3月12日のフィンランド家庭料理の報告

フィンランドのお菓子パン真冬に戻ってしまったような寒い土曜日の午後、家庭料理クラブは「コルバプースティ」を作りました。

今回はフィンランドのラッペーランタ市の日本語学校から、校長先生と生徒さんの参加もあり、楽しい開催になりました。

フィンランドのお菓子パン最初に吉村先生のお祈りからスタートしました。
材料の計量に生地作りへと、日本語とフィンランド語が飛び交う、賑やかなテーブルを囲み、作業が進みます。

ブッラ生地の発酵を待つ間に、細巻き寿司も作りました。

試食タイムは、焼きたてのブッラと細巻き寿司で楽しい交流の場になり、
パイビ先生からは、コルバプースティの思い出や、イースターに向けてのお話、可愛い手作りイースターエッグの登場に歓声が上がりました。

イースターエッグ

参加の皆様、お疲れ様でした、
次回は4月9日を予定しています。

 

コルヴァプースティの話、フィンランド料理クラブ、3月12日

フィンランドで昔からコーヒーと一緒に食べたものは菓子パンで、フィンランド語でプッラと言います。今日一緒に作ったコルヴァプースティは菓子パンの一つの種類です。私のお祖母さんの時代には、コルヴァプースティは高価なものだったので、生地に砂糖とバターを少なく入れた、シナモンも使わない簡単な菓子パンが普通でした。その時代は、菓子パンは毎日食べるおやつではなく、クリスマスとかイースターとか夏至祭のようなお祝いの時しか食べませんフィンランドの菓子パンを作るでした。そしてお祖母さんの時代に作られた菓子パンは、このような細長い編んだものが普通でした。細長い編んだ菓子パンを薄く切ってコーヒーと一緒に食べたのです。 

時代が変わって、菓子パンは毎日のおやつでも食べられるようになって、ほとんどの家庭で毎週菓子パンを焼くようになりました。お祝いの時は、菓子パンの他にもいろいろなケーキやクッキーが出されるようになりました。しかし、ケーキやクッキーの種類が沢山あっても、菓子パンの重要性に比べられません。特に年配の人たちは、お祝いの時のコーヒーの出し物に菓子パンがないとお祝いの価値がなくなると思うほどです。

フィンランドフィンランドのお菓子パンの菓子パンはいろんな形や味のものが作られます。今日作ったコルヴァプースティは、菓子パンの中で最も人気があるもので、菓子パンの王とも言われます。フィンランドでは、10月4日は「コルヴァプースティの日」と定められています。これは、2006年から始まりました。この日を定めた目的は、コルヴァプースティが家庭でもっと作られるようにし、興味を持たせることです。フィンランド人にとって、焼きあがったばかりの温かいコルヴァプースティを冷たい牛乳と一緒に味わうのは、とても大きな楽しみです。

家庭でコルヴァプースティが作る習慣があると、それは子供たちが大きくなっても忘れられない大切なことになります。ほとんどのフィンランド人は、自分のお母さんが作ったコルヴァプースティが思い出の中にあります。フィンランド人に一番美味しいコルヴァプースティを作るのはだれ?と聞くと、きっと自分のお母さんと言うでしょう。フィンランド人の子供たちは学校から帰ると、家の外にコルヴァプースティの香りが拡がっていて、お母さんがコルヴァプースティを焼いているということが良い思い出になっていると言えます。コルヴァプースティの香りは、フィンランドのお菓子パンフィンランド人にとって子供時代の香りとも言われます。子供時代の良い思い出は大人になっても忘れられず、大人になった時、自分の子供にも伝えたいと思うようになります。このようにフィンランドのコルヴァプースティは、世代と世代をつなぐ役目を果たしているのです。

今イースター・復活祭が近づいているので、イースターについて子供時代の思い出のひとつをお話ししたく思います。フィンランドでは、イースター・復活祭は大きなお祝いで、休みも聖金曜日から次の週の月曜日まで4日間あります。この大きなお祝いのために家庭ではいろいろな準備をします。家の掃除を普段より丁寧に行って、イースターの料理やお菓子を作ることです。私は子どもの頃、イースターを兄弟姉妹たちと一緒に楽しく待ちました。どうしてかと言うと、イースターのきれいな飾り物を作ることや美味しいお菓子を焼くことがとても楽しかったからです。特に子供たちをワクワクさせる楽しみは、イースターの日曜日の朝にありました。

