聖書の中に、天地創造の神がメシアをこの世に送るという預言が書かれていたことです。メシアとは、救世主を意味します。メシアがこの世に送られるという預言は、イエス様がベツレヘムの馬小屋でお生まれになった時に実現しました。これが世界で最初のクリスマスです。イエス様が生まれる前、イスラエルの民もその周りの国々の人たちも、いつかメシアが来ることを知っていました。旧約聖書の学者たちや外国の占星術の専門家も、メシアがいつどこに来るかを調べていました。普通の人たちの中には、神様がお決めになった時に来られるのだから、今はただ神様の御心を信じてその日を待とうと言って、忍耐強く待っていました。

そのような普通の人の一人として、新約聖書にはシメオンという老人のことが書かれています。シメオンは正しい人で、信仰があつく、イスラエルの民が神様の御心に適う民になる日を待ち望んでいました。彼は、メシアを見るまでは死なないと神様に告げられていました。もうかなり年を取っていましたが、それでも必ずメシアに会えると信じて待っていました。ある日シメオンは神様に行きなさいと導かれて、お祈りをするためにエルサレムの神殿に行きました。ちょうどその時、マリアとヨセフの二人が赤ちゃんのイエス様を連れて神殿にやって来ました。シメオンはこの赤ちゃんを見ると、すぐ待ち望んでいたメシアであるとわかりました。彼は母マリアからイエス様を取ってだっこをして、神様に感謝して言いました。「主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせて下さいます。私はこの目であなたの救いを見ました。この子こそ、世界の全ての民のために用意された救いです。異邦人を暗闇から導き出す光であり、あなたの民イスラエルの誉れになる方です。」

シメオンの長い長い待つことは、これで終わりました。神様はシメオンに約束したことをちゃんと果たして下さったのです。シメオンの心は深い平安に満たされました。今だっこしている赤ちゃんが将来、この世の全ての人たちの救い主になると考えただけでわくわくし、神様に感謝しないではいられませんでした。

今年ももうすぐクリスマスになります。私たちも、メシアを待ち望んだシメオンと同じようにクリスマスを待つことは大事なことと思います。クリスマスとは、私たちの救い主であるイエス様が神様のもとから送られて、人としてお生まれになったことを意味します。この意味をクリスマスの日まで毎日繰り返し覚えると、クリスマスは本当に心に平安を与える日になります。皆さんにとって、今年のクリスマスが神様の祝福に満ちた時となりますように。

11月のフィンランド家庭料理クラブのご報告

 
穏やかな初冬の到来に、この日のキャセロールメニューはぴったりでした。

最初にお祈りからスタートです。

今回の参加者は6名、丸形と長方形の型で2台のサーモンとジャガイモのキャセロールをつくりました。

フィンランド人の男性の参加もあり、ジャガイモの皮むきのスピードと綺麗な出来上がりに、子供の頃からお手伝いすると聞き、流石だなと思いました。

下ごしらえした材料を器に敷き込み、卵液を流し込みオープンへ入れて、次は付け合わせの人参です。
人参のすりおろしとパイナップルのあえ物は、簡単で美味しいサラダになりました。

キャセロールの焼き上がりまで1時間程あるのです、パイブィ先生から、キャセロール料理の思い出や聖書のお話を聞かせて頂きました。

オープンからはキャセロールの焼ける香ばしく美味しい香りがしてきます。
焼き上がりのチェックをして、完成です。

熱々のキャセロールを取り分け、バイブィ先生の焼いて下さったパンと一緒に、美味しく頂きました。

下ごしらえをして、後はオープンにお任せできるキャセロール料理は、寒い季節の重宝な一品になりました。

参加の皆様お疲れ様でした。

料理クラブの話 2017年11月 サーモン・ポテト・キャセロール

フィンランドの家庭ではいろいろなキャセロールを作ります。例えばキャベツ・キャセロール、人参キャセロール、以前こちでも作ったマカロニ・キャセロールなどがよく作られます。キャセロールは特にフィンランドのクリスマスの食卓の伝統的な料理です。クリスマスの前に多くの家庭では人参キャセロールやポテト・キャセロールなどを早めに作って、クリスマスまで冷凍で保存します。サーモン・ポテト・キャセロールはフィンランドの伝統的な料理で、1700年ころから貴族の食卓の料理でした。普通の家庭では1800年くらいから作られるようになりました。

