お気軽にお問い合わせください。 TEL 03-6233-7109 東京都新宿区早稲田鶴巻町511-4-106
前回始まった「ヘブライ人への手紙」の学びは、今日は2章についてでした。1章では、イエス様は天使を超える存在であることが強調され、まさに天の父なるみ神と同列な方であるイエス様が読者の目の前に現れました。
2章はとても対照的です。そのイエス様が肉と血をまとって人間となられ、十字架の上で死を被ることで、死をもたらす悪魔を一緒に滅ぼし、人間を死の奴隷状態から解放する道を開きました。
しかし、それだけではなかったのです。この天の父なるみ神と同列の方は、血と肉をまとったがために、人間と同じように試練を受け、人間と同じように苦しむことを知ったのです。それだからこそ、試練を受けている人たちのことがわかり、助けることができるのです。これが、私たちの救い主なのです。この、天の父なるみ神と同列の方が、私たちと同様に試練に遭われた、というテーマは、4章でまた繰り返されます。
本日は、話し合いや質問の時間がとても活発で、イエス・キリストがユダヤ教やイスラム教でどう扱われているかとか、ヘブライ語とギリシャ語の旧約聖書の成り立ちや違いについて、また当時の地中海世界のユダヤ教徒の言語的帰属等についていろいろ話が及びました。
毎月の第4主日は吉村宣教師が担当する聖書研究会があります(今月は第五主日)。今回からは、「ヘブライ人への手紙」を一緒に学びます。
初回の今日は、同手紙の概説の話を聞き、第一章について学びました。この、旧約聖書をふんだんに使いこなしながら、キリスト教徒を親身に、時には厳しく時には励ましをもって導こうとする著者は、どんな背景を持つ者か、どのような状況にある教会の信徒に書いているのか等が概説の主眼でした。
第一章を通して、キリスト信仰者は、天使の実在を信じても、それを崇拝してはならないこと、崇拝の対象はあくまで父、御子、聖霊の三位一体の神であることを確認しました。
5月の第3水曜日、春のさわやかな陽気の中で手芸クラブを開きました。今回は人数も増えて、雰囲気も一層楽しいものとなりました。
手芸クラブは、最初にお祈りをして始めます。 今回の作品は、日本の伝統的なつまみ細工でした。みんなは既に出来ているモデル作品を見て、「きれい!」、「素敵!」、「これを作ってみたいわ」と言いながら、まず、自分で作りたいものを決めて、それに合う生地を選びます。 次に、生地を適当な大きさに切っていき、最後にピンセットを使って花びらを作ります。みんなで話し合いながら一生懸命に作って、上手に花びらが作れるようになりました。今度は、花びらを花の形に作っていく番です。難しい花の形にもチャレンシして、素敵な髪飾りやブローチが出来上がりました。完成したものをテーブルの上に並べて、みんなで感激して見入っていました。
つまみ細工に夢中になったので午前の時間はあっと言う間に過ぎてしまいました。コーヒータイムの時を持って、終わりにCDで「一人の小さな手」という歌をみんなで聞いて、「イエス様はまことのぶどうの木」という聖書のお話を聞きました。
「また作りたいわ」という声も聞かれる中、今回の手芸クラブは終わりました。
4/11の料理クラブは、「レモンクリームのプッラ」を作りました。
冬が戻ってきたような寒い中、教会に到着すると可愛い黄色の花に迎えられ、今日はイースターカラ―の「レモンクリームのプッラ」を作りました。
最初にお祈りをしてスタートです、計量して生地を捏ねていきます、フィンランド式のゆったりとした生地作りに、驚かれた方もいらしゃいました。発酵の時間に、今度はレモンクリーム作りへ、レモンの表面をおろし金に当てた瞬間、牧師館は爽やかなレモンの香りに満たされました、クリームの味見をしつつ、発酵を待ちます。
ふっくらした生地を分割・成型して、再度発酵させ、レモンクリームにレモン果汁を最後に加え、生地にトッピング、180度のオーブンへ・・・・・、焼き色もかわいい、レモンクリームのプッラが完成しました。
試食会では、説明用に作ったシナモンロールも一緒に味わいました、パイヴィ先生からは、イースターシーズンのフィンランドの食の習慣や「マンミ」や季節の食べ物の事、日本ではあまり知られていない、イースターの本当の意味「復活」について、聞かせていただきました。
