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昨日の蒸し暑さを忘れてしまうような、爽やかな土曜日の午後、 スオミ教会家庭料理クラブは 「リンゴケーキ」を作りました。
最初にお祈りからスタートです。
計量、リンゴや道具類の準備、 そして、生地作りへと進みます。
今回は10名の参加があり、 牧師館は、賑やかな雰囲気のなか、6台のリンゴケーキが完成しました。
パイビ先生からは、フィンランドの夏、秋、冬のリンゴや、果物事情、そして、聖書に登場する果物のお話を、興味深く聞かせて頂きました。
先生のお話は、教会HPに掲載されますので、是非御覧ください。
参加の皆様、最後まで片付けにご協力頂き、ありがとうございました、またお目にかかれるのを楽しみにしています。
りんごの話
この季節フィンランドの多くの家庭ではリンゴを使ってケーキ、おかゆ、その他のデサート、ジャム、ジュースなどを作ります。それで、リンゴの香りが家の中から外に広がっていきます。今年の夏私たちはフィンランドに一時帰国しましたが、秋のリンゴの収穫はとても良いと分かりました。というのは、どの家でも庭のリンゴの木は枝が折れそうになるくらいにリンゴで一杯だったからです。私の実家のリンゴの木は植えてからまだ数年しかたっていませんが、夏の終わりにはもう沢山りんごが出来ていました。
リンゴはフィンランドで最も古い果物で、千年くらい前にスウェーデンから広がってきました。リンゴはフィンランドの南の地方で良く栽培されますが、北にあるラップランドでは寒すぎて栽培できません。フィンランドのリンゴの実は日本のように大きくて豪華な感じがしませんが、フィンランド人は自分の家の庭にリンゴの木を植えて、大事に育てます。リンゴの木は育てる人を1年に二回喜ばせます。1回目は、五月の終わりにリンゴの木が白い花で一杯になり、花の香りが遠くまで広がります。フィンランド人はこの季節が好きで、リンゴの花が咲くのを毎年楽しみにしています。2回目の喜びは、8月の終わりごろ、赤や緑の実が出来きる時です。
リンゴの出来具合は年によって変わります。今年のように収穫の良い年は、リンゴの木は枝が折れそうになるくらいに沢山の実がなります。しかし、春が寒い年にはリンゴの実は木に何個しかできません。このためにフィンランド人は収穫の良い年にジャムやジュースを作って保存します。
フィンランドではリンゴの木は3種類あって、夏リンゴ、秋リンゴ、冬リンゴと呼ばれます。夏リンゴの実は一番早く出来て、味は甘く、そのまま食べて美味しいリンゴです。秋リンゴの実は固めでジャムやジュースを作るのに用いられます。冬リンゴの実は酸っぱくて、木から採った後、何週間か地下においてから食べます。冬リンゴの実はよくクリスマスの時に食べられます。
リンゴは健康にとても良い果物です。フィンランドのことわざに、「毎日リンゴを1個食べれば、医者を遠ざけることができる」というものがあります。リンゴはビタミン、ミネラル、繊維など沢山入っているので、健康に良いのです。秋、仕事場のおやつにリンゴを持って行く人は多いです。仕事場で自分の庭で育てたリンゴを同僚の人たちに分けてあげるのは、楽しいことの一つです。
リンゴは甘ければ甘いほど美味しいですね。しかし、フィンランドには冬リンゴのように酸っぱいものもあります。口からすぐ吐き出したいくらい酸っぱいものもあります。私は、健康に良いリンゴの実には甘いものと酸っぱいものがあるというのは、聖書のみ言葉にもいろいろな「味」があるのと同じではないかと思います。あるみ言葉は甘くて、もっと読んだり聞きたいと思います。ところが、あるみ言葉は酸っぱくて、読みたくないし、聞きたくもありません。このような聖書のみ言葉はどんな言葉でしょうか?
例として、2つの聖書の箇所を選びました。一つ目は、聖書の中でとても有名な箇所、「ヨハネの福音書3章16節です。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」フィンランドでは中学2年生の子供たちは教会の堅信礼の教育を受けるので、この箇所をよく覚えている人が多いです。神様は、このみ言葉を通して、私たちにどんなことを語っているでしょうか?