今日作ったサーモン・ポテト・キャセロールは私の家でも母が良く作った料理です。母はいつもパンを自分で焼きました。パンを焼く日に母は薪でオーブンを温めました。パンを全部焼き終えると、母はサーモン・ポテト・キャセロールをオーブンに入れて、夕食は簡単にできました。なぜなら、オーブンに入れたままでいいからです。それで母はパンを沢山焼いた後、一休みが出来ました。このように、オーブン料理が好まれる理由の一つとして、オーブンに入れたら他の家事を休むことが出来ることがあります。

サーモン・ポテト・キャセロール「lohiperunalaatikko」は、フィンランドでは寒い季節の料理の一つです。11月になると、外はだんだん暗く寒くなってきますので、フィンランド人は体を温めるご飯を食べたくなります。オーブンで焼く料理を作ると、部屋も暖かくなります。こうして寒い季節にオーブンで作る料理のおかげで体はとても温かくなります。しかし、心はどうでしょうか?温かいご飯と暖かい部屋があれば、心も温かく感じるかもしれませんが、心には体と違う、心を温かくするものがあると思います。例えば、心を温める言葉があると思います。例えば「ありがとう」「楽しいね」「うれしい」と言ったら、言う人も言われた人も心が温かく感じるでしょう。そういう言葉は「心が味わうオーブン料理」と言っても、いいのではないでしょうか?言葉だけでなく、心を温めるお話もあります。皆さんもそのような映画や本を沢山知っているでしょう。私は「心を温めるお話し」を考えると、聖書にある「放蕩息子」の話を思い出します。これはイエス様がたとえを使って人々に語った教えの一つです。それを紹介したく思います。

ある家に息子が2人いました。それは雇い人が沢山いる裕福な家でした。弟の方は好きなことばかりやって暮らしていました。ある日、外国に行きたくなって、父親に強く言いました。「お父さん、お父さんが死んだら僕のものになる財産を今すぐ分けてよ。外国に行ってしたいことがあるんだ。」父親が何を言っても息子は聞きません。父親は自分勝手な息子のことを悲しく思いましたが、財産を兄弟に分けることにしました。弟はそれを全部お金に換えると遠い国に旅立ちました。

息子はそこでとても華やかな生活をしました。高価な服を着て、そこで出来た友人たちと美味しいものを食べ、お酒を飲んで毎日遊んでばかりいました。しかし、いつしかお金はなくなってしまいました。ちょうどその時、その国にひどい飢饉が起こって、彼は食べ物に困り始めました。お金がなくなると、友達もいなくなってしまいました。みんな、お金が目当てだったのです。だれも助けてくれる人はなく、息子は一人ぼっちになってしまいました。

それで息子は仕事を探しました。やっと豚の世話する仕事をもらえましたが、お腹はいつもペコペコでした。きたなくて冷たい豚の餌を食べたいと思うくらいでしたが、持ち主はダメだと言いました。その時、息子は父親の家には温かい食べ物も暖かい部屋もあることを思い出し、もう帰ろうと思いました。でも、父親の財産を無駄に使ってしまった自分はもう息子と呼ばれる資格はないとわかっていました。それで、家の雇い人の一人にしてもらえるように頼んでみようと思いました。父親の前でこう言おうと考えました。「お父さん、僕は天に対しても、お父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください。」

