説教:木村長政 名誉牧師

 

20回コリントの信徒への手紙

617節                                   2018722日(日)

 

今日の御言葉は617節です。これまでの内容と違って、奇妙な事が書いてあります。それは教会の中で争いが起こった時どうしたら良いか、という問題です。その前にもう一度見ておきたいことは、前回の5章のところでパウロはコリントの教会の不品行と堕落に満ちた状況を赤裸々に書いて、どう扱うかを厳しく言ってきました。そして更に417節には弟子のテモテを遣わすと言って「キリスト・イエスに於ける私の生活の仕方を、私が至るところの教会で教えた事を思い出すようにと言ってきました。」このようにしてパウロは教会生活というものをはっきりと知らせ教会の権威を教えようとしているように見えるのであります。5章のところで終わりの方に教会の外の人を裁くのは神である。教会の内の者の問題は教会で全責任を負わねばならないと言ってパウロここでも教会の独自の権威というものを示そうとしています。そうしておいて続いて6章の始めで、それなら教会の内に争いが起こった時どうするのか、という事を語りながらここでも教会の権威が多くの人が考えているよりもはるかに力強いものであるのか、という事をはっきり示そうとしているのであります。現にコリントの教会の中に、もう問題がいっぱい起こっている。手が付けられないようなレベルの低い問題があちこちにある。そういう中に教会の聖なる信徒たちはどうしたのか。詳しい事情のことはよく分かりませんがそこには教会内の事件を外の人によって裁かれているらしいが、これは一体どういうことか、パウロはそれに対して厳しく咎めているわけです。62節を見ますと「あなた方は知らないのですか聖なる者達が世を裁くのです。この世の方があなた方によって裁かれるはずなのに、あなた方には些細な事件すら裁く力がないのですか。」とかいています。ここで」パウロが言いたいのは教会内の問題をなぜ外の人々に裁いてもらおうとするのか、という事であります。教会の問題は教会自身が解決しなければならない、と言って教会が持つ権威の事を語ろうとするのです。

 

不品行な者たちとの交わりについても教会は独自の判断を持っていました。教会の生活は教会の外の生活とは違っている思わせる程教会の独自の判断と権威を持っていると言いました。それは教会の事は教会で、と言うだけのことではなくて教会と言うところは他のものと違う立場を持っていると言うことであります。教会はこの世にあるあるに違いありませんがこの世に支配されない、むしろこの世をさえ裁く力を持っているはずである、というのであります。教会がそういうことを言うのは何か一人で力みかえっているように思われるかも知れません。現在においても日本ではキリストの教会は小さな団体であります。コリントの教会の当時、なおさら弱小なものであったと思います。その中にありながら、パウロは教会はこの世のものではない力と権威を持っているはずである、と確信していたのです。それはパウロだけでなく代々の教会がそうであったのです。人の目にはどう映るにせよ教会は神が建てられたもの、キリストによって救われた者の集まりであります。それならそこで行われるべきことは、まさに神の権威を反映させるべきものであります。キリストを信じることの力がどういうものであるか、ということを堅く確信していなければならない、ということであります。そういうことを言ったのちにパウロは教会の問題をなぜ教会外の人によって裁かれようとするのか、と言って今度は教会こそ実に世を裁くべきものではないかと言うのです。教会が本当の意味で世を裁くもの、いや裁いているものである、と言っているのですしかしだからと言って教会はこの世の事件をいちいち裁いたりするものではありません。教会がそこにある、ことが既にこの世に対する裁きではないでしょうか、と言うんです。現在の日本では教会の数はまことに少ない、神のこと等考えようともしない。しかし私たちは神を信じて教会に集います。教会での神様を礼拝すると言うことが大事であるこを知っています。教会の存在の力、神の力がこの世に働いているのです、教会は神によって建てられ、教会の力は世を裁いていることになるのであります。教会が世の中にあって裁いていると言っても教会の信徒がみな裁判官になるのではありません。そうは言ってもまことに神のいますことを証ししキリストの救いこそ真の救いであることを示すことによって、この世を裁くことになるのではないか、ということです。

 

パウロは3節を見ますとこう言っています。「私たちが天使たちさえも裁く者だ、と言うことを知らないのですか。まして日時生活に関わることは言うまでもありません。」つまり、ここで言われていることはキリスト者が世を裁くだけでなく、御使いをさえ裁く権威を与えられている、ということであります。こうしてパウロの教会の権威についての話は一層進んで御使いの裁きに至って頂点に達した、と言えると思います。私たちは自分が信仰を持っていると言うことをどう考えているでしょうか。キリスト者である事をただ皆と少し違う考えで生きているというだけでしょうか。教会へ来る事も習慣的に集まるというだけの事かも知れません。しかし、そうではなくて今は神のものとせられた者であります。パウロが言うのは私たちは既に神の権威のもとに生きている、と言うことです。それならばこの世の人の知らぬ確信をもって生きてよいのであります。パウロはコリントの教会へ強く迫って言うのです。「それだけの権威を神様から与えられ、そういう生活をしているはずの教会が裁きの事について、間違を犯すはずはないのではないか。」とパウロは言うのです。私たちの教会もコリントの教会とは違う大きな問題を抱えています。神がこの世に建てられた教会に神、また大きな力と権威とをお示しになって神の御業をあらわしていかれるのあります。     アーメン・ハレルヤ!

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