説教「起きなさい。恐れることはない。」神学博士 吉村博明 宣教師、マタイによる福音書17章1~9節

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン

私たちの主イエス・キリストにあって兄弟姉妹でおられる皆様

1.はじめに

 本日は、教会の暦では1月に始まった顕現節が終わって、来週からイースターに向かう四旬節が始まる前の節目にあたります。福音書の箇所はイエス様が山の上で姿が変わるという有名な出来事についてです。同じ出来事は、先ほど読んで頂いたマタイ17章の他に、マルコ9章とルカ9章にも記されています。マタイ17章2節とマルコ9章2節では、イエス様の姿が変わったことが「変容した(μετεμορφωθη)」という言葉で言い表されていることから、この出来事を覚える本日は変容主日とも呼ばれます。毎年、四旬節の前の主日はこの変容主日に定められています。

 昨年も申し上げましたが、このイエス様の姿が変わる出来事はとても幻想的で劇的でもあります。イエス様が三人の弟子だけを連れて、「高い山」に登る。その山は、ほぼ間違いなく、フィリポ・カイサリアの町から30キロメートルほど北にそびえるヘルモン山と考えられます。標高は2814メートルで、ちょうど北アルプスの五竜岳と同じ高さです。以前、八方尾根でスキーをした時に見た五竜岳と比べると、ヘルモン山は写真で見るからにはなだらかで急峻な感じはしません。

ヘルモン山の頂上で何が起きたかと言うと、まず、イエス様が白く眩しく輝きだし、続いて旧約の偉大な預言者であるモーセとエリアが現れ、イエス様と何かを話し合います。そこで、ペトロがイエス様とモーセとエリアのために「仮小屋」を三つ立てましょう、と提案すると、突然辺りは雲に覆われ、その中から天地創造の神の声が轟きわたります。「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」(5節)と。その後すぐ雲は消え、モーセとエリアの姿もなくなり、イエス様だけが立っておられました。周りの様子は、頂上に着いた時と同じに戻っていたのです。ところで、神が「これはわたしの愛する子」と呼び、「これに聞け」と命じたのは誰のことだったでしょうか?それはイエス様のことでした。イエス様は神の子である、彼の教えることを聞いて守りなさい、と神は言われたのです。ところがイエス様は、十字架の死から復活させられるまではこの山の上の出来事を口外することを禁じました。

この出来事に幻想的な色を添えるのは、不思議な雲の出現です。山もこれくらいの高さになると、頂上からは雲海を見下ろすことが出来ます。雲海が乱れて雲が頂上を覆うと、頂上は濃い霧のただ中になります。本日の福音書の箇所を注意して読むと(5節)、雲の出現はとても速いスピードだったことが窺えます。ペトロが、「仮小屋」を立てましょう、と言ったすきに頭上を覆ってしまうのですから。山登りする人はよくご存知ですが、高い山の頂上が突然雲に覆われて視界が無くなったり、そうかと思うとすぐに晴れ出すというのは、何も特別なことではありません。そういうわけで、本日の箇所に現れる雲は、このような自然界の通常の雲で、それを天地創造の神が利用したと考えられます。あるいは、神がこの出来事のために編み出した雲に類する特別な現象だったとも考えられます。どっちだったかはもはや判断できませんが、この件は判断しないままにしても、福音書の解き明しには何の支障もないということは毎年述べている通りです。

 以上は、三つの福音書に述べられている出来事の大まかな流れです。ところが三つの福音書の記述をよく比べてみると、お互いに違っていることがいろいろあることに気づかされます。本日はマタイの記述を中心に解き明しをしていきますが、他の福音書の記述も注意してみていきます。

 

2.

同じ出来事を扱った複数の福音書の記述がお互いに違っているということは、本日の日課の箇所の他にも数多くあります。このことをどう考えたらよいでしょうか?ある記述が歴史を忠実に反映していると言ったら、じゃ、他の記述はそうではないということになってしまうのか?マルコの記述が正しかったら、マタイとヨハネの記述は信用できないということになってしまうのか?