次回の料理クラブは、9月開催を予定しています。
今回の家庭料理クラブは「ジャガイモのリエスカ」と「キャベツのスープ」を作りました、春の花がまっ盛りなのに、北風が吹く寒い日でしたので、暖かいスープは、丁度よいメニューになりました。
家庭料理クラブは最初にお祈りをしてスタートします。リエスカ用のジャガイモを茹で、スープに使う大量のキャベツや野菜類は、大鍋でグツグツ煮えています。今回のリエスカは、ジャガイモのムースに、ライ麦粉や小麦粉を加えた家庭の味、ドロドロの生地を薄く伸ばす作業に、皆さん悪戦苦闘しましたが、焼き上がりは、とてもきれいで、美味しいリエスカが出来上がりました。
パイヴィ先生からは、フィンランドの野菜事情やリエスカの成り立ちなどや、イースター復活祭の前の受難節の季節は「断食の季節」とも言われ、スープとパンのシンプルな食事は、丁度合うメニューと教えていただきました。
次回4月11日の家庭料理クラブは、「レモンクリームのプッラ」を予定しています。~
2月最後の土曜日、天候にも恵まれて子供料理教室を開くことが出来ました。今回の参加者は子供4人、大人4人。小さなクループでしたが、アットホームな雰囲気で楽しい一時を持つことができました。最初にお祈りをして料理教室はスタート。この日の献立はフィンランドの丸パンです。
みんなで一緒にパン生地を作りました。子供たちも頑張って生地を捏ねました。「おもちみたい!」生地が手にくっつきますが、一生懸命捏ね続けると、次第に手から離れ、こうして生地ができました。生地を少し置いて膨らませた後、みんなで生地をちぎって小さく丸めました。みんな丸め方がすぐ上手になりました。丸めた生地をもう一度置いて膨らませてから、オーブンに入れて焼きました。
パンを焼いている間、みんなで子供讃美歌を歌ったり、「イエス様が5つのパンと2匹の魚で5千人の人たちのお腹をいっぱいにした」という聖書のお話をフランネル劇で観ました。神様は私たちが思っている以上のものを与えて下さいます。皆さん、神様に感謝することを忘れないようにしましょう。
話が終わる頃、焼きたてのパンの香りが拡がってきました。テーブルのセッティングをして、いただきます。ある人は野菜を挟んで、別の人はマーガリンを塗るだけで召し上がります。みんな、焼きたてのパンは美味しい、美味しいと言っていました。
イーストで発酵させたパンを作るのは、子供たちにとって良い経験になったでしょう。
次回の子供料理教室は4月の初めに予定しています。詳しい案内は追ってお知らせします。どうぞHPをご覧下さい。
強い北風が吹く寒い14日のバレンタインの日、家庭料理クラブは「ラスキアイスプッラ」を作りました。今回はクリームやジャムでデコレーションするプッラなので、リッチなプッラ生地に挑戦していただきました。
最初にお祈りをしてスタートしました、全ての材料を計量して作業が進みます、リッチな生地はベトベトして捏ねづらく、悪戦苦闘しながらも頑張って良い生地が完成しました。
発酵、分割成形、再度発酵して、丁寧に卵水を塗り、オーブンの中に、きれいな焼き上がりに、歓声が上がりました。荒熱を取る間、最初に焼きたてのプッラを試食、生地の甘さとカルダモンの香りを、湯気と一緒に口の中に、アツアツのプッラの美味しさの次は、ジャムとクリームでデコレーションをしたプッラの番、こちらも美味しく頂きました。
パイヴィ先生からは、プッラの楽しいエピソードや、働きなど聞かせていただきました。
次回3/14は「キャベツのスープ」と「リエスカ」を予定しています。
1.フィンランドは人口500万程の小さな国である。その国内で大きなニュースになることが日本にまで伝わってくることはほとんどない。しかし、国外には伝わらないローカルな出来事でも、それが実は日本でも報じられる大きなグローバルな出来事と連動していることはよくある。その一つとして、今年の夏フィンランド国内を騒がせた「多文化主義」論争がある。
論争の発端は、政権与党の一つで移民受入れに否定的な立場を取る政党の議員がネットのブログに「多文化主義は国を害する悪である、自分は断固としてそれと戦う」という主張を載せたこと。早速メディアは沸騰し、各政党は同議員を非難し、問題の政党に説明責任を要求、各地で人種差別反対・多文化主義擁護のデモが起きた。結局、問題の議員は、「戦う」というのは暴力的手段を意味しないと釈明し、2ヶ月の党籍停止の処分を受けて一応自体は収束した。