息子は家に帰る途中ずっと、父親は自分と口をきいてくれるだろうか、ドアもあけてくれないのではないかと心配しながら帰りました。やっと懐かしい家が見えました。すると、父親の方が遠くからやってくる息子に気がつきました。着ている服はボロボロで、体じゅう汚く、顔も痩せていましたが、すぐ息子だと分かりました。父親は息子に向かって走って行きました。息子は父親が走り寄ってきたのに驚きました。その時、考えたことを言おうとしましたが、父親の顔をまっすぐ見ることが出来ませんでした。すると父親は息子を抱きしめたのです。驚いた息子は、抱きしめられたまま言いました。「お父さん、僕は天に対しても、お父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はないんです。」息子が「雇い人の一人にして下さい」と言う前に、父親は家来たちに言いました。「さあ、急いで一番良い服を持って来て、息子に着せなさい。手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。それから最高の食材をそろえて、盛大なお祝いの準備をしなさい。息子は死んでいたのに、生き返ったのだ。見失われていたのに、見出されたのだ。祝うのは当然のことではないか!」父親が罰ではなくて愛をもって受け入れたので、息子は生まれ変わることができました。

イエス様がこのたとえを話したのは、神様はどのような方であるかを教えるためでした。父親は神様のこと、息子は私たち人間のことを指します。私たちも神様のもとに戻って行けば、神様はこの放蕩息子の時と同じように必ず私たちを喜んで抱きしめて迎えて下さいます。このように神様の私たちに対する愛は、私たちの罪を赦して受け入れて下さることです。神様のもとに帰る人は皆、神様の子どもになれるのです。「ヨハネの第一の手紙」3章1節に次のように言われています。「御父がどれほど私たちを愛して下さるか、考えなさい。それは、私たちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、その通りです。」

10月の手芸クラブの報告、アロマキャンドル


この秋初めての手芸クラブは10月25日に行われました。雨が静かに降り、外は雨雲のため暗かったでしたが、会場となった教会の2階は明るい雰囲気に包まれました。

手芸クラブは最初にお祈りをして始めます。

今回の作品は、アロマキャンドルでした。はじめに作品のモデルを見て、どんな香りや飾りつけのキャンドルを作りたいかを考えます。きれいな飾り物、カリフラワーや果物が沢山並べられたテーブルはいろんな色で溢れました。ハーブなどの香りのオイルが紹介されて、その後でキャンドルに入れたい香りを考えました。初めにキャンドルの形や飾り物を選びます。紙の上にモデルを作って、キャンドルの飾り物をのせます。次にワックスを溶かして、型に流してから、タイミングの良い時にワックスの上に飾り物をのせます。溶かしたワックスの中に入れたオイルの良い香りがだんだん部屋中に広がりました。楽しく話ながらワックスが固くなるのを待ちます。子どもも固まるのを待ち遠しくしていました。固くなったキャンドルを型から出すと、きれいな飾りや良い香りのするキャンドルが出来上がっていました。みなそれぞれに違う飾り物を施して、全部素敵なアロマキャンドルが完成しました。お家に持って帰ったら、良い香りは家中に広がったでしょう。

かたつけをしてからコーヒータイムに入りました。そこで、冬のフィンランドの氷ランタン作りや聖書の中に出てくる「光」についてのお話がありました。

「光」

手芸クラブの話

今日は皆さんと一緒にきれいな飾りの、良い香りがするキャンドルを楽しく作ることが出来ました。スオミ教会の手芸クラブで初めてこのようなキャンドルを作ることが出来て嬉しいです。
以前、私はフィンランドでキャンドルを作ったことがありますが、それは飾り物ではなくて灯すためのものでした。作るのはかなり大変でした。ロウを溶かして、それに色を入れて、形を作りましたが、あまりきれいなキャンドルは出来ませんでした。しかも、溶かしたロウはいつもあちこちに落ちてしまって、作る場所は汚くなりました。後の掃除も大変でした。今日はキャンドルがとても簡単に作れたので驚きました。

フィンランド人はキャンドルが大好きです。フィンランド人もきれいなキャンドルを飾り物として家に飾ったりしますが、使い方の一番はもちろんキャンドルを灯すことです。これから暗い季節になるので、フィンランド人はキャンドルを沢山灯すようになります。ちょうど今度の週末にフィンランドや他のヨーロッパの国々は夏時間から冬時間に変わります。時計を1時間戻します。(それで日本との時差も6時間から7時間に変わります。)そうすると、フィンランドでは日が沈む時間が早くなって、暗くなるのも早くなります。暗い季節の時にフィンランド人はキャンドルを光として灯しますが、雰囲気のためにも灯します。キャンドルの明かりは暖かい雰囲気をもたらします。雰囲気のために灯すキャンドルは夏の夜レストランでもよく見られます。