聖書に収められた福音書はマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つがあります。それぞれのでき方を見ると、マタイ、マルコ、ルカの3つには共通点があります。ヨハネ福音書は、イエス様の弟子で出来事の直接の目撃者であるヨハネが書き記した記録が土台にあります。マタイ福音書も多分、弟子のマタイが書き記した記録が土台にありますが、マタイ自身の記録以外の資料も多く含まれています。大ざっぱに言うと、マタイ、マルコ、ルカの3つの福音書は、直接の目撃者でない執筆者が目撃者の談とか口伝えの伝承を資料にしています。さらに断片的に書き留められた記録やもっと長い記録も資料として用いています。

そういう目撃談や書き留められた記録などの資料は、伝承されていく過程で、強調したい部分は強調されたり、大事でないと考えられたものは背景に追いやられたり削除されたりします。そういうわけで資料は、福音書の執筆者の手元に届くまでに最初のものと比べて変化する可能性が高いです。そういうわけで、出来事の記述に違いがあるというのは、どっちが本当でどっちがそうでないと否定し合うもののように考えるべきでなく、全体像が把握できるためにお互いが補うもの同士になっているとみなければなりません。それに、出来事の記述に違いがあるとは言っても、核となる部分はみな同じです。イエス様に同行したのはペトロ、ヤコブ、ヨハネの三人の弟子であったこと、頂上でイエス様の姿が変わったこと、モーセとエリアと謎の雲が出現したこと、雲の中から神の声が轟きわたったこと、雲が消え去った後にイエス様だけが残っていたということ、これらは三つの福音書の記述全てに共通する、いわば出来事の核となる部分です。

三つに共通する中核部分に対して、今度はそれぞれがどう違っているのかを見ると、ルカ福音書ではイエス様が山に登った目的が「祈るため」と記されていますが、他の福音書では目的は何も言われていません。イエス様の変容についてみると、マタイ福音書では顔が太陽のように輝き、服も光のように白く輝きますが、マルコ福音書ではこの世のどんなさらし職人でも白くすることができないくらいの白さで輝いたことが言われます。ルカ福音書では、イエス様の顔の様子が変わり服が白く光り輝いたと言われます。イエス様がモーセとエリアと話をしていることについて、ルカ福音書では近くエルサレムで起きる、イエス様の十字架の死と死からの復活について話し合われますが、マタイとマルコでは話の内容は記されていません。ペトロが仮小屋を建てますと言ったタイミングをみると、マタイ福音書とマルコ福音書ではイエス様とモーセとエリアが話しをしている時ですが、ルカ福音書ではエリアとモーセがイエス様のもとを離れようとした時です。

それから、神の声が轟いた後のイエス様と弟子たちの様子についてみると、マタイ福音書では弟子たちは恐れおののき地面に伏してしまう。そこをイエス様が近寄ってきて、彼らに触れて「起きなさい。恐れることはない」と言って安心させます。マルコ福音書とルカ福音書では、イエス様のそういう励ましは記されていません。

 全体的にみると、ルカ福音書の記述が一番詳しいです。他方で、マタイ福音書ではイエス様が弟子たちを安心させるとか、マルコ福音書ではイエス様の変容がこの世のものでないことが強調されるという、ルカ福音書にない細部もあります。これらの違いは、先にも述べましたように、お互いを補い合って出来事の全体像を作り上げるものです。違いがあるおかげで、一つの出来事をいろんな角度から見れて、出来事を広く深く見ることができます。そういうわけで、違いがあることの中にも聖霊の働きがあると言うことが出来ます。

 ここで少し脱線ですが、同じ出来事を扱った福音書の箇所を比較しながらみると出来事の全体像がわかってくると申し上げましたが、どのようにしたらいくつもの福音書を同時比較することができるでしょうか?しおりや指をページに挟んで、いちいち開くところを変えるのは大変です。私はこうしています。このようにA3位の大きな紙に左からマタイ、マルコ、ルカの順に列にして書いていき、一目で比べられるようにします(実例を見せる)。私の場合はギリシャ語ですが、皆さんがわかる言葉で良いと思います。実はこういう本もあるのですが、値段は高いです。それに自分で書いた方が御言葉を身近に感じられます。なんだか写経じみていると思われるかもしれませんが、こちらは比較を通して書かれていることの内容を明確にするという目的があります。

 

3.

