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私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。 アーメン
私たちの主イエス・キリストにあって兄弟姉妹でおられる皆様
1.
先週の福音書の箇所ルカ3章では、イエス様がヨルダン川にて洗礼者ヨハネから洗礼を受けたこと、そしてその時神からの聖霊が彼に降って特別な力が備えられたことをみました。特別な力とは、神の人間救済計画を実現する力です。神の人間救済計画とは、罪の奴隷になって死の力に支配されている人間を救い出すことです。そのためにイエス様は自分自身を犠牲の生け贄にして、罪の奴隷になっている人間を神のもとに買い戻す。そういう、人間を罪と死の力から解放する計画です。イエス様は、洗礼のすぐ後で、ユダの荒野で40日間悪魔から誘惑の試練を受けますが、全て旧約聖書にある神の御言葉を盾としてはねのけました。これは、聖書の神の御言葉には悪魔を退かせる力があること、そして御言葉が真理であると信じる者には悪魔は手の出しようがないということを示す出来事でした。
この荒野の試練の後に、本日の福音書の箇所が来ます。イエス様は、ユダ地方からガリラヤ地方に移りました。ガリラヤ各地のユダヤ教の教会堂、シナゴーグを回って、神の国が近づいたということ、それに人間の救いがまもなく実現するという福音を人々に伝え始めます。そして神の国が架空のものではない、実在するものであることを示すために数多くの奇跡の業を行いました。それでイエス様の評判はたちまちガリラヤ地方全域に広まりました。イエス様が幼少の時から長年育った故郷の町ナザレに入ったのはちょうどその時でした。
イエス様のナザレ訪問の目的は、生まれ育った故郷に帰ってのんびり休暇を過ごすことではありませんでした。これまでガリラヤ地方で行ってきたのと同じく宣教をするためでした。しかし、顔見知りが多くいる故郷の町では、他の町々と勝手が違いました。どう勝手が違ったか、なぜそのようなことになったのか、ということが本日の福音書の箇所の主題になります。
イエス様は、これまでそうしてきたように、まず町のシナゴーグに入ります。安息日の礼拝で人々に教えるためです。私たちの用いる新共同訳では何気なく「いつものとおり」とありますが、原語のギリシャ語の意味はもう少し深くて「彼にとって習慣だった」ということです。イエス様が宣教活動を始める前にも安息日にはきちんと欠かさず礼拝に通っていたことが窺われます。
ところで、当時のシナゴーグの礼拝ですが、少し背景について説明いたします。ヘブライ語で書かれた旧約聖書を朗読した後で、それをアラム語で解き明かしする説教が行われていました。なぜ二つの言語が出てくるかというと、イスラエルの民はもともとヘブライ語で書いたり話したりしていました。それで神の御言葉ももともとはヘブライ語で記されました。ところが紀元前6世紀に起きたバビロン捕囚でイスラエルの民は異国の地バビロンに連れ去られてしまいます。捕囚は50年近く続き、これは二、三世代に渡るので、イスラエルの民はその言語がだんだん異国の言語であるアラム語に同化していきます。日本でも明治時代からアイヌ民族の同化政策が行われると二、三世代後にはアイヌ語使用者がどんどん失われるという悲劇が起きました。
さて、捕囚の身となったイスラエルの民でしたが、紀元前6世紀の終り頃にバビロン帝国を倒して中近東の覇者となったペルシャ帝国の王の計らいでエルサレム帰還が認められます。帰還した民は廃墟となったエルサレムの町と神殿の復興事業にとりかかります。当時の民の苦難と信仰の戦いの出来事については、エズラ記とネヘミア記に記されています。ネヘミア記8章を繙くと、指導者が民に向かってモーセの律法を朗読する箇所があります。そこに、朗読者が「律法の書を翻訳し、意味を明らかにしながら読み上げた」とあります(8節)。つまり、ヘブライ語の聖書を朗読しアラム語に翻訳して解説したということであります。ヘブライ語は一般の人にはもう遠い言語になってしまったのです。こうしてヘブライ語の旧約聖書を神聖な最高権威の書物として朗読して、続いて民が理解できるアラム語に訳して解説することが始まります。この形の礼拝がイエス様の時代のシナゴーグの礼拝の時にも続いていたのです。