ここで独り子というのは神様の子、イエス様のことを指します。天の神様は、ご自分の独り子、イエス様をこの世に送られました。どうして神様はイエス様を送られたのでしょうか?それは、私たち人間が神様の言われたことをしっかり守ることが出来ないからです。神様が造られた最初の人間アダムとエバもそうでした。アダムとエバははじめエデンの園で暮らしていました。二人はエデンの園にある果物を自由に食べることが許されていましたが、一つの木からは食べてはいけないと神様に言われていました。しかしエバはその木の実を採ってアダムに渡し、アダムもそれを食べてしまいました。その実を食べたために、人間は死ぬことになってしまいました。また神様が言われたことを守れなかったために、アダムとエバはエデンの園から追放されてしまいました。
でもこれで全てが終わったのではありませんでした。神様はこのような人間を救って、再びご自分のもとに戻ることができるようにしようと考えました。そのためにイエス様をこの世に送られました。十字架の上でイエス様は、私たちの罪の罰をかわりに受けてくださいました。このように神様は、私たち一人一人を愛して下さるのです。さらに、神様は一度死んだイエス様を復活させられて、死を超えた永遠の命があることを示されました。イエス様を救い主と信じる者に、その命に至る道が開かれることになったのです。これが、先ほど読んだヨハネの福音書の箇所の意味です。これはとても素晴らしい箇所で、私も何回も読んだり暗記したみ言葉です。
二番目のみ言葉は、「ヘブライ人への手紙12章5節と6節です。「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。主から懲らしめられても、力は落としてはならない。なぜなら、主は愛するものを鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭うたれるからである。」この言葉を聞くと皆さんは、厳しい言葉だと思うかもしれません。この言葉にはどんな意味があるでしょうか?天の神様はいつも私たちに楽な道、困難がない道を与えられるとは限りません。人生の中でいろんな困難、病気、悩み、失業などに遭遇する時というのは、天の神様と私たちが結びついていることがはっきりする時でもあります。結びつきがあるとどうして言えるのでしょうか?イエス様を私たちのために送って下さった神様は本当に信頼してよい方です。また、神様のもとに行ける道は、イエス様を救い主と信じることで十分であるといことです。このように神さまは私たちのことを愛して下さるので、困難な時にも私たちに良い道を示して下さるのです。
聖書の全部のみ言葉の目的は同じです。私たちの心に信仰が生まれて、それを成長させて、リンゴの木と同じように良い実を結ぶことです。
私たちも、良い実を結べるようにみ言葉を聞いたり読んだりしましょう。
「ヘブライ人への手紙」13章
1年以上続いたこの講座もいよいよ今回で最終章です。先生はこの手紙は手紙と言うよりは説教に近いと仰っていました、もしこれが説教だとしたら話す方も聞く方も相当なエネルギーが必要だったと思います。先生はいつも講座の折には幾通りかの聖書を携えていらっしゃいました。気になる聖書の箇所をギリシャ語・ドイツ語・英語・フインランド語・スェーデン語そして日本語と、各々を比較検討して解説してくださいました、そのために国によって内容に微妙な違いがあることがよく分かりました。
皆様、お元気ですか?こちらは、家の裏の森にブルーベリーが沢山実っていて、森の小道を通って買い物に行く途中、いつも摘まんでは食べています。
今回は、7月1日から3日にかけて、フィンランド中部の町ヴィッラトで開催されたSLEY(フィンランド・ルター派福音協会)の全国大会についての報告です。ヴィッラトはトゥルクから250キロほど行ったところにある、人口7,000人程の町ですが、三日間の大会参加者数は延べ1万4,000人に上り、大会開催中の町の人口は2、3倍に膨れ上がりました。大会会場は、町の真ん中にあるヴィッラト教会と教会前の広場を中心に、周辺の小中学校、職業学校がいろいろなイベントの会場になりました。全体集会は教会前の広場で行われ、上の写真は夕刻の野外の聖餐式礼拝の様子です。