この論争の背景には、今年激しさを増した地中海やバルカン経由で西ヨーロッパになだれ込む難民移民の大移動があるのは言うまでもない。他の西欧諸国に比して移民難民の受け入れの少なかったフィランドであるが、今年は難民申請者だけでも3万5千になるとの見通しが持たれている(10月15日の内務省発表による)。100万近くなると言われるドイツに比べれば雲泥の差だが、人口比で考えれば1億2千万の日本に84万人の難民申請者が押し寄せる計算になる。それ位の数の難民申請者がやって来たら、この世界第3位の経済大国はどうなるだろうか?経済的、精神的に持ちこたえられるであろうか?ひょっとしたら、この問いの答えは、我が国の難民受け入れ政策の実績が示しているのかもしれない。
2.ちょうど「多文化主義」論争たけなわの頃、ある大学教授が新聞のコラムに少し軽いタッチで自分の見解を披露していた。それによると、ヨーロッパの大都市に見られるような、移民と元からの住民が別々に棲み分けがされてお互い隔絶してしまったような状況は本当の多文化主義ではない。多文化主義とは異なる文化の人たちが接触し交流し合うことを言い、そうするうちにお互いが相手の良い点を取り入れて次第に一つの大きな文化を形成していく。つまり、多文化主義とはそういう単一文化に至る過程を言うのだ、という見解であった。終わりのところで、自分は稲荷ずしとラテン音楽の愛好者である、などと述べていた。
なるほど、自国以外の料理もよく食べ、外国の音楽を沢山聞けば多文化主義者になるのか、そうなると日本人はものすごく多文化主義的な国民ということになるが本当にそうだろうか?異なる文化というものは、各自が嗜好・愛好を取捨選択していくうちに融合・統合していくものだろうか?
例えば、宗教。どの宗教も人間は死んだらどこに行くのかという問いに答えを持っている。その答えがあるから、じゃ今生きているこの生をどう生きるべきか、ということに指針が与えられる。宗教によって死生観は大きく異なる。巷の仏教だと、人間は死んだら仏様になって33年位の修行の旅を続けて極楽浄土に到達する。その間、生きている人を見守ったり助けたりしてあげなければならない。キリスト教だと、死んだら神のみぞ知る場所で安らかに眠るだけで修行も何もしない。ただ眠っているだけ。しかし、最後の審判とか復活の日とか呼ばれる時が来たら目覚めさせられて、あとは天の御国に迎え入れられるか、または入れられないかということになる。この二つの宗教だけ見ても、果たして融合や統合の余地はあるのだろうか?
近年ではキリスト教会の中でも、極楽浄土だろうが天国だろうが最終目的地は実は皆同じで、ただ各々の宗教が違う言葉で言っているだけ、などと言う人が増えてきた。共通の目的地に至る道はいろいろあり、その異なる道がそれぞれの宗教なのだ、ということで、キリスト教は御殿場口から、仏教は須走口、イスラム教は吉田口、ユダヤ教は富士宮口、あとは頂上で会いましょう、という具合なのである(富士山登頂ルートと宗教の関係は何も考えていません)。
一見結構な話に聞こえるが、いっぱしのキリスト教徒として言わせてもらうと、天国で目にする神とは、天と地と人間を造り、人間一人一人に命と人生を与え、母親の胎内にいた時から自分のことを知っていた神なのである。それが実は阿弥陀如来と同じだったと言われてもなかなか納得できるものではない。仏教の人たちだって、極楽浄土で目にする阿弥陀如来が実は、自分のひとり子を2000年位前に今のパレスチナの地に送った方と同じと言われて、はい、その通りです、と言うだろうか?
3.ところが、このような異なる死生観を盾にして違いを強調すると、頑なになって異なる考えの相手を否定して宗教戦争が起きるのだ、と批判されることにもなる。私自身、そのような批判を受けたことがある。でも、私の死生観はあなたと全然違うのだ、と言ったら、必ず宗教戦争になるのだろうか?そうならないために、「同じ山頂、異なるルート」というコンセプトの中に諸宗教を流し込まなければならないのだろうか?それとも、頑なと言われたくないから、ものわかりよくしようとするのか?