さて、本日の聖句に戻りまして、シナゴーグの会堂長は、その日の神の御言葉の朗読と解き明しをする人を誰にするかということで、これを今やガリラヤ全土に名声を博している御当地出身のイエス様に依頼しました。会堂は参会者で一杯です。イエス様に神の御言葉が記された巻物が手渡されました。巻物というのは、私たちが手にするような、紙を束ねて綴じる方式で作った本ではありません。動物の皮をつなぎ合わせてそこに文字を記して巻物にした形の書物です。皆様も耳にしたことがある死海文書というのもこの形式の書物です。イエス様は立って、イザヤ書61章の最初の部分をヘブライ語で朗読しました。その箇所の内容は、神に油注がれた者、つまりメシアが神の霊を受けて捕らわれ人に解放を告げ知らせるというものです。メシアはまた、心を打ち砕かれた人に心の癒しを与え、目の見えない人に目が見えるようになるという喜びの知らせを伝える。さらに神の恵みの年、恵みの時が到来したことを告げ知らせる。そういう内容です。
朗読した後、イエス様は巻物を係の者に返して、席につきます。席というのは説教者の座る所ですので、会堂の人たちの視線が一気にイエス様に注がれます。とても緊迫感のある場面です。イエス様が口を開きました。「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した(21節)。」この言葉の後でイエス様は解き明しをしていくのですが、それについてはルカ福音書では何も記されていません。22節をみると、参会者みんなが、イエス様の「口からでる数々の恵み深い言葉(複数形)に驚いた」とあるので、イエス様が解き明しを続けたのは間違いありません。解き明しの内容はほぼ間違いなく、神の国が近づいたこと、人間の救いがまもなく実現することを伝えるものだったでしょう。あわせて、各自に悔い改めをして、神のもとに立ち返る生き方をしなさいと促すこともあったでしょう。いずれにしても、イザヤ書の御言葉が実現したとイエス様が冒頭で宣言した時、この油注がれたメシア、神の霊を受けて捕らわれ人に解放や目の見えない人に開眼を告げ知らせるのはこの自分である、と証したのであります。
2.
ところが、ここで状況が一変する出来事が起きます。新共同訳の22節をみると、「皆はイエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いて言った。『この人はヨセフの子ではないか』」とあります。これでは、この後でイエス様が厳しいことを言って会衆が怒り狂うという、急転回がどうして起きたのか、少しわかりにくいと思います。ギリシャ語原文をもう少し忠実にみていくと次のような状況が浮かび上がります。イエス様の解き明しを聞いていた聴衆は、あの男は何者だと彼の正体を論じ合う状況になった。(μαρτυρεω「証する」という動詞は、与格の目的語を伴うと、肯定的にも否定的にもその者について証する意味があります。)聴衆は、イエス様の口からでる恵み深い言葉に驚いている。しかしその同じ聴衆が、「あれはヨセフの子の大工のイエスではないか」とも言っている。つまり、神の恵みの言葉を価値あるものとわかって、イエス様が誰の子とかそんなこと全く関係ないという雰囲気が生まれた。しかし、同時に「あれはヨセフの子」ということに目が行ってしまい、せっかく価値があると思っていた教えが色あせてしまう。この方は神の人間救済計画を実現する方だということがわかる一歩手前まで来ていたのに、これは誰々の息子だ、故郷のみんなはそれを知っている、ということで遮ってしまったのです。聴衆にとって、神の御言葉を語るイエス様は肉眼に映る像をはるかに超えた存在に映りそうになったのに、やはり肉眼に映る像しか見れなくなってしまったのです。もう少しで肉眼の目ではない心の目、信仰の目が持てるところまでいっていたのに、肉眼の目に戻ってしまった。そして、その目に映る像が真実だと思うようになってしまったのです。
信仰の目とはどういう目かというと、神は人間を罪と死の奴隷状態から救い出してあげようという意思を持った方である、という真理を見ることが出来る目です。また神は人間の救いを実現するために自分のひとり子をこの世に送られたという真理も見ることが出来る目です。こうした真理は、限りある肉眼の目では見えません。肉眼では、目の前にいる男は単なるヨセフの息子の大工にしか見えません。信仰の目を通して見るイエス様は、まさに天と地と人間を造られた神が提示するイエス像であります。それは、人間が限りある知識を駆使して、ああだ、こうだと言って造り上げたイエス像ではなく、神の力に助けられて知ることのできるイエス像です。