SLEYの全国大会は1874年に始まり、今年で142回目となります。開催地は、毎年異なります。SLEYとは、フィンランドのルター派国教会の「公認」のミッション団体の一つで、1900年日本に宣教師を派遣したのを皮切りに、現在ではロシア、エストニア、ケニア、南スーダンにも派遣しています。このほかにも宣教師は派遣していないが、財政支援、神学教育支援等で協力関係にあるルター派教会がミャンマーや韓国等数カ国あります。SLEYと国教会の間にはいろいろ路線対立があるのですが、一応協力関係は保たれ、公認の地位を得ているといったところです。
今年の全国大会で特筆すべきことは、昨年フィンランドに移民難民が3万人以上押寄せたことの影響が顕著に現れたことでした。国教会ラプア監督区のS.ぺウラ監督が全体集会で述べたように、今や福音伝道のミッションは海外だけではなく、国内もミッションの地と化した、福音伝道に国境がなくなってしまった、ということが起きたのです。フィンランドの片田舎で礼拝に20人位しか参加しない小さな教会に突然、40~50人のイスラム教徒難民が姿をあらわしたこともあったそうです。教会は彼らにどう対応し、何をどう伝えるか、各ミッション団体を含め国教会全体が真剣に取り組んでいます。SLEYもヘルシンキの移民難民向けミッションのため、「ルター教会」(フィンランド便り2を参照)に専属の「宣教師」を設けることとし、その職にアフリカ出身の牧師が就任することになりました。
上の2枚の写真は、夕刻の野外の聖餐式礼拝の一コマ。礼拝と言っても、最近は司式の音楽に軽快なポップ調のものが用いられるようになり、このような女の子たちのコーラスがバンドと一緒に司式の音楽をリードします。次の写真は聖餐式の様子。6,000人近い人たちにパンと葡萄酒の配餐をするために、30人近い牧師が動員されます。
全体集会のプログラムの合間や同時並行して、教会や周辺の学校の中で、または湖畔の公園で、年齢層に応じた様々なブログラムやイベントが開かれます。金曜日と土曜日の夜は、若者向けのゴスペル・ロックのコンサートが開かれます。上の写真はその一コマ。CDで聴くと福音のメッセージははっきりわかるのですが、コンサートの激しい騒音と歓声の中では、「…..イエスの愛が俺の利己主義の壁を突き破った瞬間….」とか、「….十字架が罪の負債を帳消しにした、俺は本当に自由だ….」とか、断片的に聞き取れるのが精一杯でした。
私が参加したプログラムの一つに、教会を会場にして行われた講演会があります。論題は「キリスト教の『三位一体説』は、ユダヤ教イスラム教からみると、なぜ気違いじみた教えに見えるのか?」という挑発的なもの。講演者は、オーボアカデミー大学神学部の旧約聖書・ユダヤ教学のA.ラート教授とP.リンドクヴィスト講師。二人は昨年の全国大会の講演でも、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教という世界三大一神教の比較をテーマにして会場を満員にしました。今年も満員でしたが、驚いたのは年配の方の参加が多く見られたことです。イスラム教の存在を身近に感じ、どう対応しなければならないかを真剣に考えているのは若者層だけではないことを窺わせました。
3日の日曜日は朝から雨が降り、野外の全体集会の成否が危ぶまれましたが、午前の聖餐式礼拝の初めころにはやんで、あとに続くプログラムでは時々太陽も顔を出すくらいになりました。その日の降水確率は90%の予報が出ていたのですが、父なるみ神は参加者みんなの祈りを聞き遂げて、10%の方を実現してくださいました。下の写真は、聖餐式礼拝の始まりの様子。聖餐式を担当する40人近い牧師たちが十字架を先頭にして聖壇前に進みます。会衆は敬意を表して起立します(今年招待されたミャンマーや韓国のルター派教会の牧師も聖餐式を担当しました)
