リエスカの話、11月のフィンランド家庭料理クラブ、パイビ先生

ジャガイモのリエスカ
今日皆さんが作ったジャガイモのリエスカとキーセリはフィンランドの伝統的な食べ物で、私のお祖母さんもお祖母さんのお母さんも作っていました。

フィンランドの食文化は、東の地方と西の地方の二つの食文化に分かれています。それでリエスカは、東の地方では生地にイーストを使い、厚いパンを意味します。ところが西の地方では、生地にイーストを使わず、大麦粉やオートミールの粉を使って作るので、薄いパンを意味します。現在はリエスカは普通、薄いパンを意味します。

昔リエスカは、薪で暖めるオーブンで高い温度で焼くのが普通でした。私の母も、パンを作る時は、薪で暖めたオーブンで一番初めにリエスカを焼いて、オーブンの温度が下がってから他のパンを焼きました。母がパンを作る時はいつも、子供たちはリエスカが出来上がるのを楽しみにしていました。出来上がった熱いリエスカの上にバターを塗って美味しく食べたことをよく覚えています。

リエスカはパンの種類の一つです。パンはフィンランド人の食事の中で最も重要な食べ物で、ほとんど毎食に食べます。それで、一日に四個から六個くらいパンを食べることになります。フィンランド人が食べるパンは小麦粉で作るものだけではありません。パンの生地によく入れる粉類としては、ライ麦、全粒小麦があります。その他にいろいろな種やすりおろした野菜なども入れます。このためにパンにはエネルギーの他に、ミネラルやビタミン、繊維も沢山入っています。酸っぱくて黒いライ麦のパンは今でもよく食べられるパンですが、他にもパンの種類は沢山増えて、店でパンを買う時、選ぶのが難しくなりました。現在、若者はライ麦パンより白いパンの方が好きになりました。しかし、私の父くらいの年令の人たちはまだライ麦のパンの方をよく食べます。父くらいの年令の人たちは、食事のパンの重要性をよく知っています。私の父は、もし食事にパンがないと、もうそれはご飯にならない、と言うくらいパンは食事の重要な一部です。かつてパンという言葉は、食べ物一般を意味する言葉としても使われました。例えば、「家にはパンはもう殆どありません」と言うと、それは「家には食料品はほとんどありません」を意味しました。このようにパンは、フィンランド人にとって重要な食べ物です。日本人は、どの食べ物が同じように重要でしょうか?やはり、お米でしょうか?

聖書にもパンやパンに関係しているお話が沢山あります。今日は聖書の中でも特に有名な、「イエス様が五千人の人たちに食べ物を与える」という話について話したく思います。

ある時イエス様は湖の岸辺で群衆に神様について教えられていました。長い間教えたので、お疲れになり、弟子たちと一緒に静かなところに行ってそこで休もうと思いました。そこでイエス様は、弟子たちと一緒に舟に乗って、湖の向こう岸に行きました。イエス様はそこでしばらく休めると思いました。しかし、群衆はイエス様と弟子たちが舟に乗ったのを見て、陸の道を通って反対側の岸に行きました。イエス様は大勢の群衆が集まって来たのを見て、新しい場所でも神様について教え始めました。人々はイエス様の教えに夢中になって、時間が立つのも忘れてしまいました。

時間も遅くなってきて、みんなもだんだんお腹がすいてきました。弟子たちは心配してイエス様に言いました。「群衆を解散させてください。そうすれば、みんな自分で近くの村に行って何か食べ物を買うことができるでしょう。」しかし、イエス様は「あなたがたが彼らに食べ物をあげなさい」と言ったので、弟子たちはびっくりしてしまいました。なぜなら、弟子たちはお金はみんなのを合わせても二百デナリオンしか持っておらず、その金額は五千人の人たちにパンを買うにはとても少なすぎました。弟子たちはイエス様に、「二百デナリオンでパンを買って、みんなに食べさせるのですか」と聞きました。ところがイエス様は弟子たちに、群衆の中にいくつパンがあるか調べるように命じました。弟子たちは群衆の中を調べて、「パンは五個見つかりました。その上魚が二匹ありました」とイエス様に言いました。そこでイエス様は弟子たちに命じて、人々を芝生の上に座らせました。弟子たちはこんな少ないパンと魚で一体何ができるのだろうかと思いましたが、イエス様の言う通りにしました。

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イエス様は五つのパンと二匹の魚をとって高く掲げて、神様に感謝してお祈りしました。その後で弟子たちにパンと魚を渡して、群衆に分けるように命じました。すると不思議なことに、五千人の人たちはパンと魚をお腹いっぱいになる位に食べたのです。そして、残ったパンのかけらを集めると、十二の籠が一杯になりました。

この出来事は、イエス様は私たちに肉体のための食べ物と霊的な食べ物の両方を与えてくださることを語っています。はじめイエス様は群衆に神様について教えました。神様は本当に恵みと愛に満ちた方だから、信頼して安心して大丈夫と沢山教えました。人々はこの教えを聞いて、心から喜んでもっと聞きたいと思いました。聞いているうちに時間がたって、夕方になっているのに気が付かないくらいでした。お腹がすいていたのも忘れるくらいでした。みんなお腹がすいていたのに、誰もパニックにならないで、イエス様の言われるとおりに芝生に座って、これからどうなるか見ていました。群衆は誰も心配していません。みんなは、イエス様は神様のひとり子なので信頼して大丈夫と思っていました。本当に大丈夫だったのです。こうして人々は、イエス様から霊的な食べ物を得て、神様が本当に人間を愛して下さっているとわかって、神様とイエス様を深く信頼して、肉体的な食べ物も得られました。五つのパンが5千人の人に足りて、余ったものがさらに12の籠に一杯になったというのは、神様の私たちに対する愛がそれだけ溢れるくらいのものであることを意味しています。聖書を読むと、そのような大きな愛が私たちに注がれていることがわかります。

   

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