私の母はイースターの前に、チョコレートでできたイースター・エッグやあめなどを子供たちが分からない時にひみつで買いました。イースター前日の土曜日の夜、子供たちが寝ている時に母は買ったお菓子をきれいな袋に入れて、みんなのベッドの端っこに置きました。次の日イースターの朝、子供たちが起きると、すぐ母が置いた袋を見つけて、その中身を見て、イースターエッグチョコレートのイースター・エッグを見つけていつも大喜びでした。その頃、あめとか甘いものはそんなにたくさんなかったので、このように沢山甘いものをもらえるのは嬉しいことでした。子供たちは、このようなやり方を通しても、イースターは喜びのお祝いだということをわかっていくのです。

それでは、イースター・復活祭はどうして喜びの日になったのでしょうか?
聖書は、このことについて詳しく書いてあります。最初にイースターの前にイエス様が受けられた苦しみについて書いてあります。イースターの前の週の木曜日イエス様は、イエス様に反対する者たちに捕らえられて、沢山の苦しみを受けなければなりませんでした。そして、イースターの前の週の金曜日、イエス様は何も悪いことはしていなかったのに、十字架にかけられて死なれました。亡くなられたイエス様の体は十字架から下されて、布に巻かれて、岩に掘った墓に入れられました。でもこの日から3日目の日曜日の朝イエス様は復活されたのです。その朝、イエス様の教えをよく聞いて従った女性たちがイエス様のお墓に行きました。ところが、イエス様の体はもうお墓の中にはありませんでした。そこへ天使が現れて、イエス様は復活されたのだと女性たちに告げ知らせました。女性たちはこれを聞いて大喜びしました。

Women at the empty tomb, Fra Angelico, 1437–1446

イエス様が死から復活されたことは、あの女性たちだけではなく、私たちや全世界の人々にとっても大きな喜びになりました。その喜びは、どんなことでしょうか?イエス様は私たちや世界の全ての人々の罪を全部背負って十字架の上まで運んで、そこで私たちの代わりに神様の罰を受けて死なれました。私たちは、イエス様のおかげで神様から罪の赦しをいただけるようになりました。しかし、それだけではありませんでした。神様はイエス様を死から蘇らせました。そうして、死を超えた永遠の命への扉が開かれたのです。死から復活されたイエス様は、今日も明日もいつも永遠に私たちと共にいてくださるのです。これは本当に大きな喜びのことです。

イースターの時に飾りつけをしたり食べたりする卵は、イースターの意味をよく表しています。卵の殻はイエス様が出て行かれた空っぽのお墓を象徴します。そして卵の黄身はで、イエス様の復活を通して得られることになる永遠の命を象徴します。そして卵の中から出てくるひよこは、喜びそのものです。イースターエッグ

2月のフィンランド家庭料理クラブの報告

サンドイチケーキ

突然の春のような暖かな土曜日の午後、
家庭料理クラブは開催されました。サンド一ケーキ

最初に吉村先生のお祈りからスタートです。
今回はお祝いの食卓に登場するヴォイレイパカック(サンドイッチケーキ)を、
二人で一台ずつ作りました。
小型に焼いた食パンをスライスして、 2種類のスプレッドをサンドして、クリームチーズでコーティング、
デコレーションはハムとサーモンをメインに、華やかなカックが出来上がりました。
それぞれ個性豊かな5台のカックは、香り高いコーヒーと一緒に完食されました。

パイビ先生から、
ボィレイパカックはフィンランド女性らしい知恵と工夫から生まれたお話などサンドイチケーキ聞かせて頂きました。

今回は、日本語とフィンランド語と英語と笑い声が飛び交う、賑やかな会でした。

参加の皆様、お疲れ様でした。  

 

 


ヴォイレイパ・カック (ヨシムラ・パイヴィ)