ここで思い出すのが、キリシタン大名の小西行長が関ヶ原後、六条河原で首を刎ねられた時の出来事である。いよいよ最期の時、徳の高い僧が近づいてきて、成仏できるように念仏を唱えてあげようと申し出たが行長はこれを断ってしまった。これは歴史史料にも記されている史実と聞いたことがあるが、実はこの出来事が30年位前のNHKの大河ドラマ「黄金の日々」にあった。観られた方は覚えておいでであろうか?高僧を前にボロボロの行長が言ったのは、「私はキリシタンだ。キリシタンに仏教の念仏など無用!」そして首を刎ねられるのである。
仏教の人がみたら、なんと恩知らずの罰当たりなことを言うのかと呆れてしまうだろう。しかし、行長としては他に言いようがないのである。死んだら神のみぞ知る場所にいて安らかに眠り、復活の日に目覚めさせられて復活の新しい体を与えられて神の御許に迎え入れられる。罪深い人間の私にそれが可能なのは御子イエス・キリストが私の罪を十字架の上で贖って下さったからだ。そういう死生観と信仰を持つ者にしてみれば、成仏とか念仏とか言われても、全く筋違いな話なのである。仏教の人から見れば、せっかく極楽浄土に行けるのにどうしようもないわからずやだ、ということになろう。キリスト教徒からみれば、死者は復活させられるのにおたくこそわからずやだ、ということなる。お互いがお互いに対してわからずやなのである。
このような「わからずや」がいると、隔絶した棲み分けをもたらすことになるのだろうか?宗教戦争の原因になるのだろうか?ここで、小西行長と一緒に首を刎ねられたのは、石田光成と安国寺恵瓊であったことを思い出そう。光成は小僧上がりの武将、恵瓊は僧出身である。二人とも仏教徒である。信仰と死生観ではわからずやの立場の者同士が、家康の覇権阻止という共通の目的のもとに共に命を賭けて戦うのである。自分はキリシタンだから仏教徒とは一緒にはやりません、仏教徒だからキリシタンは嫌です、ということにはならなかった。隔絶とか宗教戦争とは全く逆のことが起こっているのである。しかも、行長の最後の言葉が示すように、死生観と信仰に関しては、わからずやさが全身みなぎっているのである。もし、行長に「同じ山頂、異なるルート」という発想があったならば、喜んで念仏を唱えてもらったであろう。なぜなら、念仏を唱えてもらって成仏できるというのは、別ルートではあるが目指す天国に着けることなのだから。
4.従って、異なる死生観、信仰を持つ者同士が協力・協働することは可能である。もちろん、そのような協力・協働の場では、いろいろ意見の相違も生まれてこよう。しかしその全てがそういう信条の違いによるものとは言えないのである。同じ信条の持ち主の場合でも意見の相違は生じるのだから。もちろん、死生観が現世を生きる際の指針を与える以上、信条の相違が意見の相違をもたらすことも十分ありうる。しかし、その時は、お前はわからずやだ、いや、お前こそ、と言って終わって、また協力・協働を続けるしかない。これが本当の多文化主義ではないか。「同じ山頂、異なるルート」という発想は得体の知れない単一文化主義である。
2015年度の総会が当教会の主管牧師・大柴譲治牧師(武蔵野教会)のもとに執り行われました。全ての報告、議案は滞りなく承認され総会は無事に終了しました。総会資料の閲覧をご希望の方は役員までお申しつけ下さい。
1/17の家庭料理クラブは「ル―ネべリタルト」を作りました。
北風が舞う寒い土曜日、牧師館の窓からは、明るい日差しが差し込む中、 最初にお祈りをして家庭料理クラブは始まりました。
全ての材料の計量をして、作業が進みます、材料の主役のピパルカックを砕いてると、 スパイスの香りと共に、クリスマスシーズンが思い出され、つい先日のクリスマスが、遠く懐かしくさえ感じてしまいました。
焼き上がったタルトの生地を冷まし、ラズベリージャムやアイシングで飾り付けをして 、 ルーネベリタルトは完成です。
パイヴィ先生から、ルーネベリタルト成り立ちや、材料の事、フィンランドの食のお話など、 興味深く聞かせていただきました。
次回2月14日(土)の家庭料理クラブは、 「ラスキアイスプッラ」(Laskiaispullat)を予定しています。 シナモンロールの生地をベースに作る、スキーやそり遊びのシーズンに食べる、 おやつのプッラになります。