全国大会最大のイベントの一つは、宣教師の派遣の按手式です。下の写真は今年派遣の按手を受ける宣教師たち。先頭にいるアフリカ人牧師はヘルシンキの「ルター教会」専属の移民難民宣教師に就任するR.O.オティソ牧師です。今年新規に派遣される宣教師が3人、派遣更新された宣教師は9人でした。
日本派遣宣教師は、吉村の家族を含めて6名。下の写真は聖壇前に向かう吉村宣教師一家。
下の写真は、按手式を前に子供たちが派遣国の旗を振って見送りの歌を合唱しているところ。
宣教師の派遣式のあとも全体集会は続きます。上の写真は、スオミ教会の活動について報告するパイヴィ宣教師。
人口7,000人程の町に1万4,000人の人が押し寄せて、食事や宿泊はどうなるか驚かれるかもしれません。宿泊は町や近隣のあらゆる宿泊施設やキャンプ施設、自宅を開放する民家の他に、周りの学校が臨時の宿泊所になったり、キャンピング・カー用の大駐車場ができます。食事も、メニューは限られますが、野外「レストラン」の他、随所に天幕カフェが設けられます。上の写真は、大会終了後すぐ会場の片付けを手伝う参加者たち。140年以上の経験の蓄積と参加者のボランティア精神が大会の運営を支えています。来年のSLEYの全国大会はヘルシンキで開催されます。(以上)
6月5日市ヶ谷教会にて中央線沿線七教会が参加する「一日教会祭」が開催されました。今年で11回目となります。スオミ教会からは、昨年同様、教会の有志によるコーラスの参加とフィンランドの菓子パン「プッラ」の出店を出しました。外部団体のカンテレ演奏グループ「ピエニタウコ」が今年も友情出演をしてくれました。
コーラスは北欧の讃美歌を三曲歌いました。
最初の讃美歌は、スウェーデンやフィンランドで300年近く歌われてきた初夏の季節の讃美歌で、タイトルはスウェーデン語で「Den blomstertid nu kommer(花咲き誇る季節来たり)」、フィンランド語で「Suvivirsi(初夏の讃美歌)」。フィンランドでは現在でも小中学校の夏休み前の終業式の時に全国で一斉に歌われる讃美歌です。
この歌には逸話があります。毎年終業式で歌われる時、父兄席の特に新入生の親の中で歌いながら泣き出してしまう人がいることです。どうしてかと言うと、かつて自分が子供の頃、毎年この歌を歌っていた。父兄席をちらと見るとお父さんお母さんも一緒に歌っていた。それが突然、自分は親になって父兄席にいる。しかも目の前で自分の子供が同じ歌を歌っている。この時の巡りに感極まってしまうのだそうです。「全てを時宜に適うように造られる神」(聖書の「コヘレトの言葉3章11節」)父なるみ神の導きを思わずにはいられません。
二番目の讃美歌は、スウェーデン人なら誰でも知っている「En vänlig grönskas rika dräkt(優しい緑の豊かな装い)」。これも初夏に歌われる讃美歌です。近年スウェーデンではヴィクトリア王女、マデレーネ王女、フィリップ王子のロイヤル・ウェディングが相次ぎ、新郎新婦が大聖堂の中を聖壇に向かって進む時に会衆が一斉に歌いだしてお祝いの気持ちをあらわした歌として記憶に新しいです。
三番目の歌は、フィンランドのミッション団体SLEYの聖歌集「Siionin kantele(シオンのカンテレ)」に収められている歌「Saman korkean taivaan alle(この青い空に下に)」。かつて飛行機のない時代、船で海を渡った宣教師たちは、離れ行く祖国を懐かしみ新しい赴任地に緊張の思いを馳せた時、この聖歌集を携えて甲板に上がり歌を口ずさみながら慰めと励ましを得たと言われています。この歌は1960年代のものですが、スオミ教会のテーマソングのように歌い継がれています。
フィンランドの菓子パン「プッラ」は今年も大好評で、100個すべて完売でした! 前日にパン焼きご奉仕をして下さった皆様、ご苦労様でした!
