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私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。 アーメン
私たちの主イエス・キリストにあって兄弟姉妹でおられる皆様
本日の福音書の日課の箇所ルカ2章の終わりは、12歳のイエス様が両親と共にエルサレムの過越祭に参加した後で一緒に帰らなかったため、両親が慌てて探しに行き、神殿の中で律法学者たちと議論をしていたところを見つけたという場面です。神童ぶりを発揮したということでしょうか。イエス様は神のひとり子なので文字通り神童ですが、ここは、子供のイエス様が既に人々を驚かせる才能を持っていたことを示すエピソードに留まりません。この出来事はよく見ると、私たちキリスト信仰者の信仰にとっても大事なことを教えています。特に母マリアとイエス様のやり取りがそのカギになっています。今日はこのことを見てみましょう。
その前にこの出来事を見るとイエス様のこの世での生涯がどういうものかがよりわかるので、それを見ておきましょう。イエス様の言行録である福音書はマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つがあります。マルコ福音書とヨハネ福音書ではイエス様の記述は大人になってからです。まず洗礼者ヨハネが登場して、それに続いてイエス様が登場します。マタイ福音書とルカ福音書はイエス様の誕生から始まります。双方ともイエス様の誕生後の幼少期の出来事も記されています。ヘロデ王の迫害のためにエジプトに逃れたことや割礼を受けたこと、神殿でシメオンやハンナの預言を聞かされたことなどがあります。その後は今日のルカの箇所で12歳の時の出来事が記されているだけで、あとはマルコやヨハネと同じように洗礼者ヨハネの登場まで何もありません。イエス様がゴルゴタの十字架にかけられるのは大体西暦30年前後のこととされているので、この12歳の時の出来事が幼少期と大人期の間の長い空白期の唯一の記述です。それでも、この短い記述からでも、その前後のイエス様の様子や状況が少し見えてきます。
一つは、マリアとヨセフは毎年過越祭に参加していたことが大事です。ガリラヤ地方のナザレからエルサレムまで直線距離で100キロ、道はくねくねしている筈ですから百数十キロはあるでしょう。子供婦人も一緒ならば数日はかかる旅程になります。イエス様は小さい時から両親に連れられて毎年エルサレム神殿で盛大に行われる過越祭に参加していたのです。皆さんは、今日の個所を読んで、帰路についた両親がイエス様がいないことに1日たった後で気づいたということを変に思いませんでしたか?あれ、エルサレムを出発する時に一緒にいないことに気がつかなかったのだろうか?これは、旅行が家族単位のものではなく、それこそナザレの町からこぞって参加するものだったことを考えればわかります。マリアとヨセフはイエス様が「道連れの中にいる」と思ったとあります。また「親類や知人の間を捜しまわった」とあります。「道連れ」というのは、ギリシャ語のシュノディアという単語ですが、これはキャラバンの意味を持ちます。つまり親類や知人も一緒の旅行団だったのです。そうすると中にはイエス様と同い年の子供たちもいたでしょう。子供は子供と一緒にいた方が楽しいでしょう。あるいは何々おじさん、おばさんと一緒にいたいということもあったかもしれません。いずれにしても、マリアとヨセフは出発時にイエス様がいなくても、また誰それの何ちゃんのところだろうと心配しなかったと思われます。もう何年も同じ旅行を繰り返しているので同行者も顔なじみです。二人が気にしなかったことからイエス様がどれだけこの旅行に慣れていたことがわかります。このようにテキストを一字一句緻密に見ていくとイエス様の幼少期から12歳までの様子の一端がうかがえます。
しかしながら、この12歳の時は勝手が違いました。今までになかった予想もしなかったことが起きてマリアとヨセフはパニックに陥ったのです。 この出来事の後のイエス様の様子はどうでしょうか?51節に「それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮しになった」。「仕えてお暮しになった」というと何か、もう両親に心配かけないようにしようと心がけていい子に生きたという感じがします。ここはギリシャ語のヒュポタッソーという動詞がありますが、両親に服するという意味です。もちろん両親に「仕える」こともしたでしょうが、要は十戒の第4の掟「父母を敬え」を守ったということです。当時のユダヤ教社会では13歳から律法に責任を持つとされていました。12歳までは子供扱いなのでした。エルサレム旅行から帰って程なくして13歳になったでしょうから、律法を守る責任が生じました。それで、エルサレム旅行の時に両親と緊張する場面があったが、その後は第4の掟に関しても他の掟同様、何も問題なかったということです。
洗礼者ヨハネが登場するまでの十数年の間の期間は平穏で祝福されたものであったことが52節から伺えます。「イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。」「背丈も伸び」というのは、私の使うギリシャ語の辞書では「年齢を重ね」という意味もあり、フィンランド語の聖書ではそう訳されています。「神と人とに愛された」も、「神や人々が彼に対して抱く愛顧も増していった」です。「愛された」と言ってもいいのかもしれません。いずれにしても、本当に誰からも好かれ頼られる非の打ちどころのない好青年だったのでしょう。その彼が、人間と神の間を切り裂いている罪と死の問題を解決するために自らを犠牲にしなければならなくなったのでした。