今日作ったヴォイレイパ・カックの「カック」は、フィンランド語で「ケーキ」を意味します。ヴォイレイパ・カックはケーキに見えますが、甘くないので、ケーキというのは少し変な感じがするかもしれません。でも、フィンランドではそう呼ばれています。

ヴォイレイパ・カックは1930年代ころにヨーロッパとアメリカの北の地方で作られ始め、初めは女性たちのお昼のパーティーに出されたそうです。こうした女性たちのパーティはかなり高価なパーティーでした。フィンランドではヴォイレイパ・カックは1960年代ころ、甘いデコレーションケーキと同じようにお祝いの時に出されるようになりました。昔はお祝いの出し物は甘いケーキやクッキーが中心で、軽食ものはサンドウィッチが中心でした。でも、サンドウィッチを作るのは手間もかかるし、沢山作る場合は保存するために大きな冷蔵庫が必要です。それでサンドウィッチの代わりに少し簡単に早く作れ、冷蔵庫で場所をとらないヴォイレイパ・カックが作られ始めました。

ヴォイレイパ・カックの種類はいろいろあります。中身とトッピングにのせる材料によって、肉、魚、野菜、チーズのヴォイレイパ・カックがあります。例えば、トッピングにハムをのせたら、それは肉のヴォイレイパ・カックです。中身のパンのスライスの間に入れる材料は、美味しいヴォイレイパ・カックを作るのにとても重要です。中身とトッピングの材料は、それぞれの味に合うように選びます。ヴォイレイパ・カックの形ですが、細長い長方形のものが一般的ですが、丸い形のものも作られます。

高校の卒業者

ヴォイレイパ・カックは、フィンランドでどんなお祝いの時に出されるでしょうか?フィンランドでは、春と夏はお祝いの季節です。春と夏のお祝いには、結婚式、婚約式、卒業式、堅信礼などがあります。フィンランドでは学校は六月の始めに終わって夏休みに入ります。高校の卒業式は大きなお祝いで、卒業生のいる家族は親せきや近所の人たちを家に招待して、大きなパーティを開きます。もう一つ夏の大きなお祝いは、教会の堅信礼のお祝いです。フィンランドでは、子供たちは15歳になると教会の献信礼の教育を受けます。10日間から2週間くらい、教会の研修所で合宿して、自然の中で聖書を勉強したり、キリスト教の教えについて学びます。合宿が終わると、教会の礼拝で堅信礼の儀式があり、そこで初めて両親から独立して聖餐式を受けます。この礼拝には生徒たちの親戚も集まるので、教会は人が入りきれないくらい一杯になります。堅信礼のあとで、それぞれの家で親戚も招待した大きなパーティーが開かれます。このようにフィンランドでは、堅信礼と高校の卒業式は若者にとって人生の大きな節目になるので、大きなお祝いになります。そのためにお母さんたちは一生懸命パーティーのためにごちそうを作ります。そこではヴォイレイパ・カックやデコレーション・ケーキも出されます。

聖書の中にもお祝いについて書いてあるところがあります。イエス様はある時、ガリラヤのカナという町の結婚式のお祝いに招待されました。イエス様の母マリアとイエス様の12人の弟子たちも一緒に招かれました。結婚式のお祝いはどこの国でも盛大に祝われますが、イエス様の時代は本当に多くのお客さんが招待され、何日間も続くものでした。それで、もてなしをする方も大変でした。このようなお祝いで何かが足りなくなることはおかしなことではありませんでした。このイエス様が参加した結婚式では、ぶどう酒が足りなくなりました。母マリアは、イエス様が何か助けてあげられると思って、「ぶどう酒がなくなりました。」と言いました。でもイエス様はどう答えたでしょうか?「婦人よ、このことが、私とどんなかかわりがあるのです。私の時はまだ来ていません。」とイエス様はお答えになりました。なんとも冷たい答えです。でもマリアは、きっとイエス様は何かをするだろうと思って、式場の召使いたちに「この人が何か言いつけたら、その通りにしてください」と言いました。

