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スオミ教会・家庭料理クラブは4月9日に再開しました。今回はイースター/復活祭に向けてヨーグルト風味のピーチケーキを作りました。
料理クラブはいつもお祈りをしてスタートします。最初にケーキの生地を作ります。ハンドミキサーで砂糖とマーガリンをよく泡立ててから他の材料を加えて生地はあっという間に出来上がります。その次は中身です。水切りしたヨーグルトに砂糖、レモン汁などを加えてクリーミーにし、缶詰めの桃を薄くスライスしておきます。ここで生地を型に伸ばしてその上に中身を注ぎ、トッピングとして桃のスライスをきれいに並べます。こうして出来た生地をオーブンに入れて焼き上げます。すると、美味しそうな香りが教会中に広がりました。ケーキは黄色に焼き上がりました。黄色はイースターの色とも言われます。ケーキを少し冷ましてから切って、参加者の皆さんと美味しく頂きました。
今回はピーチケーキの他にフィンランドのイースター・デザート、パシャ・クリームとクリシャ・パンも一緒に味わいました。
美味しく頂いた後で、パシャと最初のイースター/復活祭の出来事についてのお話を聞きました。
次回の料理クラブは5月に予定していますが、コロナ感染の状況を見て日程を決めます。教会のホームページにお知らせしますのでご覧ください。
良いイースターを過ごし下さい!
今イースター復活祭の日が近づいています。2週間の後はちょうどイースターの前の土曜日です。この季節になると、フィンランドの家庭ではイースターのお菓子、お菓子パン、ケーキなどを作ります。今日作ったピーチケーキはその一つです。黄色の桃は春の明るい雰囲気を表すので、春を迎える時に作るお菓子にピッタリ合います。フィンランドでは黄色はイースターの色とも言われるので、このケーキは特にイースターに向けてよく作られます。 イースターのお祝いは春なので前の年の夏に採って冷凍庫に保存していたイチゴやブルーベリーなどのベリーは残り少なくなります。そのため、ベリーの代わりに缶詰めの果物を使ってイースターのお菓子やケーキを作ります。
今日はもう一つのイースターのお菓子、パシャも味わってみました。パシャもピーチケーキと同じ材料、ヨーグルト、レモン、フルーツが入っています。これらはイースターのお菓子によく使われる材料です。 「パシャ」という名前は実は、フィンランド語ではなくヘブライ語から来た言葉で復活祭を意味します。パシャは元々はフィンランドのお菓子ではなく、ロシア正教会の人たちを通してフィンランドに伝わってきました。フィンランドの東にあるカレリア地方にはロシア正教会の人たちが多く、彼らを通してパシャはフィンランド全国に広がって1970年くらいから一般の家庭でもイースターのデザートとして作られるようになりました。今ではフィンランド人のイースターの食卓を飾るデザートの一つです。パシャはヨーグルトの他にバター、生クリーム、アーモンドなどが入っているのでカロリーが多いです。それで、イースターの前の40日間の受難節が終わった後で食べるデザートにピッタリかもしれません。
パシャを作る形も決まっていて、このような高いピラミッドの形です。形の意味は、昔イスラエルの民がエジプトで奴隷になっていたことを思い出させるという意味です。このようなピラミッドの形を作るための型もあります。その型には、アルファベットのXとBの文字が掘られています。この二つの文字の意味は「キリストは復活した」です。
パシャはこのまま食べるものではありません。イーストで発酵させた「クリツァ」Kulitsaという特別のパンを作ってその上にのせて食べるのです。
フィンランドのイースターの食卓の料理やお菓子を通しても、イースターが意味する「新しい命」ということがよく表わされます。イースター・エッグもその一つです。卵からヒヨコが生まれるので、卵は「新しい命」を表わします。フィンランドではチョコレートで作った卵型のお菓子も売っています。その中に入っている小さな飾り物やおもちゃは嬉しい驚きをもたらしてくれます。歴史初めてのイースターの時も嬉しい驚きがありました。
それでは、最初のイースターの日にどんなことが起きたでしょうか?聖書はこのことについて詳しく書いてあります。まずイースターの前にイエス様が苦しみを受けられたことが書いてあります。イースターの前の週の木曜日イエス様は、彼に反対する者たちに捕らえられて、沢山の苦しみを受けました。そして翌日の金曜日、イエス様は何も悪いことはしていなかったのに、十字架にかけられて殺されてしまいました。イエス様の遺体は十字架から下されて、布に巻かれて岩に掘った墓に葬られました。しかし、3日目の日曜日の朝イエス様は復活されたのです。
その日の朝、かつてイエス様の教えをよく聞いて従っていた女性たちがイエス様の墓に行きました。ところが、イエス様の体はもうそこにはありません。イエス様の弟子たちも墓に来て、遺体がないことを目撃して、誰かがどこかに持って行ってしまったと思って悲しく帰りました。しかし、マリアという女性は帰らずに墓の入口で泣いていました。その時、誰かが歩いてきました。マリアが後ろを振り向くと一人の男の人が立っていました。それはイエス様でした。しかし、マリアは最初なぜかイエス様だと分かりませんでした。イエス様はマリアに言われました。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」マリアは答えて言いました。「あなたがあの方の体を運び去ったのですか?どこに持って行ったのか教えてください。わたしが引き取ります。」そこでイエス様はマリアを見つめて、「マリア」と言われました。マリアはその時はじめてイエス様であることに気づき、「先生」と言いました。マリアは、イエス様が「マリア」と言われた時にイエス様のことを分かったのです。
イエス様が十字架で死なれてからマリアと弟子たちは悲しみに沈んでいました。イエス様が一緒にいた時、彼らは幸せでした。しかし、今はただ寂しくて、これからどうなるか全然わからず、将来の希望もありません。マリアや弟子たちの喪失感はとても大きく、ただ静かなところで悲しんでいるだけでした。マリアはイエス様の墓の前で泣いていました。しかし、まさに希望がなくなっていた時にイエス様はマリアの前に立っておられたのです。神様はイエス様を死から復活させられたのです。イースターの前とイースターに起こったことは全て神様の計画でした。イエス様が罪と死に打ち勝って、その勝利に人間も与れるようにするという計画でした。マリアの深い悲しみは大きな喜びに変わり、彼女はイエス様の復活は本当にあったと人々に伝えることになりました。
私たちの人生にもいろんな試練があり緊急事態も起きます。そのような時、私たちはイエス様の姿を見ることは出来ませんが、イエス様はマリアと同じように私たちにも 「なぜ泣いているのか」と尋ねられます。イエス様は私たちの目を見て全ての答えが分かります。私たちのことを本当にわかって下さるイエス様は私たちを本当に愛してくださっているのです。私たちはこの神のひとり子を受け入れることが出来るでしょうか?
イースターの時、私たちはいろいろな美味しいものを用意して楽しい時を過ごします。これらも大事なことですが、イエス様が復活したというメッセージを通して本当のイースターの喜びが得られます。今年のイースターはイエス様のことを覚えてお祝いをしましょう。