イエス様は、聴衆が信仰の目を持てずに肉眼の目に留まってしまっていることに気づきました。こうなってしまったら、ナザレの人たちは奇跡でも行わない限り信じないということもわかりました。イエス様は、ナザレの人たちが自分に向かって「医者よ、自分を治してみろ」と言いたくて仕方がないと見破ります。「医者よ、自分を治してみろ」というのは、そうしたらお前が良い医者であると信じてやろう、ということであります。加えてナザレの人たちはイエス様に向かって、カファルナウムで行ったのと同じ奇跡を故郷の町でもやってみろ、そうしたら信じてやろう、そう言いたくて仕方がないと見破ります。
しかしながら、イエス様は、ナザレの人たちに奇跡を行うことはしませんでした(マルコ6章5節、マタイ13章58節も参照)。そのかわりに、旧約聖書の御言葉を引き合いに出して、それを鏡のように用いて、彼らがどういう人間であるかを示しました。旧約聖書の記述とは、一つは列王記上17章にある預言者エリアが大飢饉の時にシドンのサレプタのやもめを餓死から救ったという出来事です。もう一つは列王記下5章にある預言者エリシャがアラムの王の軍司令官ナアマンのらい病を完治した出来事です。サレプタのやもめもナアマンもイスラエルの民に属さない異教徒の民でした。預言者エリアとエリシャの時代、イスラエルの民の北王国は神の道に背く道を歩んでいました。神は、御自分の預言者を自分の民のもとには送らず、異教徒に属する者に送って彼らを助けたのでした。イエス様は、ナザレに奇跡を行う預言者が送られないのはこれと全く同じであると言うのです。つまり、ナザレの人たちは、かつて不信仰に陥ったイスラエル北王国と同じ立場にある、というのです。
これを聞いた聴衆は激怒します。怒り狂ったと言ってもいいでしょう。イエス様をシナゴーグから追い出し、そのまま山の上まで追いやってそこの崖から突き落とそうとします。しかし、不思議なことにイエス様は群衆をすり抜けて行き、難を逃れます。普通なら群衆の押し出す力で人ひとり崖から突き落とすのはたやすいことだったでしょう。どうやって群衆の力をかわせたのか、詳細は何も記されていません。これも奇跡の業だったと考えられます。イエス様は、十字架と復活の出来事のためにこの世に送られた以上、それが実現するまではどんなに絶体絶命の危険に陥っても、ゴルゴタの日までは神はイエス様が滅びるようなことは一切認めなかったのであります。
3.
ところで、なぜイエス様はナザレの人たちが自分に対して攻撃的になるようなことを言ったのでしょうか?どうして、肉眼の目に留まってしまった人たちを信仰の目が持てるように導かなかったのでしょうか?先ほども触れましたように、ナザレの人たちがイエス様をメシア救い主と信じるようになるためには、もはや奇跡を見せないと効き目がない、とイエス様はわかっていました。もちろん、奇跡を目撃したり体験したりすることを出発点として信仰に入ることも可能です(ヨハネ14章11節)。しかし、その場合、ただ超自然的な力を目で見たから神を畏れるようになった、というだけで終わってしまう危険があります。
本当の信仰とは、たとえ肉眼で見なくとも、神が人間救済の意思と計画を持って、それをひとり子イエス様を用いて実現したことを真理と信じられることです。ちょうどイエス様が不信心のトマスに対して「見ないのに信じる人は幸いである」と言われた通りです(ヨハネ20章29節)。奇跡を目撃したり体験したりして信仰に入るというのは、結局のところ、肉眼に頼る信仰で、必ずしも信仰の目を持ってする信仰にはならないのです。奇跡の目撃や体験がなくなると信仰もなくなってしまいます。イエス様がナザレの人たちに対して肉眼に頼る信仰を許さなかったというのは、信仰の目をもってする信仰に導こうとしているわけですが、残念なことに彼らの反応は、メシア救世主を殺害するという、それ自体、自暴自棄そのものと言える行為に走ったのでした。なぜなら、イエス様を殺害して十字架と復活の出来事を起こさせないようにするというのは、自分たちを救うためにある神の計画を妨害することですから。
ナザレの人たちは、肉眼に頼る信仰の道を絶たれた時、なぜ信仰の目をもってする信仰の道を目指すことを考えなかったのでしょうか?この大きな原因は、彼らが自分たちは罪の奴隷状態に陥っていることを認められなかった、ないしは認めたくなかったからです。イエス様は、彼らがエリヤとエリシャの時代のイスラエル北王国と同じ罪深い状態にあると明確に指摘しました。しかし、ナザレの人たちは、謙虚に立ち止まって自分たちの生き方を神の意思に照らし合わせて自省することをしませんでした。全く正反対に、自分たちは、かつて神の罰として滅亡した王国と同列視されるような罪は何も犯していない、といきり立ってしまったのです。