2006-07-18 by MMBOX PRODUCTIONchristiancliparts.net

結婚式場には大きな石の水がめが6つありました。一つの水がめに水が80リットル入る大きさでした。突然イエス様は召使いたちに、水を水がめが一杯になるくらいに入れて、そこからすくった水を式の世話役の人のところに持って行きなさい、と命じました。そこで召使いたちは、イエス様の言われた通りに水がめに水を一杯入れて、そこからすくった水を世話役に持って行きました。世話役がその水を味見してみると、どうだったでしょうか?不思議なことが起きていました。その水は美味しいぶどう酒に代わっていたのです。しかし世話役は、味見したぶどう酒が水から変わったということは何も知りませんでした。世話役は花婿を呼んで、感心して言いました。「普通は最初に良いぶどう酒を出して、みんなが酔った後で安いぶどう酒を出す人が多いのに、あなたはお客さんたちのために最後まで良いぶどう酒を取っといたのですね。」

このイエス様が水をぶどう酒に変えた出来事は、イエス様が行った最初の奇跡の業でした。ところで、この奇跡の業の大事な点は、水がおいしいぶどう酒に変わったことではありません。このような奇跡をフッと起こしてしまうイエス様は神様の栄光に満ちていると弟子たちが気づいて、それでイエス様のことを本当に神様が送られたみ子と信じるようになったこと、これが大事な点です。イエス様に神様の栄光が現れることは、この後も沢山起きます。中でも一番神様の栄光が現れた時は、イエス様が十字架にかけられて全ての人間の罪のために死なれた時、そして三日目に死から復活された時です。

「ヨハネによる福音書」1章にイエス様が現わした神様の栄光についてこう書いてあります。「私たちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。」イエス様が現わした神様の栄光は本当に、神様の人間に対する愛が偽りがなくて恵み深いものであることを示しています。この栄光に気づいた人は皆、心の中に深い喜びと平安を持つことができるようになります。

1月30日の子供料理教室の報告

本年最初の子供料理教室は、冷たい雨が降る1月最後の土曜日に開かれました。今回は、小さなお子さんから小学生の子供たちまで、お母さんお父さんも一緒に参加して、会場の牧師館はにぎやかな雰囲気に包まれました。

 

この日みんなで作ったのは、フィンランドのオートミール・パンとデザートのフルーツ・ヨーグルトです。

お祈りをしてから子供料理教室はスタートします。まず、パン生地に入れる材料を説明してから、3つのグループに分けてパンを作り始めました。小麦粉の量を正確に計って、材料をボールに入れて、よく混ぜます。柔らかくなった生地を2つに分けて鉄板に載せ、今度は手で生地を伸ばします。生地が手にくっついて、手を洗いたいよ、という声も。それでもみんな、パンを丸い形にして鉄板の上で伸ばし広げて、オーブンに入れました。

テーブルを片つけて、今度はフルーツヨーグルトを作ります。バナナ、リンゴ、缶詰の桃を小さく切って、ヨーグルトに混ぜます。お昼が近づいてきて、お腹がすいたよ、もう食べたいよ、という声も聞こえましたが、みんなデザートが出来るまで頑張りました。

オートミールパンを焼いている間、みんなで子供讃美歌を歌って、フランネルの聖書劇「木に登ったザアカイ」(聖書のルカ19章1~10節)を一緒にみました。イエス様はイチジクの木に登ったザアカイに向かって叫びました。

2006-09-08 by MMBOX PRODUCTIONMMBOX PRODUCTION

「ザアカイ、急いで降りてきなさい。今日は、あなたの家に泊まりたい。」ザアカイにとって、イエス様に出会ったこの日は人生の中で最も大切な日になりました。ザアカイは喜んでイエス様を迎えました。私たちもイエス様に出会うと、ザアカイと同じように大きな喜びを心の中に持つことができます。この喜びは神様からいただくものですので、神様に感謝しましょう。

フランネル劇が終わると、ちょうど焼きたてのオートミールパンの香りが拡がってきました。テーブルのセッティングをして、食前のお祈りをして、さあ、いただきましょう!オートミールパンにバターをぬって食べ始めます。最初、「美味しい、美味しい」という声がしたかと思ったら、すぐ静かになって子供たちは食べるのに黙々と集中。それを大人たちが微笑ましく見守ります。「なんだか大きな家族みたいね」というお母さんも。寒い外とは対照的な暖かい一時をみんなで分かち合うことができました。

次回の子供料理教室は3月に予定しています。詳しい案内は追ってお知らせします。どうぞ教会のHPをご覧下さい!