冬の暗い季節にフィンランド人は家の中や外でもキャンドルを灯します。そしてクリスマスが近づくと電気のロウソクとイルミネーションも沢山飾ったりします。外に置かれる氷ランタンは面白いものの一つです。それは簡単に作れるので、普通の家庭でよく作られます。バケツに水を入れて、それをマイナスの温度の外に置いて凍らせます。底と周りの部分が凍って、真ん中がまだ凍っていない状態でバケツから氷を取りだします。そうすると、真ん中がカラっぽで、ガラスのような大きな氷の器が出来ます。それをひっくり返して雪の地面に置いて、その中にキャンドルを置いて灯すと、暗い外でとてもきれいに光を照らします。

聖書にも光について書いてあります。聖書の光はイエス様のことを指しています。「イエス様は再び言われた。『私は世の光である。私に従うものは暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。』」ヨハネの福音書8章12節のみ言葉です。

イエス様は「私は世の光である。」と言われました。これはどんな意味でしょうか?この世は、明るい時に目を開ければいろんなものが見えます。しかし、将来どうなるかということは目を開けても見えません。また他の人たちが何を考えているか、それが自分にどんな影響があるのかもわかりません。身近な人だったらわかるかもしれませんが、それもいつも自分が思っている通りとは限りません。そのように私たちは、目で見えないことについては暗闇の中にいるのと同じでしょう。イエス様の光とは、そのような暗闇の中でも心配しないで前に進めるように導いてくれる光です。将来どうなるか、他の人たちとの関係はどうなるか、いろいろ心配はあっても、心の目でその光を見て、それを目指して行けば、安心して前に進めます。進んで行けば、将来どうなるか、他の人たちとの関係もどうしたらよいか、わかってきます。イエス様は本当に導きの光です。

それでは、どうしたらイエス様の光を見つけることができるでしょうか?それは聖書のみ言葉を通して見つけることが出来ます。聖書を読むと、イエス様は本当にそういう光であることがわかってきます。

イエス様からの光は、キャンドルの明かりよりもっと明るく輝く光です。その光は私たちの心の中に入って、イエス様は信頼できる方、だから心配しないで安心して前に進もうという気持ちを起こします。その光は毎日心の中で輝いて、私たちに喜びを与えて下さいます。


次回の手芸クラブは11月22日です。詳しくは、少し後で、教会ホームページの案内をご覧ください。

 

10月21日家庭料理クラブのご報告

大型台風の接近のニュースに、天候が心配される中、10月のスオミ教会家庭料理クラブは、「ムスティッカプッラ」を作りました。

最初にお祈りをしてスタートです。

今回は、フィンランド人の大好きなプッラとブルーベリーの取り合わせに、作業前から期待感が高まりました。

最初はプッラ生地を作ります、
今回は少し柔らか目の生地作りにトライです。
頑張って捏ねた木地は、とても良い出来上がりになりました。
発酵、成形と作業が進み、最後のブルーベリーの登場に、歓声が上がり、丁重に生地に乗せ、オープンへ。
きれいな焼き色と香ばしい香りに、試食タイムが待たれます。

柔らか目に頑張って捏ねた生地は、とても美味しい出来上がりになりました。

パイブィ先生からは、森に自生するブルーベリーのお話をたっぷり聞かせて頂き、
聖書についても、分かりやすくお話しして頂きました。

参加の皆様お疲れ様でした。


次回の「家庭料理クラブ」は、 11月11日を予定しています。


 2017年10月21日ブルーベリーの話

今日は、皆さんと一緒にmustikkapulla ブルーベリープッラを楽しく作ることができました。フィンランドの多くの家庭では、毎年ブルーベリーを採る季節にブルーベリープッラやパイを作るのは習慣になっています。新鮮な採ったばかりのブルーベリーから作るブルーベリープッラを味わうのは家族みんなにとっての楽しみです。