以上から明らかなように、信仰の目が持てて、その目でイエス様を見ることができるためには、自分が神への不従順と神の意思に反する罪を持っていることを認めることができるかどうかにかかっています。人によっては、具体的にどんな罪を犯したか心当たりがないという人もいるかもしれません。しかし、人間は最初の人間アダムとエヴァが神に対して不従順に陥り罪を犯したために死ぬ存在となってしまいました。それで、人間が死ぬということ自体が人間の罪性、不従順性を示しているのです。
人間を造られた神は、人間がこの世から死んだ後、造り主である自分の許に永遠に戻れるようにするために、ひとり子イエス様をこの世に送ったのです。さらに、人間がこの世の人生の段階で永遠の命に至る道を歩めるようにするために、またその道を歩む際には順境にあろうが逆境にあろうが絶えず守られて歩めるようにするために、イエス様を送ったのです。それで、人間の罪と不従順がもたらす罰を全てイエス様に身代わりに受けさせました。人間は、イエス様のこの身代わりの罰受けが実は自分のためになされたとわかって、イエス様こそが救い主と信じて洗礼を受ければ、その瞬間に、イエス様の身代わりの罰受けは本当にその人に起きたことになるのです。この時、その人は信仰の目を持っています。神の意思と計画が真理であるとわかるために、奇跡や超自然的な力を見る必要は全くないのです。
しかしながら、イエス様を救い主と信じるようになって信仰の目を持てるようになったとは言っても、私たちは肉を纏って生きる以上、肉眼の目に頼ってしまう危険がいつもあります。どうして私たちは、そのような中途半端な状態に置かれなければならないのでしょうか?どうして、一度与えられた信仰の目が全てにならないのでしょうか?ルターは、信仰とは育たなければならないものと教えています。そうすると、今の中途半端な状態というのは、まさに信仰を成長させなければならないものにしていることがわかります。このことについて、ルターの教えをひとつ引用して本説教の締めとしたく思います。この教えは、第二コリント5章7節の聖句「目に見えるものによらず、信仰によって歩んでいるからです」の解き明しです。
「福音の光に照らし出された人は、聖書の御言葉を噛みしめながらキリストとしっかり結ばれていく。たとえ自分自身、まだ罪が残っている、まだ罪の中にいると思っていても、その人は日に日に罪と地獄の外側へと移されていくのである。
しかし、そこには戦いがあることを忘れてはならない。感じること見えることが聖霊や信仰に戦いを挑んでくる。同じように聖霊と信仰も感じること見えることに戦いを挑む。信仰というものは性質上、理性が把握しようとすることに対しては介入しない。理性がしたいようにほおっておく。信仰はただ、人の目を閉じさせて、生きる時も死ぬ時も神の御言葉だけに依り頼むようにさせるのである。翻って、感じること見えることは、理性や五感で把握できること以上に進むことができない。このように、感じること見えることは信仰に対峙するものであり、信仰は感じること見えることに対峙するのである。この戦いで、信仰が成長すればするほど、感じること見えることは廃れていくのであり、逆もまたしかりである。
罪や驕り高ぶり、憎む心、独り占めしようとする心、その他全ての忌まわしいものが、キリスト信仰者である我々の内にまだぶら下がっているのは、それらが我々を逆に鍛えさせてくれるからなのである。御言葉に依り頼みながらそれらに戦いを挑んで鍛えられていくと、我々の信仰は一日一日と前に進み、最後には頭のてっぺんから足のつま先まで完全なキリスト信仰者になれて、キリストに完全に覆われて、天の御国の真の祝宴の席につけるのである。我々は、海の荒波を思い浮かべるが良い。波は次から次へと岩壁に押し寄せ、それはあたかも力ずくで岩壁を砕こうとしているかのようである。しかし、砕かれるのは波自身であり、砕かれては消え去ることを繰り返すだけである。罪の攻撃もこれと同じである。罪は、我々を打ち砕いて絶望に追い込もうと、それこそ覆いかぶさるように襲いかかってくる。しかし、力が足りず退散しなければならないのは罪なのである。なぜなら、罪は最後の日に音もなく消え去るよう既に定められているからなのだ。」
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安があなたがたの心と思いとをキリスト・イエスにあって守るように アーメン
主日礼拝説教 顕現節第三主日2016年1月17日の聖書日課 ルカ4章16-32節、エレミア1章4-8節、1コリント12章1-11節