 

1月のフィンランド家庭料理クラブの報告

2016年最初の家庭料理クラブは「サーモンスープ」とサーモンスープ、フィンランドサンピュラを作りました。

フィンランドでは-20℃や-30℃の世界と聞きましたが、
東京も木枯らしが吹いた寒い土曜日の午後、
柔らかな日差しが入る牧師館では、
2016年最初の料理クラブでした。

最初にお祈りをして料理クラブはスタートです。

今回は、スープと一緒に焼き立てパンも用意するため、
フィンランド式のパン作りにも挑戦していただきました。

グループに分かれて、材料の計量に、生地を捏ね、発酵へ、

次は、サーモンの扱い方や、大量のジャガイモの皮むき、野菜類のカットなど作業がスムーズサーモンスープ、フィンランドに進み、大型の鍋からは、スープの湯気がたち、パンの焼き上がるのが待たれました。

スープが盛られ、焼きたての熱々パンは、ステンレスのクーラーに載せたままテーブルに、
食前の祈りをあげて、試食会は始まりました。
サーモンスープの味わいと、アツアツの焼き立てパンの相性は抜群で、
大鍋につくったサーモンスープは、きれいに完食となりました。

コーヒーを飲みながら、パイヴィ先生から、フィンランドの魚事情や、聖書の中の魚にまつわるお話を聞かせて頂きました。

参加の皆さま、お疲れさまでした。

 

 

フインランド家庭料理クラブに出席して。

 今日のフインランド家庭料理クラブは大好物の”サーモンスープ”を作ると言うことで家内ともども出かけました、熱々のスープを頂きながら満ち足りたひと時でした。食後のコーヒータイムにパイヴィ先生からフインランド人と魚についての面白い話を聞きましたのでご紹介します。

”料理教室の話2016年1月16日

フィンランドは湖や川がたくさんある国です。湖や川の魚の種類は多く、魚釣りが好きな人も多いです。昔、魚釣りは趣味ではなく、食料を得るための仕事でした。それで、魚釣りはどの家庭でも行われ、魚は毎日の食事のおかずでした。

時代は変わって、魚釣りは毎日の仕事ではなく、魚は店で買われるようになりました。その頃から海でとれるいわしが食べられるようになりました。いわしは沢山とれたので安い魚でした。冷蔵庫がまだない時代には、秋になると家庭でいわしを沢山買って、塩づけにして保存して、冬中ずっと食べられていました。子供の頃、私の家にもこのようにいわしを塩づけにして保存して、長い間いわしを食べました。残念ですが、現在いわしを食べるフィンランド人は少なくなり、一年に一人当たり300gだけ食べると言われています。最近トゥルクやヘルシンキでは秋になるといわしの市場(いちば)が開かれるようになって、そこではいわしだけでなく他の魚で作った料理や保存食も売っています。このいわし市(いち)は、冬に向かうフィンランドの秋の大きなイベントになって、沢山の人が訪れます。

現在フィンランド人は魚より肉をよく食べるようになったために、国の保健機関は、一週間の食事のうち魚を2食を食べることは健康のために良いと、国民に呼びかけています。最近、若者は魚の料理は好きではないようですが、年配の人たちはまだ魚をよく食べます。

今フィンランドでどんな魚が食べられるでしょうか?よく食べられるのは、湖や川でとられる白身の魚です。海の魚ではいわしとニシンとサーモンで、一番よく食べられるのはサーモンです。サーモンはフィンランドで養殖したものか、ノルウェーの海で捕ったものか、どちらかです。昔は高価なサーモンの料理は、クリスマスのようなお祝いの時にしか食べられませんでしたが、今は普段の日にもよく食べられるようになりました。サーモンを使った料理のなかで、今日のサーモンスープは伝統的なものですが、オーブンやフライパンで焼いたり、スモークサーモンにしたり、生のものを塩漬けにして食べます。

私は、日本のお店で売っている魚を見て、種類の多さにびっくりします。フィンランドの普通のお店で生で売っている魚の種類は少なく、いわしとサーモンとあと何か白身の魚が1種類あるだけです。日本の方がフィンランドに旅行すると、きっとびっくりするでしょう。