フィンランドでブルーベリーは森で採られるベリーの中で最も人気があるベリーの一つです。ブルーベリーの実は、7月の終わりごろからなり始めますが、収穫は年によって大きく変わります。ブルーベリーの花は寒さにとても弱いです。5月から6月、ブルーベリーの花が咲く時に、もし気温が下がって夜にマイナスになると実はあまり出来ません。また、蜂が少ない年は、受粉も少なくなるので、ベリーの収穫はよくありません。ブルーベリーが出来るのには水分も大事です。よく育つ場所は森の中の湿っているところです。ブルーベリーはフィンランド全国にみられる植物で、高さは15―20cmくらいと低いです。

ブルーベリーは、7月の終わり頃から8月の終わり位まで採ることが出来ます。ちょうどこの頃は森の中に蚊や蠅が沢山いるし、そして暑い夏の日は森の中でブルーベリーを採るのはなかなか大変です。それでも、人によっては、何十リットルも採る人もいます。私たちが住んでいたトゥルクの家の隣のおじいさんは、毎年ブルーベリーを何百リットルも採って、お店や近所の人々にわけてあげたり、売ったりしていました。

フィンランド人はどうしてブルーベリーを沢山採るのでしょうか?それは、健康にとてもよいからです。ブルーベリーには、ビタミンA,B とC、そしてミネラルも多く含まれています。最近ブルーベリーの栄養や健康への良い影響が注目されているので、その使われ方が広がりました。例えば、目にも良い影響があることがわかりました。ブルーベリーの健康への影響はまだ研究されている段階なので、新たな発見も出てくると思います。

フィンランド人は、ブルーベリーをそのまま冷凍にしたり、また乾燥果実にして保存します。もちろん、ベリーからジュースヤジャムも作ったりします。ブルーベリーは、ほとんどデサートやお菓子の材料に使われます。例えば、いろいろな種類のケーキやゼリーなどです。昔は、採ったブルーベリーは、そのまま牛乳と混ぜたりしました。私も子供の頃、そのような飲み物を作ってよく飲みました。飲んだ後は、唇も口の中もブルーベリーの色で青くなりました。

フィンランドの森は、私有地の森でも、ブルーベリーや他のベリーを自由にとることが出来ます。それで、フィンランドではベリーを沢山採るのは、だれにとっても当たり前のように感じられます。しかし、少し考えてみると、これはある意味で奇跡のようにも感じられます。私たちは種を蒔いたり水や肥料をあげなくても、こんなに美味しくて、しかも健康に良い食べ物が沢山得ることが出来るからです。ブルーベリーの実も他の自然の豊かな実りもみな、天と地を造られた神様が私たちに与えてくださるものです。しかしながら、自然から得られるブルーベリーは当たりまえのもののようなので、それを与えて下さる神様への感謝の気持ちは忘れてしまいます。私たちの日常生活の中には神様に感謝することが本当は沢山あると思うのですが、皆さんはお気づきになるでしょうか?聖書の中に感謝について次のように書いてある箇所があります。「いつも、あらゆることについて、私たちの主イエス・キリストの名により、父である神に感謝しなさい。」エフェソの信徒への手紙5章20節です。

私たちは天と地と人間の全てを造られた神様にいつも感謝することが出来るでしょうか?生活の中に嬉しい、素晴らしいことがある時には感謝するのは簡単です。しかし、当たりまえのようになったことは感謝するのを簡単に忘れてしまうのではないでしょうか?また、生活の中に困難がある時には感謝することなどできないでしょう。そのような時、感謝することなんか何もないと思ってしまいます。でも、本当はあるのです。困難の時にも感謝することがあることに気づくと心に平安が得られます。どこに感謝することがあるでしょうか?悩みや苦しみがある時、私たちはお祈りして神様に全てのことを伝えることが出来ます。私たちは自分の父親に対するのと同じように信頼をもって、天の父である神様にお祈りして全てのことを伝えることが出来ます。全てのことを伝えるというのは、大きな信頼のあらわれです。そして、神様を信頼していれば、全てのことを神様の御手に委ねることもできます。こうして、困難がある時に天の父である神様にお祈りして全てを委ねることが出来れば、神様に対して感謝の気持ちが起こってきます。この時、私たちは困難の中にあっても心には平安があります。神様が与えて下さる平安です。