爽やかな五月晴れの土曜の午後、家庭料理クラブは、フィンランドのドーナッツ[Munkit]を作りました。
最初に吉村先生のお祈りからスタートです。
今回は、幼稚園児と小学生の参加もあり、可愛い歓声の聞こえる、楽しい会になりました。
グループに別れての生地は、フィンランド式に、優しく捏ねていくうちに完成し、作業はテンポ良く進みます。
発酵中の可愛い生地達は、ドーナッツの形に成型され、オイルの中で、きつね色に膨らみ、お砂糖にまぶされて完成です。
パイビ先生の用意して下さった、Simaと一緒に、バップの季節の、森のハイキングや楽しかった思い出も聞かせて頂きました。
また、聖書のお話も分かりやすく、詩編23編は心に深く響きました。
参加の皆様、最後まで後片付け下さって、ありがとうございました。
料理クラブは、6月から夏休みで、次は9月になります。
料理クラブの話「ムンッキ」5月14日
今日作ったドーナツはフィンランド語でムンキと言います。パンの生地で作るムンキはフィンランドでは伝統的なお菓子で、5月1日に多くの家庭で作られます。この他にレモンを発酵させて作る甘酸っぱいレモナードも作ります。フィンランド語でシマと言います。これをムンキと一緒に味わいます。5月1日のことをフィンランド語でヴァップと言います。ヴァップはフィンランドでは休みの日で、春の大きなお祝いの日です。メーデーとして労働者たちの日でもあるし、また高校を卒業する人たちのお祝いの日でもあります。フィンランドでは高校を卒業すると白い帽子を贈られるので、ヴァップの日には町には白い帽子をかぶって歩く人が沢山見られます。
ヴァップの日にはいろいろな過ごし方があります。若者たちや町に住んでいる人たちは、バザーや遊園地などに出かけます。町はにぎやかな雰囲気で、音楽やスピーチがあちこちから聞こえ、子供たちは風船や笛などを持って歩いています。しかし町に行かない人もいます。例えば別荘を持っている人たちはそこに行って、秋まで休日はほとんど毎週別荘で過ごすようになります。
田舎でヴァップをどのように過ごすかと言うと、普通に農業の仕事をしたり、家の庭の掃除をしたりする人が多く、あまり普通の日とかわりありません。田舎の家庭でもムンキとシマを作って味わいます。
私は田舎で育ったので、町のヴァップの過ごし方は好きではありません。子供のころ、5月1日は父が畑を耕したり種を蒔いたりして、親にとってヴァップの時期は農家の仕事が一番忙しい時でした。私は兄弟姉妹たちと一緒に毎年家の近くの森にハイキングに行って、食料品も持って行ってご飯を作ったりして、一日中森の中で過ごしました。ヴァップの日が近づくと、私たちは前もって良い場所を探しに行って、落ちた葉っぱなどは箒ではいて場所をきれいに掃除しました。ヴァップの日の朝早く荷物をまとめて、皆で森に行きました。森の中でする一つ大きなことはたき火でした。子供たちがたき火をするのは危ないことかもしれません。森の火事の危険があるからです。それで、たき火をする時はいつも父と母が見に来ました。またフィンランドはいつも5月の初めはまだ地面はぬれているので、たき火をしても大丈夫でした。よく燃える木を探したり燃やしたりするのは大変な仕事でした。たき火がついたら、ジャガイモを茹でたり、ソーゼージを焼いたりして、またコーヒーもわかしました。森の中で食べたごはんやおやつは家の中で食べるよりもっと美味しく感じられました。もちろん、そこでムンキとシマも味わいました。
ご飯を作ったり食べることのほかにハイキングで楽しかったことは、木に登ったり、小川で遊ぶことでした。家に帰ると、服は煙の臭いがして土が付いて汚くなったので、時々母に怒られました。でも子供たちには楽しい思い出になったのです。フィンランドにいる兄弟姉妹たちは今も5月1日に自分たちの家族と一緒に実家に行って皆で同じ森にハイキングに行きます。仕事を引退した父も一緒に行けるので、彼は孫たちにたき火の付け方を教えます。
春にハイキングに行ったり、自然の中を散歩しながら新しい緑やきれいな花を見ると、私はいつも旧約聖書の詩編23篇を思い出します。それは、聖書を読む人ならだれでも知っていると言えるくらい有名な箇所です。私はこの箇所を読むと、神様の人間に対する愛が現れてくるので、いつも安心と感謝の気持ちで一杯になります。
この詩篇は、「主は羊飼い、私には何も欠けることがない」という文で始まります。「羊飼い」とは天と地と人間を造られた神様のこと、「羊」は私たち人間を意味します。今の時代に羊飼いの仕事をしている人はあまりいませんが、かつて羊飼いは普通の仕事でした。羊は弱くて、野生動物に簡単に捕まえられて食べられてしまいます。そのために羊飼いは羊を守って、野生動物に捕まらないように導いていきます。
羊飼いが羊を守りながら導くように、神様が私たちを守って導いてくださいます。もし人間を造られた神様が私たちの羊飼いならば、神様は信頼して大丈夫な方です。神様の導きのうちに生活する時には大きな安心があります。それでは、神様はどのように私たちを導いてくださるのでしょうか?