さて、聖書の時代にも魚はよく食べられていて、漁師の職業は普通でした。これから聖書の中にある漁師についてお話ししたと思います。ある日イエス様がゲネサレト湖という湖にやってくると、2人の漁師が舟からおりて、網を洗っているのを見かけました。そのとき、大勢の群衆がイエス様の教えを聞こうとして、彼の周りに集まって来ました。イエス様は漁師のシモン・ペテロの舟に乗って、少し岸から離れた場所まで行って、そこから岸辺にいる群衆に向かって神様のことについて教えました。

話し終えてから、イエス様はシモン・ペテロに「舟を少し冲に漕いで、そこで網を下ろしてみなさい」と言われました。シモン・ペテロは、「先生、私は夜中苦労しましたが、何も獲れませんでした。しかしお言葉ですから、網を下ろしてみましょう」と答えました。シモン・ペテロは漁師なので魚のことはよく知っていました。もし夜魚が獲れなかったら、昼はもっと獲れない、とシモン・ペテロは思ったでしょう。それでもシモン・ペテロは、神様についてのイエス様の教えをいつも聞いて、イエス様のことを尊敬していたので、言われた通りにしました。するとどうでしょう。信じられないことが起こりました。網が破れそうになるくらいに大量の魚がかかって、その重さで二そうの舟は沈みそうになりました。シモン・ペテロはこれを見て、どう思ったでしょうか?彼はイエス様の足元にひれ伏して、こう言ったのです。「主よ、私から離れてください。私は罪深いものです。」シモン・ペテロはイエス様にお礼を言いませんでした。どうしてでしょうか?この時シモン・ペテロは、今起こったことは神様の力で起きたと信じたのです。そして、イエス様は神聖な神のみ子でいらっしゃること、その方の前では自分は罪深いものなのだ、ということを理解したのです。それでシモン・ペテロは、「私は罪深いものなので、どうか私から離れてください」と言ったのです。しかし、イエス様はシモン・ペテロから離れないで、次のように言われました。「恐れることはない。これからは、あなたは人間をとる漁師になる。」そこでシモン・ペテロは舟を陸に引き上げて、すべて捨ててイエス様に従いました。こうしてペテロはイエス様の弟子の一人になったのです。

シモン・ペテロはイエス様に出会って、すべてを捨ててイエス様に従いました。私たちもイエス様と出会うことができます。それは、聖書のみ言葉を読んだり聞いたりするとこにできるのです。聖書のみ言葉を読んだり聞いたりすると、私たちが神様のみ前では罪深いものであることがわかります。しかし、まさに罪深い人間を救うためにイエス様は十字架にかけられて、そこで死なれて、三日目に死から復活させられて、天に昇られたのです。神様は、イエス様の十字架の出来事のゆえに、罪深い人間を赦して下さいます。ここに神様の人間に対する愛が溢れています。イエス様は私たち一人一人を愛して下さり、ご自分に従うように、と呼んでくださいます。イエス様は、シモン・ペテロから離れなかったように、私たちからも離れられません。マタイによる福音書の終わりにイエス様が言われた次のような約束の言葉があります。「私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」このような約束をされたイエス様は、今年も毎日、一人一人と共にいてくださいます。このことを忘れず、感謝して歩んでいきましょう。”

 

12/12のフィンランド家庭料理クラブの報告

穏やかな冬の日が差し込む牧師館で、今年最後の「家庭料理クラブ」を開きました。

ケーキ、フィンランド最初にお祈りをしてスタートです、
今回はクリスマスの食卓を彩る「ターテリカック」を作りました。

煮込んだ干しナツメヤシ(デェーツ)をたっぷり入れたターテリカックは、
黒い焼き上がりと、しっとりした生地の味わい深いケーキです。

焼き上がりのケーキにナイフを入れると、湯気と香ばしい香りに、ターテリカック、フィンランド、ケーキ歓声が上がり、
試食会は、グロッギと軽いスナックを添えてピックヨウルになりました。

