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りんごの話
この季節フィンランドの多くの家庭ではリンゴを使ってケーキ、おかゆ、その他のデサート、ジャム、ジュースなどを作ります。それで、リンゴの香りが家の中から外に広がっていきます。今年の夏私たちはフィンランドに一時帰国しましたが、秋のリンゴの収穫はとても良いと分かりました。というのは、どの家でも庭のリンゴの木は枝が折れそうになるくらいにリンゴで一杯だったからです。私の実家のリンゴの木は植えてからまだ数年しかたっていませんが、夏の終わりにはもう沢山りんごが出来ていました。
リンゴはフィンランドで最も古い果物で、千年くらい前にスウェーデンから広がってきました。リンゴはフィンランドの南の地方で良く栽培されますが、北にあるラップランドでは寒すぎて栽培できません。フィンランドのリンゴの実は日本のように大きくて豪華な感じがしませんが、フィンランド人は自分の家の庭にリンゴの木を植えて、大事に育てます。リンゴの木は育てる人を1年に二回喜ばせます。1回目は、五月の終わりにリンゴの木が白い花で一杯になり、花の香りが遠くまで広がります。フィンランド人はこの季節が好きで、リンゴの花が咲くのを毎年楽しみにしています。2回目の喜びは、8月の終わりごろ、赤や緑の実が出来きる時です。
リンゴの出来具合は年によって変わります。今年のように収穫の良い年は、リンゴの木は枝が折れそうになるくらいに沢山の実がなります。しかし、春が寒い年にはリンゴの実は木に何個しかできません。このためにフィンランド人は収穫の良い年にジャムやジュースを作って保存します。
フィンランドではリンゴの木は3種類あって、夏リンゴ、秋リンゴ、冬リンゴと呼ばれます。夏リンゴの実は一番早く出来て、味は甘く、そのまま食べて美味しいリンゴです。秋リンゴの実は固めでジャムやジュースを作るのに用いられます。冬リンゴの実は酸っぱくて、木から採った後、何週間か地下においてから食べます。冬リンゴの実はよくクリスマスの時に食べられます。
リンゴは健康にとても良い果物です。フィンランドのことわざに、「毎日リンゴを1個食べれば、医者を遠ざけることができる」というものがあります。リンゴはビタミン、ミネラル、繊維など沢山入っているので、健康に良いのです。秋、仕事場のおやつにリンゴを持って行く人は多いです。仕事場で自分の庭で育てたリンゴを同僚の人たちに分けてあげるのは、楽しいことの一つです。
リンゴは甘ければ甘いほど美味しいですね。しかし、フィンランドには冬リンゴのように酸っぱいものもあります。口からすぐ吐き出したいくらい酸っぱいものもあります。私は、健康に良いリンゴの実には甘いものと酸っぱいものがあるというのは、聖書のみ言葉にもいろいろな「味」があるのと同じではないかと思います。あるみ言葉は甘くて、もっと読んだり聞きたいと思います。ところが、あるみ言葉は酸っぱくて、読みたくないし、聞きたくもありません。このような聖書のみ言葉はどんな言葉でしょうか?
例として、2つの聖書の箇所を選びました。一つ目は、聖書の中でとても有名な箇所、「ヨハネの福音書3章16節です。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」フィンランドでは中学2年生の子供たちは教会の堅信礼の教育を受けるので、この箇所をよく覚えている人が多いです。神様は、このみ言葉を通して、私たちにどんなことを語っているでしょうか?
ここで独り子というのは神様の子、イエス様のことを指します。天の神様は、ご自分の独り子、イエス様をこの世に送られました。どうして神様はイエス様を送られたのでしょうか?それは、私たち人間が神様の言われたことをしっかり守ることが出来ないからです。神様が造られた最初の人間アダムとエバもそうでした。アダムとエバははじめエデンの園で暮らしていました。二人はエデンの園にある果物を自由に食べることが許されていましたが、一つの木からは食べてはいけないと神様に言われていました。しかしエバはその木の実を採ってアダムに渡し、アダムもそれを食べてしまいました。その実を食べたために、人間は死ぬことになってしまいました。また神様が言われたことを守れなかったために、アダムとエバはエデンの園から追放されてしまいました。
でもこれで全てが終わったのではありませんでした。神様はこのような人間を救って、再びご自分のもとに戻ることができるようにしようと考えました。そのためにイエス様をこの世に送られました。十字架の上でイエス様は、私たちの罪の罰をかわりに受けてくださいました。このように神様は、私たち一人一人を愛して下さるのです。さらに、神様は一度死んだイエス様を復活させられて、死を超えた永遠の命があることを示されました。イエス様を救い主と信じる者に、その命に至る道が開かれることになったのです。これが、先ほど読んだヨハネの福音書の箇所の意味です。これはとても素晴らしい箇所で、私も何回も読んだり暗記したみ言葉です。
二番目のみ言葉は、「ヘブライ人への手紙12章5節と6節です。「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。主から懲らしめられても、力は落としてはならない。なぜなら、主は愛するものを鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭うたれるからである。」この言葉を聞くと皆さんは、厳しい言葉だと思うかもしれません。この言葉にはどんな意味があるでしょうか?天の神様はいつも私たちに楽な道、困難がない道を与えられるとは限りません。人生の中でいろんな困難、病気、悩み、失業などに遭遇する時というのは、天の神様と私たちが結びついていることがはっきりする時でもあります。結びつきがあるとどうして言えるのでしょうか?イエス様を私たちのために送って下さった神様は本当に信頼してよい方です。また、神様のもとに行ける道は、イエス様を救い主と信じることで十分であるといことです。このように神さまは私たちのことを愛して下さるので、困難な時にも私たちに良い道を示して下さるのです。
聖書の全部のみ言葉の目的は同じです。私たちの心に信仰が生まれて、それを成長させて、リンゴの木と同じように良い実を結ぶことです。
私たちも、良い実を結べるようにみ言葉を聞いたり読んだりしましょう。