ブルーベリーを含めて、私たちのために与えられるものは全て、神様の手によるものです。だから、私たちの感謝も、最終的には創造主である神様に向けられるのがふさわしいと思います。

9月の料理クラブの話、吉村パイヴィ

料理クラブの話2017年9月

マカロニラーティッコ

今日作ったマカロニラーティッコ、「マカロニカセロール」はフィンランドの家庭料理の中で人気がある料理の一つです。簡単に作れて、シンプルな料理なので、フィンランドの家庭では普段の日によく食べられます。大人も子供も好きな料理です。マカロニラーティッコ

マカロニはフィンランドの伝統的な食材ではなく、1800年代の終わり頃フィンランドで使われるようになりました。マカロニはフィンランドで一番初めに使われるようになったパスタの種類です。初めは普通の家庭で使うものではなく、貴族の食卓のものでした。しかも高価なものだったので、スープとサラダの中に入れる添え物でした。1900年代の初めにマカロニは少しづつ普通の家庭でも使われるようになって、料理の本にもマカロニが入っているレシピが増えました。1970年まではマカロニの種類は二つ、長めのものとカーブの形のものだけでした。その後、種類も増えてきて、現在はスパイラルやいろんな形のものが売られています。

マカロニラーティッコが作られ始めたのはいつ頃からかは分かりませんが、1950年くらいまでは、それはお祝いの食卓の料理でした。その時作られたマカロニラーティッコは今日作ったものと違って、ひき肉を入れず、マカロニ、牛乳、卵、スパイスだけのものでした。ひき肉を使わないマカロニラーティッコはフィンランドの西の地方の伝統的な料理の一つになりました。

ところで、フィンランドの学校の給食で一番の人気料理は何でしょうか?それは、ひき肉入りのマカロニラーティッコです。私の学校時代を思い出すと、給食にマカロニラーティッコがある日、生徒たちはマカロニラーティッコを何回もおかわりして、なくなるまで食べました。学校の食堂の雰囲気もいつもより嬉しい雰囲気で、食堂から出る生徒たちは皆満足そうな顔をしていました。時は変わっても学校の給食の人気料理は変わりません。今も食堂の雰囲気は同じでしょう。

美味しい料理を食べると、私たちは満足して喜ばしい気持ちを持ちます。喜ばしい、良い気持ちは大切です。私たちはそれを望みます。皆さんにとって喜びを与えることは何でしょうか?私たちの普段の生活の中に喜ばしいことはいろいろあります。例えば家族、友達、趣味、自然のきれいな花、美味しい食事などです。私たちはこれらの喜ばしいことに気がつくでしょうか?もし当たりまえのようになったら、忘れてしまうかもしれません。生活の中でいろいろしなければならないことがあって、それらに気を奪われていると、喜ばしいことも忘れてしまいます。

ところで、喜ばしいことはどこに見つかるでしょうか?自分の中に見つかるでしょうか?自分の外側に見つかるのではないでしょうか?私たちの周りをよく見ると、天と地と万物を造られた神様が喜ばしいことを沢山与えて下さることに気づきます。家族、友達、仕事、健康、きれいな秋の天候も皆、神様からの贈り物です。

 聖書の中でイエス様は弟子たちに次のように話されました。「これらのことを話したのは、私の喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。」ヨハネの福音書15章11節です。神のひとり子であるイエス様が教えた大切なことは、神様の計画でした。イエス様はあとで、その計画を実現されました。神様の計画はどんなことでしょうか?それは、私たち人間一人一人を救う計画です。人間は神様の言われたことをしっかり守ることができません。例えば、私たちは隣人を自分と同じように愛することができません。このために神様はひとり子イエス様をこの世に送られました。イエス様は悪いことを何もしなかったのに、私たちがした悪いことを全部十字架の上まで背負って、そこで死なれました。さらに、神様は一度死んだイエス様を蘇らせて、死を超えた永遠の命があることを示されました。イエス様を救い主と信じる人に、その命に至る道が開かれました。

