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強い北風が吹く寒い14日のバレンタインの日、家庭料理クラブは「ラスキアイスプッラ」を作りました。今回はクリームやジャムでデコレーションするプッラなので、リッチなプッラ生地に挑戦していただきました。
最初にお祈りをしてスタートしました、全ての材料を計量して作業が進みます、リッチな生地はベトベトして捏ねづらく、悪戦苦闘しながらも頑張って良い生地が完成しました。
発酵、分割成形、再度発酵して、丁寧に卵水を塗り、オーブンの中に、きれいな焼き上がりに、歓声が上がりました。荒熱を取る間、最初に焼きたてのプッラを試食、生地の甘さとカルダモンの香りを、湯気と一緒に口の中に、アツアツのプッラの美味しさの次は、ジャムとクリームでデコレーションをしたプッラの番、こちらも美味しく頂きました。
パイヴィ先生からは、プッラの楽しいエピソードや、働きなど聞かせていただきました。
次回3/14は「キャベツのスープ」と「リエスカ」を予定しています。
1.フィンランドは人口500万程の小さな国である。その国内で大きなニュースになることが日本にまで伝わってくることはほとんどない。しかし、国外には伝わらないローカルな出来事でも、それが実は日本でも報じられる大きなグローバルな出来事と連動していることはよくある。その一つとして、今年の夏フィンランド国内を騒がせた「多文化主義」論争がある。
論争の発端は、政権与党の一つで移民受入れに否定的な立場を取る政党の議員がネットのブログに「多文化主義は国を害する悪である、自分は断固としてそれと戦う」という主張を載せたこと。早速メディアは沸騰し、各政党は同議員を非難し、問題の政党に説明責任を要求、各地で人種差別反対・多文化主義擁護のデモが起きた。結局、問題の議員は、「戦う」というのは暴力的手段を意味しないと釈明し、2ヶ月の党籍停止の処分を受けて一応自体は収束した。
この論争の背景には、今年激しさを増した地中海やバルカン経由で西ヨーロッパになだれ込む難民移民の大移動があるのは言うまでもない。他の西欧諸国に比して移民難民の受け入れの少なかったフィランドであるが、今年は難民申請者だけでも3万5千になるとの見通しが持たれている(10月15日の内務省発表による)。100万近くなると言われるドイツに比べれば雲泥の差だが、人口比で考えれば1億2千万の日本に84万人の難民申請者が押し寄せる計算になる。それ位の数の難民申請者がやって来たら、この世界第3位の経済大国はどうなるだろうか?経済的、精神的に持ちこたえられるであろうか?ひょっとしたら、この問いの答えは、我が国の難民受け入れ政策の実績が示しているのかもしれない。
2.ちょうど「多文化主義」論争たけなわの頃、ある大学教授が新聞のコラムに少し軽いタッチで自分の見解を披露していた。それによると、ヨーロッパの大都市に見られるような、移民と元からの住民が別々に棲み分けがされてお互い隔絶してしまったような状況は本当の多文化主義ではない。多文化主義とは異なる文化の人たちが接触し交流し合うことを言い、そうするうちにお互いが相手の良い点を取り入れて次第に一つの大きな文化を形成していく。つまり、多文化主義とはそういう単一文化に至る過程を言うのだ、という見解であった。終わりのところで、自分は稲荷ずしとラテン音楽の愛好者である、などと述べていた。
なるほど、自国以外の料理もよく食べ、外国の音楽を沢山聞けば多文化主義者になるのか、そうなると日本人はものすごく多文化主義的な国民ということになるが本当にそうだろうか?異なる文化というものは、各自が嗜好・愛好を取捨選択していくうちに融合・統合していくものだろうか?
例えば、宗教。どの宗教も人間は死んだらどこに行くのかという問いに答えを持っている。その答えがあるから、じゃ今生きているこの生をどう生きるべきか、ということに指針が与えられる。宗教によって死生観は大きく異なる。巷の仏教だと、人間は死んだら仏様になって33年位の修行の旅を続けて極楽浄土に到達する。その間、生きている人を見守ったり助けたりしてあげなければならない。キリスト教だと、死んだら神のみぞ知る場所で安らかに眠るだけで修行も何もしない。ただ眠っているだけ。しかし、最後の審判とか復活の日とか呼ばれる時が来たら目覚めさせられて、あとは天の御国に迎え入れられるか、または入れられないかということになる。この二つの宗教だけ見ても、果たして融合や統合の余地はあるのだろうか?