この詩篇には「主はみ名にふさわしく、正しい道に導かれる」と書いてあります。神様は私たちの全てのことをご存じで、いつも歩むべき道を示してくださいます。神様は私たちを愛して下さるので、いつも良い道を示してくださいます。ただ、神様が導いてくださる道は様々です。「きれいな青草の原、憩いの水ほとり、死の陰の谷」などがあります。私たちの人生の中には喜ばしいことや悲しいことがいろいろあります。もちろん私たちは喜ばしいことを望んでいます。それで、悲しいことが起こると、受け入れるのは簡単ではありません。しかし神様はいろんな時、喜ばしい時も悲しい時もいつも共にいてくださいます。
この詩篇には「死の陰の谷を行くときも私は災いを恐れない。あなたが私と共にいてくださる」と書いてあります。神様は私たちが欲しいものを全部は与えませんが、私たちは神様の導きに従って歩む時、私たちは何も欠けることがなく、恐れることもありません。私たちは羊と同じように時々神様の道から離れてしまします。羊が羊飼いの声を聞かないで違う方向に行こうとする場合、羊飼いは杖で羊を軽く叩いて導きます。私たちの場合はどうでしょうか?神様は、私たちが神様の声を聞かない時、羊飼いと同じように杖を使って導いてくださいます。杖軽くで叩かれると、痛みを感じます。でも、それも人間を造られた神様の私たちに対する愛の業です。
この詩篇にはまたこう書いてあります。「命のある限り恵みと慈しみはいつも私を追う。」神様は、私たちのために神様のもとに行ける道を用意して下さり、いつもその道で私たちを導いてくださるのです。神様のもとに行ける道とは、神様の子イエス様のことです。イエス様は罪を持たない神様の子でしたが、人間が罪の罰を受けないようにと、自分が身がわりになって十字架にかけれて死なれました。このおかげで、私たちの罪が全部許されて、この世の中でも、またこの世が終わってもいつも永遠に神様と一緒にいることができるようになりました。神様がイエス様を私たちのために送ってくださったことに、神様の人間に対する愛が現れているのです。
私たちもこの良い羊飼いに従って行きましょう。「私は良い羊飼いである。私は自分の羊を知っており、羊も私を知っている。」ヨハネによる福音書10章14節
桜の花びらが南風に舞う、春満開な土曜日の午後、家庭料理クラブは、ライ麦粉のケーキを作りました。
吉村先生のお祈りからスタートです。
今回は油脂を使わない、18cmの丸型のケーキを、二人で一台ずつ作りました。
焼き上がったスポンジは2枚にスライスして、間にオレンジをアクセントにちらし、グループ毎にデコレーションして、可愛い4台のケーキは完成しました。
コーヒーと一緒に、デコレーションされたケーキと、デモンストレーションで作ったスポンジは、オレンジのロールケーキになり、すべて完食しました。
参加の皆様のお疲れ様でした。
受難週の初めの日である「枝の主日」の今日、イエス様が辿った受難の道を教会音楽と聖書朗読で再現する音楽伝道礼拝「ヴィア・ドロローサ」を行いました。
昨年これを始めた理由は、日本では受難週の時、特に聖金曜日が休日でないため礼拝に来られない人が多く、イエス様が十字架にかけられたことを深く心に留めることなくして、復活祭を迎えてしまう場合が多いのではないか。もし、そうだとイエス様の復活が私たち人間とどう関わり合いがあるのか明らかにならないのではないか、ということを心配したことがきっかけでした。それで、復活祭の前の日曜日である「枝の主日」の礼拝後に行うこととなりました。今年で二回目です。
プログラムの内容は、エルサレムを巡礼するキリスト教徒が行うように、「立ち止まり地点」を14か所設けて、それぞれに音楽と聖書朗読を織り交ぜて、ゴルゴタの丘までの道のりを辿るというものです。今年は昨年に比べて、演奏楽器も増え、ソプラノ独唱も加わり、音楽性がぐっと高まりました。参加者の中からは、昨年同様、「イエス様の受難をとても身近に感じられた」、「イエス様が背負っていった人間の罪の重さから自分の罪を深く思いなおす機会になった」という声を頂きました。