 これらのことを見たイエス様の弟子たちは、イエス様を救い主と信じるようになりました。弟子たちの心は喜びに満たされました。喜び救いの喜びは世界の全ての人のために与えられました。その喜びはフィリピの信徒への手紙に書いてあるように「主にある喜び」です。この喜びがあれば、生活の苦労はなくならなくても、生活の悩みは軽くなります。イエス様がいつも共にいてくだり、私たちのお祈りもよく聞いてくださいます。このことをよく知っていた使徒パウロは次のように言いました。「主にあって常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。」フィリピの信徒への手紙4章4節です。

 今日スオミ教会でマカロニラーティッコを作って味わうことは喜ばしいことになったでしょうか?これからも神様が皆さんの生活に喜びを与えられますようにお祈りいたします。

 私たちは神様が教えられた通りに生きることができないので、本当は私たちは神様から離れることになります。しかし神様は私たち、世界の全ての人々を愛して下さっているので、人間が神様の元に行ける救いのご計画を用意して下さいました。それは悪いことは何もなさらなかった神様の子イエス様の出来事でした。イエス様は十字架で亡くなられましたが、三日目に神様の力で蘇られました。後でイエス様は神様の元天国に昇られました。これらのことは私たちも神様の元に行けるために、私たちを救うために行われました。

 旧約聖書のハバクク3章18節に喜びについてこう書いてあります。「私は主によって喜びわが救いの神のゆえに踊る」私たちはどこから誰に救いださなければならないでしょうか。そして得られる喜びはどんなものでしょうか。

 本当の喜びは救いの神を通して得られるのです。

9月の「スオミ教会家庭料理クラブ」のご報告

マカロにラーティッコ

台風が心配された土曜日の午後、
家庭料理クラブは「挽き肉とマカロニのラーティッコ(キャセロール)」を作りました。

最初にお祈りをして、スタートです。

マカロニを茹でながら、玉ねぎを刻み、挽き肉を炒めて、着々と作業が進みます。

ラーティッコをオーブンに入れたら、次はサラダ作りです。
レタスにキュウリそしてトマトと定番のグリーンサラダは、器に盛り、冷蔵庫で冷やします。

こんがり焼けたマカロニラーティッコと、冷たいグリーンサラダで、試食会になりました。

楽しいおしゃべりの後、パイブィ先生から、マカロニラーティッコの成り立ちや、学校給食に登場した日の、子供たちの喜ぶ様子、聖書のお話も分かりやすく聞かせて頂きました。

参加の皆様、天候の悪いなかのご参加、お疲れ様でした。

マカロにラーティッコ、フィンランド、パスタ料理

「善の力の驚くべき守りに」 フラッシュモブ

フラッシュモブ、フィンランドのトゥルクのテロ事件

フィンランド・トゥルク市で起きたテロ事件からちょうど1週間経った8月25日、現場のマーケット広場に市民が集まって、教会讃美歌600番「善の力の驚くべき守りに」を合唱しました。その模様をyoutubeでご覧いただけます。伴奏者はトゥルク市交響楽団の団員たち。この讃美歌はドイツの有名な神学者ディートリッヒ・ボンヘッファーの作詞によるものです。この歌の内容については、9月3日の吉村宣教師の説教の中でも触れられています。併せてご覧ください。

交わり

吉村ヨハンナさんが今日の礼拝で帰国することになりました。母国フインランドでの大学進学のためです、若き学究の徒の前途を祝って教会からささやかな送別会を催しました。

 

最初に「証」のスピーチが村越さんの通訳で行われました、ひごろ物静かなヨハンナさんが内に秘めたる思いを綴った印象に残るスピーチでした。

コーヒータイムでは先日の音楽祭で披露した”kesäpäivä kangasalla”を有志一同で歌いました、教会の夏のテーマソングになる予感がします。興味のある方はYouTubeでご覧ください。

最後に今夏礼拝のご奉仕をしてくださる田中良浩牧師ご夫妻を囲んで記念撮影です、楽しい一日でした。ヨハンナさんお元気で帰国してくださいnäkemiin!