近年ではキリスト教会の中でも、極楽浄土だろうが天国だろうが最終目的地は実は皆同じで、ただ各々の宗教が違う言葉で言っているだけ、などと言う人が増えてきた。共通の目的地に至る道はいろいろあり、その異なる道がそれぞれの宗教なのだ、ということで、キリスト教は御殿場口から、仏教は須走口、イスラム教は吉田口、ユダヤ教は富士宮口、あとは頂上で会いましょう、という具合なのである(富士山登頂ルートと宗教の関係は何も考えていません)。
一見結構な話に聞こえるが、いっぱしのキリスト教徒として言わせてもらうと、天国で目にする神とは、天と地と人間を造り、人間一人一人に命と人生を与え、母親の胎内にいた時から自分のことを知っていた神なのである。それが実は阿弥陀如来と同じだったと言われてもなかなか納得できるものではない。仏教の人たちだって、極楽浄土で目にする阿弥陀如来が実は、自分のひとり子を2000年位前に今のパレスチナの地に送った方と同じと言われて、はい、その通りです、と言うだろうか?
3.ところが、このような異なる死生観を盾にして違いを強調すると、頑なになって異なる考えの相手を否定して宗教戦争が起きるのだ、と批判されることにもなる。私自身、そのような批判を受けたことがある。でも、私の死生観はあなたと全然違うのだ、と言ったら、必ず宗教戦争になるのだろうか?そうならないために、「同じ山頂、異なるルート」というコンセプトの中に諸宗教を流し込まなければならないのだろうか?それとも、頑なと言われたくないから、ものわかりよくしようとするのか?
ここで思い出すのが、キリシタン大名の小西行長が関ヶ原後、六条河原で首を刎ねられた時の出来事である。いよいよ最期の時、徳の高い僧が近づいてきて、成仏できるように念仏を唱えてあげようと申し出たが行長はこれを断ってしまった。これは歴史史料にも記されている史実と聞いたことがあるが、実はこの出来事が30年位前のNHKの大河ドラマ「黄金の日々」にあった。観られた方は覚えておいでであろうか?高僧を前にボロボロの行長が言ったのは、「私はキリシタンだ。キリシタンに仏教の念仏など無用!」そして首を刎ねられるのである。
仏教の人がみたら、なんと恩知らずの罰当たりなことを言うのかと呆れてしまうだろう。しかし、行長としては他に言いようがないのである。死んだら神のみぞ知る場所にいて安らかに眠り、復活の日に目覚めさせられて復活の新しい体を与えられて神の御許に迎え入れられる。罪深い人間の私にそれが可能なのは御子イエス・キリストが私の罪を十字架の上で贖って下さったからだ。そういう死生観と信仰を持つ者にしてみれば、成仏とか念仏とか言われても、全く筋違いな話なのである。仏教の人から見れば、せっかく極楽浄土に行けるのにどうしようもないわからずやだ、ということになろう。キリスト教徒からみれば、死者は復活させられるのにおたくこそわからずやだ、ということなる。お互いがお互いに対してわからずやなのである。
このような「わからずや」がいると、隔絶した棲み分けをもたらすことになるのだろうか?宗教戦争の原因になるのだろうか?ここで、小西行長と一緒に首を刎ねられたのは、石田光成と安国寺恵瓊であったことを思い出そう。光成は小僧上がりの武将、恵瓊は僧出身である。二人とも仏教徒である。信仰と死生観ではわからずやの立場の者同士が、家康の覇権阻止という共通の目的のもとに共に命を賭けて戦うのである。自分はキリシタンだから仏教徒とは一緒にはやりません、仏教徒だからキリシタンは嫌です、ということにはならなかった。隔絶とか宗教戦争とは全く逆のことが起こっているのである。しかも、行長の最後の言葉が示すように、死生観と信仰に関しては、わからずやさが全身みなぎっているのである。もし、行長に「同じ山頂、異なるルート」という発想があったならば、喜んで念仏を唱えてもらったであろう。なぜなら、念仏を唱えてもらって成仏できるというのは、別ルートではあるが目指す天国に着けることなのだから。