以上、少年期、青年期のイエス様の様子が少しわかってきたところで、エルサレムでの出来事に戻りましょう。12歳のイエス様とマリアの対話の中に私たちの信仰にとっても大事なことがあります。
マリアが問い詰めるように聞きました。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」「心配して」とありますが、ギリシャ語のオドュナオーという動詞はもっと強い意味です。気が動転した、とか苦しくて苦しくて、という意味です。これは私も経験上、特別支援の息子が4回ほど迷子になったことがあるので痛いほどよくわかります。2回は大きなお店の中で店内呼び出しをしなければなりませんでした。2回目の時は息子に先を越され、悦才くんのお父さん、悦才君がお父さんをインフォメーションで待っています、すぐ来てください、と言われて、私が迷子扱いになったようでした。店の外に出なければ大丈夫なので、出ないでくれと必死で祈りながら探しました。ところが3回目と4回目の時は外でした。これは本当に恐怖でした。4回目の時は携帯があったので話しながらお互い近づいて最後は落ち合うことが出来ました。バッテリーがなくなる前に見つかるようにと必死で祈りました。3回目の時は携帯がなく、しかも日が沈んで暗くなり始めてしまい、警察に届けなければなりませんでした。ただ、息子は家に帰る道順を覚えていたのでマンション前で待っていた母親に抱きかかえられてゴールインでき事なきを得ました。暗くなって人通りも少なくなった時に、子供が泣きながら歩いていたら今の時世何が起きるか考えただけで気が気でなく、私は本当にパニック状態でした。
マリアとヨセフの場合は携帯も交番もありません。1日分の帰路をエルサレムに戻らなければなりませんでした。その間の二人の思いはどんなものだったか考えただけで心が苦しくなります。エルサレムでも少なくとも丸2日間捜さなければなりまんでした。当時人口5万人位だったそうです。しかも、過越祭の直後でまだ大勢の巡礼者たちが残っていたでしょう。そんな中を一人の少年を捜し出すというのは雲をつかむような話です。丸3日以上の二人の気持ちを考えただけでこちらの胸も張り裂けそうになります。イエス様は無事でした。しかし、二人は無事を喜ぶよりも苦渋の表情を見せました。なぜなら、見つかった息子は、両親の顔を見るなり、お父さん、お母さん、会えてよかった!と泣きながら懐に飛び込んでくるような子供ではなかったのです。親の心配をよそに神殿で律法学者と平然と議論していたのです。両親はなんだこれは、と呆気に取られて大いに困惑したでしょう。彼らに再会の喜びは起きなかったのも無理はありません。
そこでマリアの問いに対するイエス様の次の答えが重大です。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」残念ながら、この訳ではイエス様の真意は見えてきません。ギリシャ語原文では「どうして捜したのか」と言っていません。そういうふうに訳すと、あなたたちは捜す必要はなかったんですよ、なのにどうして捜したですか、と言っていることになります。イエス様はそんなことを言っていません。じゃ、何を言っていたのか?原文を直訳すると「あなたたちが私を捜したというのは、一体何なのですか?」その意味はこうです、あなたちが私を捜したというのは、私が迷子になったということなのか?私は迷子なんかになっていない、私は自分がどこにいるかちゃんとわかっている、という意味です。じゃ、どこにいるかというと、「父の家」ということなのですが、「父の家」とはイエス様の本当の父である神の家、すなわちエルサレムの神殿を指します。ところが、ここの訳も訂正が必要です。ギリシャ語原文では「父の家」とはっきり言っていません。「父に属する事柄、父に関わる事柄」です。神殿もそうした事柄の一つですが、他にもあります。何でしょうか?それを見る前にまず、ここの文を直訳すると「私は父に属する事柄/父に関わる事柄の中にいなければならない、そのことをあなたたちはわからなかったのか?」です。それでは、「父に関わる事柄、父に属する事柄」とは何か見てみましょう。
エルサレムの神殿では律法学者たちが人を集めてモーセ律法について教えることをしていました。公開授業のようなものです。モーセ律法について教えるというのは、天地創造の神の意思について教えることです。創造主の神が人間に何を求め何を期待しているかについて教えることです。過越祭に参加していたイエス様は神殿で彼らの教えを耳にしたのでしょう。神のひとり子ではありますが、人間としては12歳です。言語能力、語彙力も12歳です。しかし、両親が敬虔な信仰者で家庭でも祈りをし旧約聖書の話をしてシナゴーグの礼拝に通っていれば信仰上の言語や語彙を習得していきます。12歳のこの時、律法学者の話を耳にして言語的に語彙的に接点が今までになく多くあったと思われます。以前は抽象的過ぎて馬の耳に念仏みたいだったのが、この時はいろいろ耳に入ってきて何が問題になっているかいろいろわかったでしょう。 さて、どんなわかりかたをしたでしょうか?