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12月6日はフィンランドの独立記念日。毎年恒例の大使館でのレセプションは昨年はコロナ禍で中止になったが今年は開催された。 (3日金曜日にあり行ってきました。一足早くクリスマス料理を味わってきました。)
フィンランドの12月6日は独特な雰囲気のある日であったことをよく覚えている。冬の薄暗い日中、家ではパイヴィが子供たちとせっせとピパルカックを作り、晩になると大統領官邸でのレセプションのテレビ中継を見たものだ。その日のテレビ番組は第二次大戦の出来事を特集する番組が圧倒的に多く、フィンランド人はいかに独立したかよりも、いかに独立を守ったかの方に関心があるのかと思ったものだった。
それは理由のないことではない。1919年の独立当時のフィンランドは国内は分裂状態で、独立後も、左右イデオロギーの対立、都市部と農村部の対立、フィンランド語系とスウェーデン語系の対立が激しく、今風に言えば「分断国家」であった。それは徐々に解消に向かうが、それを一気に解消したのが第二次大戦での(当時の)ソ連との戦争であった。外的な脅威に対して国民が一致団結したのである。
戦時中の標語に、祖国(isänmaa)自由(vapaus)信仰(usko)の3つが守られるべきものとして唱えられた。「祖国」とは日本風に言えば「兎追いしかの山」であり、「自由」とは自由と民主主義の政治体制であり、「信仰」とはルター派教会である。フィンランド人は国家的困難によく耐え乗り越え、M.ヤコブソンが言ったように、第二次大戦に参戦した欧州の国で英国とフィンランドのみが占領を免れ戦前の国家体制を維持できた国だったのである。
「戦前の国家体制の維持」と聞くと、大方の日本人は顔をしかめるかもしれない。なぜなら、日本のそれはかつて丸谷才一が言ったように、お上に盾をついたと言いがかりをつけられないかビクビクしなければならない体制だったからだ。しかし、フィンランドは戦時中も国会は社会主義政党から保守党まで揃う議会制民主主義が機能していた国だったのだ。(そんな国がなぜ最後はナチス・ドイツ側に立って戦うことになってしまったかについては、国際政治史の専門家に聞いて下さい。私も少しは説明できます。)
フィンランドの例は、「国を守る」という時、 情緒面だけでなくvapausの重要性も示していると言える。なぜなら、それはこの国は守るに値する国だと理知的に確信できる根拠になるからだ。 それと、uskoがvapausと両立することも重要であることは言うまでもない。日本では愛国心を育む道徳教育が義務教育で必修になったが、準備段階でこのような視点で考えられただろうか?
さて、今のフィンランド人に守るべきものは何かと聞いて、上記の3つは果たして出てくるだろうか?思うに、「信仰」が危ういかもしれない。というのは、1990年代まで国民の90%以上がルター派国教会に属していたが、以後国民の教会離れが急速に進み出し、現在は70%を割ってしまっているからだ。戦時中は大統領から国民に至るまで上記の3つが守られるよう懸命に神に祈ったものだ。ソ連との交渉に臨む代表団がヘルシンキ中央駅を出発する時、見送りに来た群衆が一斉にルターの讃美歌「神はわがやぐら」を歌って送り出した気概はもうないのだろうか?(2020年12月6日初掲載)