4.従って、異なる死生観、信仰を持つ者同士が協力・協働することは可能である。もちろん、そのような協力・協働の場では、いろいろ意見の相違も生まれてこよう。しかしその全てがそういう信条の違いによるものとは言えないのである。同じ信条の持ち主の場合でも意見の相違は生じるのだから。もちろん、死生観が現世を生きる際の指針を与える以上、信条の相違が意見の相違をもたらすことも十分ありうる。しかし、その時は、お前はわからずやだ、いや、お前こそ、と言って終わって、また協力・協働を続けるしかない。これが本当の多文化主義ではないか。「同じ山頂、異なるルート」という発想は得体の知れない単一文化主義である。
2015年度の総会が当教会の主管牧師・大柴譲治牧師(武蔵野教会)のもとに執り行われました。全ての報告、議案は滞りなく承認され総会は無事に終了しました。総会資料の閲覧をご希望の方は役員までお申しつけ下さい。
1/17の家庭料理クラブは「ル―ネべリタルト」を作りました。
北風が舞う寒い土曜日、牧師館の窓からは、明るい日差しが差し込む中、 最初にお祈りをして家庭料理クラブは始まりました。
全ての材料の計量をして、作業が進みます、材料の主役のピパルカックを砕いてると、 スパイスの香りと共に、クリスマスシーズンが思い出され、つい先日のクリスマスが、遠く懐かしくさえ感じてしまいました。
焼き上がったタルトの生地を冷まし、ラズベリージャムやアイシングで飾り付けをして 、 ルーネベリタルトは完成です。
パイヴィ先生から、ルーネベリタルト成り立ちや、材料の事、フィンランドの食のお話など、 興味深く聞かせていただきました。
次回2月14日(土)の家庭料理クラブは、 「ラスキアイスプッラ」(Laskiaispullat)を予定しています。 シナモンロールの生地をベースに作る、スキーやそり遊びのシーズンに食べる、 おやつのプッラになります。
「すごく不思議なクリスマス」は、クリスマスについての楽しいゲームスタイル アニメーションです。インターネットのブラウザと Youtube、iPhone と Android のタブレット、携帯電話やKindleでも見れます!無料です。是非、見て下さい!
美しいクリスマスの季節は、毎年、やってきては、過ぎ去ってしまいます。でも、今年のクリスマスは特別です。香と金蘭凛と菊花の3人は、東京でクリスマス・イルミネーションを見ているうちに、2000年前の時代へと舞い込んでしまいました。 本当のクリスマスへと・・・。
12/13のスオミ教会家庭料理クラブは、「ピパルカック」と「ヨウルトルッティ」を作 りました。
教会玄関の、クリスマスリースとツリーに迎えられて、会場の牧師館に進みます。
最初にパイヴィ先生のお祈りからスタートしました。 今回もグループに分かれての作業です、 ピパルカックの計量をして、生地作りをして、冷蔵庫で休ませてる間に、 ヨウルトルッティ作り、パイシートをカットしてプルーンジャムで飾り、オーブンの中 に、 生地が膨らみ、焼き色が付き、プルーンジャムがグツグツしてきたら焼き上がり完了です。
次の作業は、休ませていたピパルカック生地の型抜きをして、オーブンへ、 ピパルカックが焼ける時の香りは、きっと教会だけでなく、ご近所にも届いていたと思 います。
ぶどうジュースで作ったグロッギと一緒に、料理クラブのピックヨウルを楽しみました 。
パイヴィ先生から、クリスマスのお話や、ピパルカックの生い立ちなどを聞かせて頂き ました。
皆さま、良いクリスマスをお迎え下さい。
秋晴れの中、家庭料理クラブは、オーストラりアからのお客様も参加して「ジャガイモのクッコ」作りました。
最初にお祈りをして、料理クラブは始まりました。
シンプルな材料ですが、計量から、生地作り、ジャガイモの皮むきと作業が進みます、 沢山の参加者が、牧師館のテーブルを囲み、 日本語やフィンランドに留学されていた方のフィンランド語、 そしてオーストラリア人のご夫妻の英語に、多くの参加者が英語でお話しする、 とてもにぎやかな会になりました。