 イエス様の変容の出来事のなかには、分かりにくい事が沢山あります。例えば、イエス様が白く輝く変容をとげたこと、モーセとエリアの出現、ペトロの「仮小屋」を建てるという提案、出来事を言いふらしてはならないと言うイエス様のかん口令などです。以下にそれらを明らかにしていきましょう。

まず、変容したイエス様の輝きについて。マルコ福音書では、白さがこの世のものでないことが強調されて、神の神聖さを現すことを意味しています。ルカ福音書ではイエス様が「栄光に輝く」と言われ(32節)、これは文字通り神の栄光を指します。この変容においてイエス様は、罪の汚れに全く染まっていない、神聖な神のひとり子としての本質を現わしたのです。「ヘブライ人への手紙」4章には、イエス様が「わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われた」(15節)と言われています。つまり、イエス様というのは、この世に送られて乙女マリアから肉体を受けて人間と同じ者となったが、罪を持たないという神の性質はずっと持ち続けたということです。そういうわけで、ヘルモン山の上で起きた変容の出来事は、まさに罪を持たない神の神聖さを持つ、そういうイエス様の本質を現わす出来事だったのです。

次にモーセとエリアが出現したことについて。二人とも旧約の偉大な預言者ですが、遥か昔の時代に登場した二人が突然現れたというのは、どういうことでしょうか?俗にいう幽霊でしょうか?ここで、人は死んだらどうなるかということについて、聖書が教えていることをおさらいしますと、人はこの世を去ると、神の国に迎え入れられるかどうかの決定を受けます。ただし、その決定がなされるのは、イエス様が再臨して、この世が終わりを告げる時です。この世が終わりを告げるというのは、今ある天と地が新しい天と地にとってかわるということであり、その日には死者の復活も起きます。まさにその時に、迎え入れられるかどうかの決定がなされるのです。そうなると、この世を去った人というのは、ルターが教えるように、復活の日が来るまでは神のみぞ知る場所にいて安らかに眠るだけということになります。

ところが、将来の復活の日を待たずして既に神の国に迎え入れられて、もう神の御許にいる者がいるという考えがあります。ルターも、そのような者がいることを否定していません。エリアとモーセは、その例と考えることができます。というのは、エリアは、列王記下2章にあるように、生きたまま神のもとに引き上げられたからです(11節)。モーセについては、申命記34章にあるように、死んだとは記されていますが、彼を葬ったのは神自身で、人は誰もモーセが葬られた場所を知らないという、これまた謎めいた最後の遂げ方をしています(6節)。このようにモーセとエリアの場合、この世を去る時に神の力が働いて通常の去り方をしていないので、ひょっとしたら復活の日を待たずして、神の国に迎え入れられた可能性があります。まさにその二人が、イエス様に間もなく起こる十字架の死と死からの復活についてイエス様と話をするために、神の力によってヘルモン山頂に送られたのです。幽霊などという代物ではありません。そもそも亡くなった人は原則としては復活の日までは神のみぞ知る場所で安らかに眠るのが筋です。それなので、幽霊として出てくるというのは、それは神の力によるものではないので、私たちは一切関わりを持たないように注意しなければなりません。

次に、ペトロが建てると言った「仮小屋」について。「仮小屋」とは、原文のギリシャ語でスケーネーσκηνηと言い、それは神に礼拝を捧げる「幕屋」と同じ言葉です。ペトロが建てると提案したスケーネーというのは、まさにイエス様とモーセとエリアに礼拝を捧げる場所のことでした。しかしながら、ペトロの提案には問題がありました。なぜなら、イエス様をモーセやエリアと同列に扱ってしまうからです。モーセは律法を直接神から人間に受け渡した神の人、エリアは預言者の代表格です。しかし、イエス様は神の子であり、神の意思そのものである律法が完全に実現した状態を持った方です。また、預言者たちの預言したことが成就した方です。それなので律法を受け渡した人と預言を宣べ伝えた人とは同等に扱ってはいけません。それに加えて、モーセやエリアにも幕屋を建てるというのは、彼らを神同様に礼拝を捧げる対象にしてしまいます。こうしたペトロの提案は、天地創造の神の一声で一蹴されてしまいます。「これは私の愛する子。彼に聞き従え」と。つまり、「ここにいるのは神のひとり子である。律法の受け渡し人、預言の宣べ伝え人と一緒にするな」ということです。

