説教「この世に遣わされている私たち ―遣わされた者の生活と務めー」田中良弘 牧師

 序 父なる神さまとみ子主イエス・キリストの恵みと平安が皆様の上に豊かに与えられますように。アーメン。

暑さの続く日曜日の朝です。けれども昨日暦の上では立秋を迎えて心なしか今朝はいつもとは違って涼しさを感じます。ひぐらしも鳴きはじめました。

特に、今日は8月6日の広島原爆に続いて、9日は長崎に原爆が投下されたことを覚える日です。私たちが心から「平和を祈り求める日」です。

ご一緒に礼拝も集い神さまの恵みとみ言葉を分かち合うことができて感謝です。

 

1 先ず預言者アモスの語った言葉から学びましょう。

アモスは紀元前8世紀に神の言葉を語った旧約時代初期の預言者(続いてホセア、イザヤ)です。当時のイスラエルは繁栄していました。(そういう時代は御多分に漏れず支配階は堕落し、神の民の宗教意は希薄になり、道はの退廃していました)。そのような時代にアモスは預言者として登場しました。しかし王の祭司アマツヤはアモスを否定し、排除しようとします。

 

今日の日課に語られているアモスの言葉です。

「アモスは答えてアマツヤに言った。「わたしは預言者ではない。預言者の弟子でもない。わたしは家畜を飼い、いちじく桑を栽培する者だ。主は家畜の群れを追っているところから、わたしを取り、『行って、わが民イスラエルに預言せよ』と言われた。今、主の言葉を聞け。」と。

またアモスの語った忘れえない言葉(8:11~12)があります。

「見よ、その日が来ればと、主なる神は言われる。わたしは大地に飢えを送る。それはパンに飢えることでもなく、水に渇くことでもなく、主の言葉を聞くことのできぬ飢えと渇きだ。人々は海から海へと巡り、北から東へとよろめき歩いて、主の言葉を探し求めるが、見いだすことはできない。」

こうした旧約聖書のみ言葉が、今日の福音の序章になっています。

またこれは私たちの生きている現代社会への痛烈な預言者の言葉である。

主イエスの荒れ野における誘惑の最初も、「(あなたが)神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」イエスはお答えになった。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』。

今の時代に、宣教(神の言葉を語ること)が如何に必要であり、緊急な課題であることか!を学びたいと思います。

 

2 今日の福音書の主題は「主イエス宣教と12人の弟子たちの派遣」です。

 

◎「神の宣教と12弟子の派遣」(6:6b~7)

<特に、6bの最初の部分に注目しましょう!>

「イエスは付近の村を巡り歩いてお教えになった」とあります。

イエス・キリストご自身が宣教なさるのです。神の国、教会の宣教はここにあります。主イエス・キリストの宣教です(Missio dei)。私たちはその宣教に手足となって与らせていただくのです。宣教の主はあくまで主イエス・キリストです。主の宣教のの具体的な姿<マルコ1:15:主イエスの伝道開始>を想起しましょう。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(1:15)。主イエス・キリストの伝道(宣教)の内容は言うまでもなく十字架と復活にあります!

 

◎続いて12弟子の派遣につながります。弟子→使徒(遣わされた者)。

弟子は「二人ずつ」派遣されました。互いに助け合い、共働の必要性があります。これは現在の私たちの教会にも必要なことがらです。

また、「汚れた霊に対する権能」が与えられました。=人知を超えた霊の力。

“使徒”言行録を見ると使徒たちの宣教の使命と誇りを知ることが出来ます。

 

3「宣教の旅装と生活の規定」(6:8~9)

◎「杖一本のほか何も持たない」=これは厳粛な命令であります。

パン(食糧)も、袋も(頭陀袋=喜捨を乞う)、金銭も持つな!

「さらに下着は二枚着るな!」=余分な衣服を持つな。

 

◎主イエス・キリストは言われました(マタイ6:25~34)

空の鳥、野の花を見よ!=先ず、神の国と、神の義を求めよ!

そうすれば、一切が、与えられ、保証されるのです。

これがキリスト者の生活の原型(プロトタイプ)であります。

 

4「神の言葉の宣教と諾否―然りか否か―」(6:10~11)

◎「ある家に入ったら・・・その家に留まりなさい」=主イエスの時代から、初代教会そして今においても、家は宣教(伝道)の拠点であります。

初代教会においては「家庭集会」が重んじられました。

参照してください。

ペトロ=シモンの家→コルネリウスの家での宣教(使徒9、10章)。

パウロ=マケドニア伝道:紫布の商人、リディアの家から。(使徒16章)

    アジアで禁止、ヨーロッパ宣教の開始<無理に承知させた>。

 

◎宣教の結果は、福音を受容(アーメン)か、否(足の裏の埃)かである。

神の言葉に聞き従う人が、群れが起こる場合、そこには神の国が現実に生起するのです。神の大きな愛と恵みが現実のものとなります。

しかし、神の言葉に聞き従わない者の人生は、その人の責任です。

 

5「派遣の目的―宣教と癒し」(6:12)

◎先行する現実=神の国は近づいた!(恵みの現在性、現存性である!)

神の言葉が語られる時にそこには恵みと力があります。祝福が与えられます。

 

◎悔い改めて、福音に与るのである。

悪霊の追い出しと病の癒し!=まさに奇跡の顕在化である。

 

5 使徒書(パウロ特有の言葉)=「神の秘められた計画」(1:9)

しばしば人の目には「隠されている」のです。先々週、私は「メシアの秘密」について話した。神の愛・恵みに触れることなしには、神の知識と出来事は人の目に隠されているのです。

 

※ ホスピスで自ら“無宗教・無信仰”という婦人は最後に「聖書を学ぶべきであった!けれども、もう遅い」と言いました。

私は「ルカ23:39~43にある三本の十字架物語」を語りました。

十字架にかけられた一人の犯罪人は:イエスを“ののしった”。しかしもう一人は「お前は神をも恐れないのか!御国で私を思い出して下さい」と言いました。

主イエス・キリストは言われた「あなたは今日私と一緒に楽園にいる」と。

 

※ 結語 私たちもこの世に生を受け、この世に遣わされています!

  神の愛と恵みに生きることを優先したいと思います。アーメン。

 


聖霊降臨後第11主日礼拝  2015年8月9日

聖書日課 アモス7:10~15、エフェソ1:3~14、マルコ  6:6b~13


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