パイヴィ先生からは、
フィンランドのクリスマスの特色の一つ、
クリスマスイヴにトゥルク市の広場で、中世から続いている、「クリスマスの平和宣言
」が正午に発せられ、
店やレストランは閉まり、国中が静まり、イヴとクリスマスは多くの人々が家族と過ごし、
静かな平和な雰囲気に包まれる、そんなお話を聞かせて頂きました。

 

今年も「スオミ家庭料理クラブ」に、多くの方にご参加いただけた事、感謝しています。
2016年も美味しいフィンランドを紹介していきたいと思います。

Hyvää Joulua!
皆さま、よいクリスマスをお迎え下さい。

西尾 ひろ子

11月18日の手芸クラブの報告

ヒッメリ手芸クラブは、月1回開かれています。
11月の第3水曜日、晩秋のわりには暖かい午前の時間に手芸クラブが開かれました。参加者の皆さんは作品を作るのを楽しみにしていたそうです。

ヒッメリ手芸クラブは最初にお祈りをして始めます。今回はフィンランドの伝統的な飾り物「ヒンメリ」を作ります。
はじめに作品のモデルを見せると、皆さん、「かわいい」と言いながら作り方の説明を聞きました。ヒンメリは普通わらで作りますが、手に入らないため、今回は赤色のストローで作ります。ストローは初めに合う長さにカットしたものを準備したので、作り始めは楽でした。ヒッメリ針に糸を通し、三本のストローを糸で結んで三角形を作ります。その一辺をもとに二本のストローを糸で結んで別の三角形を作り、それを繰り返していきます。短いストローでも同じように三角形を繰り返して作っていき、最後に大小のヒンメリを糸で結んで完成です。

各自が作ったヒンメリを棒にかけて、素敵なクリスマスの飾り物ができたと皆さん感激していました。ヒッメリ

最後にコーヒーと聖書のお話しになりました。聖書の箇所は旧約聖書の「列王記上」の17章8節から15節まで。預言者エリアが訪問した貧しいやもめの家でわずかな食べ物だけでずっと大丈夫だったという奇跡の話です。

ヒッメリ「私は、この旧約聖書の話をいつも不思議に思いました。これは、神様が私たち人間にできないことを起こされる奇跡です。神様はこの奇跡をどうして起こしたのでしょうか?神様はこの奇跡を通して、どれだけ人間を愛して下さっているか、見守っていて下さっているかを示そうとしたのだと思います。神様はいつの時代の人々も現在の私たちのことも全てご存じで、私たちを守ってくださいます。神様の愛はイエス様の十字架の出来事に一番よくあらわれています。神様の人間に対する愛というのは、「壺の粉は尽きることなく、瓶の油は無くならない」と言うように、いつまでも続くことです。このため私たちは思い悩む必要はありません。神様は約束されたようにいつも私たちを守ってくださいます。このことを天と地と人間を造られた神様に感謝して毎日の生活を続けましょう。」

次回の手芸クラブは来年の1月です。詳しくは、ホームページの案内をご覧ください。

 

11月14日フィンランド家庭料理クラブの報告

カルヤランピーラッカ冷たい雨が降る寒い土曜日の午後、
家庭料理クラブはカルヤランピーラッカを作りました。

お祈りの後、
レシピの説明です、
今回は、ミルク粥とじゃがいものムースカルヤランピーラッカを作るの2種類。

ライ麦粉と小麦粉を使った生地作りからスタートです、薄く薄く伸ばした生地は、高く重なって行きました。
次はミルク粥とじゃがいものムースを包みます。
刷毛で余分な打ち粉を払い、
苦心しながらも、キレイなピーラッカが鉄板に並びました。

焼き上がりにバターを塗り、美味しく完食しました。

パイビ先生からは、心に響くお話も聞かせて頂きました。

ご参加の皆様、お疲れ様でした。

次回は12月12日を予定しています。
カルヤランピーラッカ

 

聖書研究会:木村長政 名誉牧師

今日の聖書研究会は黙示録19章を学びました。19,20章は神様のみ業が成就する様子が描かれている箇所であると先生が述べられました。10節にある「イエスの証は預言の霊なのだ」について吉村先生とH姉から含蓄ある解説をいただきました。