宣教師のフィンランド便り(その2)

日本はまだ暑さが続いているとのことですが、皆様お元気ですか?こちらフィンランドは、前回お伝えしたように7月は連日30度以上の猛暑、加えて干ばつもひどく、農作物は大打撃を被るという夏でした。地域によっては穀物の収穫が例年の半分以下というところもあり、毎日のニュースで政府の農業支援策が報じられています。猛暑は8月初めに終わり、それからは20度前後という通常の夏に戻りました。学校の学期も既に始まっています。少ないながらも穀物の刈入れは既に終わり、北国は秋を迎えようとしています。

今回は「教会訪問」の報告です。宣教師の「教会訪問」というのは、フィンランドのルター派国教会には公認のミッション団体が6つほどあり、それぞれが世界各国に宣教師を派遣していますが、宣教師一人あたりに各市町村の「支援教会」が複数ついて、財政的・霊的に支援をします。それで、宣教師と「支援教会」は常時連絡を取り合い、フィンランドに帰国した時は訪問して、教会関係者への挨拶、礼拝や集会の担当、派遣国での伝道について報告しなければなりません。

私たち吉村の場合、支援教会はトゥルクを中心に半径100キロ内に6つ、パイヴィ宣教師の実家エヴィヤルヴィ(トゥルクから北へ380キロ程)を中心に半径200キロ内に6つあります。今回はトゥルクを中心とした南の地方の教会を訪問しました。
 
教会訪問のオーソドックスな形は、まず地元の新聞に「私たちの地元の教会が支援している宣教師が訪問します!」という案内の記事が出たり、ミッション集会の案内が告知されます。写真はライティラ市の地元紙の記事。
 
訪問が日曜日にあれば、教会の礼拝で説教を担当したりします。平日であれば、教会の付属ホール等でミッション集会が開催されます。SLEY(フィンランド・ルター派福音協会)の場合は全国各地に有する「祈りの家」も会場になります(SLEYについては「宣教師のフィンランド便り1」をご参照)。
 
ミッション集会はいつもコーヒーと軽食で和やかに始まります。写真はライティラ教会のミッション集会のコーヒー・テーブル、テーブルには集会あとのくじ引きの景品も並べられています。
 
集会では、派遣国の最近の一般情勢から宣教師の伝道、派遣されている教会の動向について宣教師が報告します。写真はライティラ教会の集会で報告するパイヴィ宣教師。
 
 
報告の時は参加者から質問やコメント、励ましやアドヴァイスも出て、派遣国のキリスト教伝道の課題や挑戦について一緒に考えます。
 
集会はあと、讃美歌斉唱、地元教会の牧師がメッセージ、祈りのひと時があり、終わりにくじ引きの景品授与があります。写真は、ライティラ教会の集会の後の景品授与の様子。
 
ロイマーのSLEYの「祈りの家」ではロイマーの主任牧師がサクソフォーン演奏を披露。
 
 
パイミオ教会での集会の様子。

 

パイミオ教会の入り口にはSLEYの創始者G・ヘドヴェルイ牧師が1838年から1840年まで牧師を務めていた旨を記したレリーフが掲げられています。

 
トゥルクのマーリア教会とミッション集会の会場となった旧牧師館。

スウェーデン国王グスタフ三世の治世14年の時に建てられたと記したレリーフがあります(1809年までフィンランドはスウェーデン王国の一部)。マーリア教会での集会の様子。

ノウシアイネン教会での集会の様子。

ギターを弾くのは元SLEY宣教師のT.ハブカイネンさん(現ナーンタリ教会のユースリーダー職員)。
マルッティラのSLEYの「祈りの家」での集会の様子。

ルスコ教会の集会は野外礼拝でした。

礼拝中に報告をする吉村、パイヴィ宣教師。

礼拝後の野外のコーヒータイムの様子。コーヒータイムでは、報告の質疑応答の話がインフォーマルに続きます。日本に行ったことのある人も多く、旅行の感想や印象を話したりします。

ルスコの「名物牧師」サルミネン牧師。

SLEYの良き理解者であると同時にユーモア溢れる温かい人柄で地元の人たちに愛されている牧師です。


宣教師のフィンランド便り(その1)

 

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