 次に、イエス様は山の上の出来事を自分が死から復活させられる時までは言いふらしてはならないと命じましたが、なぜ、それを人々に伝えることをそのように後々に延ばしたのでしょうか?その背景として次のことが考えられます。イエス様の十字架と復活の出来事が起こる前は、人々は彼のことを預言者とかユダヤ民族を他民族支配から解放してくれる王という意味でメシアと見なしていました。しかし、受難の道を通って神の人間救済計画を実現するという意味でのメシアだとは誰一人として考えていませんでした。そのような時に、山の上で見たことを言い広めたら、ナザレのイエスはモーセ、エリアと並ぶ偉大な預言者だ、という噂が広まってしまったでしょう。十字架の死と死からの復活の出来事が現実に起きない限りは、イエス様がメシアであることの本当の意味はわかりません。イエス様としては、十字架と復活の出来事の前に余計な誤解や憶測を増やすことは避け、ただ黙々と神の人間救済計画を実現する道を歩むことに集中したのです。

 十字架と復活の出来事が起きた後で、イエス様には神の力が働いたからこそ死から復活することができたのだと皆がわかるようになりました。まさにその時に、イエス様は実は神のひとり子であった、そういう神の声をヘルモン山で聞いたと証言すれば、彼の十字架の死というのはこれ以上のものはないと言えるくらいの神聖な犠牲だったことがわかります。一体何のための犠牲だったかと言うと、それは人間が神から罪の赦しを受けられるための犠牲です。神聖な神のひとり子が犠牲の生け贄として捧げられたのです。それで人間は、イエス様が本当に自分の罪の償いのための犠牲になったとわかって、それで彼こそ救い主と信じて洗礼を受けると、神から罪の赦しを受けられます。それにあわせて、十字架で起こったことがその人に当てはまるようになります。十字架で起こったこととは、イエス様が自分を犠牲にすることで死を滅ぼしたこと、そして罪が持っていた、人間を死に陥れる力を無力にしたこと、こうしたことがイエス様を救い主と信じ洗礼を受ける人に当てはまるようになります。

 

4.

 さて、本日の使徒書の日課の中でペトロは、聖なる山の上で神の声を聞いたことが預言の言葉を一層しっかり携えて人生を歩めるようになったと証しています(第二ペトロ1章19節)。ここで言う預言の言葉とは、イエス様が将来再臨するという預言を指します。イエス様が再臨するということは、この世には終わりがあり、その時は今ある天と地が新しい天と地にとってかわられ、死から復活させられたキリスト信仰者は神の国に迎え入れられるという預言を指します。

ペトロは、神の声を聞いたことで、これらの預言の言葉を一層しっかり携えて歩めるようになったと言うのですが、山の上でのペトロは神の声を聞いた時、一体どんな状態だったでしょうか?恐れに満たされて地面に伏してしまってブルブル震えていたのではなかったでしょうか?預言の言葉を一層信じるどころではなかったのではないでしょうか?それがどうやって神の声を聞いて一層信じられるくらいに恐れを乗り越えられるようになったのでしょうか?

ペトロが恐れに満たされていた時、イエス様が何をしてくれたかを思い出しましょう。「イエスは近づき、彼らに手を触れて言われた。『起きなさい。恐れることはない。』」神のひとり子が自分の方から地に伏して震えている弟子たちのもとに歩み寄って、背中でしょうか、肩のあたりでしょうか、優しく手を触れて、心配しなくていい、大丈夫だ、と言って下さったのです。これから人間を罪の呪縛から解き放つために自分を犠牲に供しようとする方が、そう言って下さったのです。人間が受けられる励ましと勇気づけの中でこれ以上のものはあるでしょうか?

 兄弟姉妹の皆さん、私たちも地面に伏してしまう時があります。もうないと思っていたはずの罪が力をふるいだした時とか、またいろんな困難や苦難に陥った時です。そのような時こそ、イエス様が弟子たちのもとに来て、手を触れて、「起きなさい。恐れることはない」と言ったことを思い出しましょう。確かに、同じ声は私たちの耳に響きません。主の手が触れることも感じられません。しかし、聖書の御言葉を通して、また聖餐式を通して、全く同じ励ましと力添えを受けられます。御言葉と聖餐は同じ励ましと力を与えるのだと信じて、御言葉に聞き、聖餐を受ける。これがキリスト信仰です。自分がどう感じるかは二の次です。感じることよりも、もっと確かなことがある。御言葉と聖餐が励ましと力を与えると神が約束すれば、それが感じることに勝る真実になる。これがキリスト信仰です。兄弟姉妹の皆さん、神は私たちがそのような確かな真実を持つことができるように御言葉と聖餐を与えて下さったことを忘れないようにしましょう。

 

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安があなたがたの心と思いとをキリスト・イエスにあって守るように         アーメン

 

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