イエス様は神のひとり子です。天の父なるみ神のもとにおられた時はどのような姿かたちを取られていたか私たちは全くわかりませんが、マリアから生まれ出て人間の姿かたちを取りました。12歳の彼の言語能力と語彙力は30歳や40歳の学者よりは限られているかもしれませんが、神の意思についてはイエス様は心と体で100%わかっています。逆に律法学者の方は、言語能力と語彙力は12歳より大きいかもしれませんが、神の意思についてはひょっとしたらほんの少しかわかっていなかったでしょう。抽象的な話に入っていける年ごろになったイエス様は、学者たちがこれが神の意思だと言っていることに大いに違和感を覚えたに違いありません。神は彼の父で、しかもこの世に生まれ出る前はずっとずっと父のもとにいたので神の意思は被造物である人間なんかよりよくわかっています。それで公開授業に飛び込んで、ああでもないこうでもないという話になったのです。イエス様の言葉は学者が使うものとは違うけれど、抽象的な言葉や言い回しで誤魔化すことがなく、全てをわかっているので質問も答えもストレートだったでしょう。人々はこの子は理解があると驚いたのは当然です。
ここからわかるように、イエス様が神に関わる事柄の中にいなければならない、と言ったのは神殿にいなけらばならないという意味ではなく、神の意思が正確に伝えられていないところに行ってそれを正さなければならないという意味なのです。このことは後に大人になったイエス様が活動を開始した時に全面的に開花します。その時のイエス様はシナゴーグの礼拝でヘブライ語の旧約聖書の朗読を任される位になっていました。律法学者並みの言語能力と語彙力があります。しかも、神の意思を100%心と体でわかっています。そのような方が神の意思について教え始めたらどうなるか?マタイ7章28節で言われます。「群衆はその教えに非常に驚いた。彼らの律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。」人間の知識人との差は歴然としていたのです。
ここでイエス様を捜す、見出すということについて私たちの場合はどうか考えてみましょう。私たちは罪が身近に来て私たちと神との結びつきを弱めようとする時、また私たちに起きてくる苦難や困難の時に、父なる神や御子なるイエス様に助けを祈り求めます。ここで、どちらに祈るのがいいのか、両方に祈らなくていいのか?といういうことについて一言述べておきます。どちらか片方に祈っても、キリスト信仰者は次のように祈るので結局は両方に祈ることになります。祈る相手が父なる神の場合は必ず終わりに「私の主イエス様の名によって祈ります」と言います。「イエス様の名によって」というのは「イエス様の名前に依拠して」ということで他の何者の名前を引き合いに出しません、それ位イエス様は私の主ですということを父に知らせます。では、なぜイエス様が主であるかと言うと、彼が十字架にかかって私の罪の罰を代わりに受けて下さったからです。そして死から復活されたことで私に復活の体と永遠の命に至る道を切り開いて下さり、その道をいま共に歩んで下さるからです。助けを祈り求める相手がイエス様の時は、イエス様が約束した通り、祈りを父なる神に取り次いでくれることを肝に銘じて祈ります。
さて、このように祈っても苦難や困難がなかなか終わらないと、イエス様は世の終わりまで一緒にいると言ったのに、一緒にいてくれないような気がしてきます。イエス様は一体どこに行ってしまったのか?キリスト信仰では、救い主イエス様がそばにいたら苦難や困難はない、それらがあるのはそばにいないからだという見方はありません。イエス様を救い主と信じ洗礼によって結ばれたらイエス様は苦難や困難があろうがなかろうが関係なくそばにおられるという見方です。そばにいるのに苦難や困難がなくならないのはなぜか、ということにはキリスト信仰はあまり注意を払いません。祈り願い求めているのに助けがないのはなぜかという質問をたてて答えを得ようとすると、日本のコンテクストではすぐ祟りとか呪いとかいう話になっていくと思います。キリスト信仰ではそういう問いのたて方はしません。苦難困難がなくなるのにどれだけかかるかはわからない、もちろん早く終わるにこしたことはないが、別に早く終わらなくても、それらがなくなる方向を目指してイエス様が一緒についていってくれるからそれでいいという信仰です。
イエス様が一緒についてくれていることがどうしてわかるのか?そこは彼がマリアに言った言葉「私は神に関わる事柄の中にいなければならない」を思い出しましょう。神に関わる事柄の中にイエス様はいらっしゃいます。聖書のみ言葉が神に関わる事柄です。そこにイエス様はいらっしゃいます。教会の礼拝も神に関わる事柄です。特にその中でも御言葉と説教と聖餐式は集中的に神に関わる事柄ですので、イエス様が共におられる密接度が高まります。苦難困難の最中でも御言葉と礼拝と聖餐式を通してイエス様はすぐそばにおられます。捜しに行くまでもありません。日々、聖書のみ言葉を繙きそれに聞き、礼拝に繋がっていればいいのです。祈りは父なるみ神に届いています。解決に向かってイエス様が一緒に歩んで下さるというのが祈りの答えです。それなので私たちは独りぼっちでこの暗闇のような世の中で立ち往生はしないのです。
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安があなたがたの心と思いとをキリスト・イエスにあって守るように