ジャガイモの皮を包丁でむく作業に、驚かれたり、 クッコを焼く時間、パイヴィ先生からクッコにまつわるお話を聞かせていただいたり、 オーストラリアの食べ物のお話など、話題もにぎやかでした。
焼き上がったクッコは、アツアツを切り分け、美味しく食べました。
参加の皆さま、クッコ作りから、きれいに後片付けまでお疲れさまでした、そして、有難うございました。
次回12月13日(土)の家庭料理クラブは 「ピパルカック」と「ヨウルトルッテゥ」を予定しています。
秋の日差しが、牧師館のカーテン越しに心地よい季節の到来を知らせてくれてる、土曜日の午後、スオミ教会家庭料理クラブは「リンゴのケーキ」を作りました。
最初に、パイヴィ先生によるお祈りからスタートしました。
今回は果物屋さんが太鼓判を押してくれた、美味しい紅玉を使い、18㎝の丸型を2人一組で1台ずつ焼きました。
パイヴィ先生からも、リンゴや、食にまつわるお話を沢山聞かせていただきました。北国のフィンランドで、収穫できる果物の種類は少なく、可愛らしい実をつけたリンゴは、庭先にはもちろん、森の中や街中でも見かけます、お菓子やジャム、ジュースなどに加工されて、食卓をたのしませてくれます。
焼き上がったケーキは、たっぷりのバニラソースを添えて、美味しく頂きました、ご参加下さった皆様、有難うございました。きれいに後片付けもしていただき、お疲れさまでした。
11月の料理クラブは、教会行事が重なるため、3週目の土曜日、11月15日 13:00~になります。「ジャガイモのクッコ」を予定しています。
皆さまのご参加をお待ちしています。
心地よい季節の到来に、皆さま、夏の疲れは大丈夫でしょうか?
家庭料理クラブは、夏休みのあと、秋のコースがスタートになりました。
今回は、すりおろし人参とミルクで捏ねた「人参パン」を作りました。
たっぷりの人参と最後に加えたドライトマトがアクセントの、手作りならではのパンに仕上がり、キャベツのさっぱりサラダとサーモンを添えて、試食会を楽しみました。
次回10/11は「リンゴのケーキ」を予定しています。
スオミ教会とその礼拝に繋がる皆様」
フィンランドは、今週に入って30℃を超す日が続いています。最近は一軒家ではクーラーをつけるところもでてきましたが、基本的にはクーラーを使わない国なので、湿気は少ないとはいえ、30℃を超えるとやはり暑さが強く感じられます。
こちらは、ウクライナ情勢とガザ情勢が連日のニュースを騒がせています。昨日は、アフガニスタンで、(SLEYではない)ミッション団体から派遣された支援活動員の女性二人が射殺されるという痛ましいニュースもありました。国内的には、大人も子供も夏休みなので、この夏の陽気がどれだけ続くかということが関心事の一つとなっています。
私たちの教会訪問の仕事も、夏休み期間中は、教会もキャンプ活動以外は集会や行事は休みになるので、来週一杯までは空白状態となり、私たちも自然休暇状態となりました。
先週は、ラプア市の近くでSLEYの少年少女キャンプ(11~14歳対象)があり、悦才が一人で参加してきました。悦才は知的障害がありますが、指導員たちがしっかり見ていてくれたので、三泊四日を25人の子供たちと一緒にしっかり過ごすことができました。毎日近くの湖で泳いだり、ゲームをしたり、音楽の活動があったり、聖書の学びの時間があったりし、楽しく充実した時を過ごせたようです。また来年も行きたいと言っています。添付の写真は、最初のものは、キャンプ開催地となったSLEYの合宿所、次は、悦才が寝泊りしたバンガロー、三枚目は、全体会で各バンガローの子供たちが自己紹介をしているところです。前に立っている三人の男の子の一番右が悦才です。
日本も猛暑の季節に入ったかと思います。皆様におかれてはくれぐれもお体に気をつけてお過ごし下さるようお願い申し上げます。天の父なるみ神の祝福と良い導きが皆様の上にありますように。
吉村博明