スオミ教会・家庭料理クラブの報告

6月の料理クラブは10日に開催しました。今週は東京でも梅雨に入りましたが、この日は雨が降らず曇り空の天候でした。今回はシードブレッドと「田舎風サラダ」を作りました。

料理クラブはいつもお祈りをしてスタートします。はじめに生地を作ります。計量した材料を順番にボールに入れて、強力粉を少しづつ加えてよく捏ねると生地の形が見えてきました。サラダ油を入れてさらに捏ねると生地の出来上がりです。ここで一回目の発酵をさせます。その間に「田舎風サラダ」の茹でジャガイモの皮をむきます。今の季節のせいでパン生地はあっという間に大きく膨み、みんな驚きです。生地を10個に分けて棒の形に丸めていき、一個一個きれいにロールして丸い形にします。鉄板の上に並べて二回目の発酵をさせます。その間に「田舎風サラダ」の準備を進めます。茹でジャガイモ、リンゴ等をさいころ形に刻んで、ドレッシングの材料と混ぜます。皆さんの手は早く、サラダはあっという間に出来上がりました。パンの二回目の発酵も早く済み、膨らんだパン生地の上に卵を少し塗ります。その上にシードをかけて、オーブンで焼きます。その間はコーヒーの準備とテーブルのセッティングです。きれいな焼き色がついたパンがテーブルの上に並びました!

今回は準備が予想以上にスムーズに進みました!「田舎風サラダ」の盛りつけをして皆さん席に着き、温かいシードブレッドと一緒に味わいました。歓談のひと時のあとで、フィンランドの夏の景色と讃美歌のビデオ「夏の光と休み」を皆さんご一緒に観ました。それからフィンランドの夏至祭(ユハンヌス)の過ごし方や天の神さまが与える祝福についてお話を聞きました。

これから料理クラブはしばらくお休みになりますが、また夏の後に再開する予定です。詳しいお知らせはホームページに載せます。どうぞご覧ください。皆さん、お身体に気をつけて天の神さまのお守りの内にこの夏を乗り切られますように。

 

2023年6月10日料理クラブのお話

今日は新ジャカが沢山入っている「田舎風サラダ」を作りました。フィンランド人は5月6月になると、その年の新ジャカはいつお店にでるかと楽しみに待ちます。新ジャカは最初のものはまだ小さいですが、味はとても美味しいのであまり料理をする必要はありません。ただ茹でてバターをのせただけでも美味しく食べられます。新ジャカはサラダにもよく合い、この「田舎風サラダ」もフィンランドで人気があるものです。新ジャカは売り始めの頃はまだ値段は高く、毎日買うことは出来ませんが、フィンランドの夏の大きなお祝い夏至祭(フィンランド語でユハンヌスと言います)になると、どの家庭でも食卓の大事な食材になります。

フィンランド人はユハンヌスをどのように過ごすでしょうか?ユハンヌスは6月の終わりの金曜日から日曜日までの3日間のお祝いです。ユハンヌスの過ごし方にはいろんな伝統があります。町に住んでいる人たちは町を出て別荘に行って、そこでサウナに入ったり、湖で泳いだり、ボートを漕いだりして過ごします。それでユハンヌスの時は町は人が少なくとても静かになりますが、田舎の方が賑やかになります。田舎の人たちは別荘に行く人もいますが、自宅で過ごす人も多いです。自宅でユハンヌスを過ごす人たちはいろいろ準備することがあります。家の大掃除をしたり、マットやカーテンを洗ったり、ケーキやクッキーを焼いたりします。夏用のマットとカーテンを出すので家の中は冬と違う雰囲気になります。森や野原のきれいな花をたくさん摘んで家に飾ったり、細長い白樺の木を何本も切ってきて玄関の前に立てたりします。そうすると白樺の良い香りが玄関前に広がります。ユハンヌスの食事は普通はバーベキューです。肉やソーセージや野菜を焼いたりします。一緒に新ジャガやいろんな野菜のサラダを添えます。夜は完全に暗くならないので、みな遅くまで起きています。

フィンランドでは夏至祭の頃の自然は緑が一杯で、いろんな花が沢山咲いてとてもきれいな季節です。私はこれらの自然の美しさを見ると、これは人間の手では造ることが出来ないもの、まさに天の神さまの御手の業によるものと思い、いつも感謝の気持ちに満たされました。天の神さまは自然を通して私たちに祝福を与えて下さると思いました。しかし、神さまの祝福は自然の中だけではなく、私たちの日常生活の中にも、いろいろな賜物や贈り物を通して与えて下さいます。

聖書は神さまの祝福について沢山教えます。新約聖書の福音書の中には有名な「イエス様が子どもを祝福する」というお話があります。これを紹介したいと思います。

イエス様が神さまのことを教える時はいつも大勢の人々が集まってきました。その中に子供たちを連れた親たちもいました。親たちはイエス様が子どもたちを祝福するように連れてきたのです。イエス様が祝福すると子供たちは天の神さまと結ばれると考えたからです。しかし弟子たちは親は失礼なことをしてはいけないと、親たちを叱って帰らせようとしました。彼らはイエス様の祝福に相応しいのは大人だと思ったのです。それを見たイエス様は残念な気持ちになり弟子たちに言われました。「子供たちを私のところに来させなさい、来るのを妨げてはならない。 神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることは出来ない。」そして、イエス様は子ども一人一人を自分の膝の上にのせて手を頭の上において祝福されました。

イエス様は大人だけではなく子どもも祝福されました。誰が祝福を受けるのに相応しいか、その例としてイエス様は子どもたちに祝福を授けたのです。親たちはどうして子供たちにもイエス様の祝福を望んだのでしょうか?それは、イエス様の教えを聞いて子どもの将来を神さまの守りと導きに委ねたかったからです。もちろん、イエス様の祝福を受けても子供たちは親の世話を受け続けますが、深いところでは子供の毎日の生活や将来は神さまの守りと導きの下に置かれるのです。祝福を通して天の神さまが子どもの脇に立って一緒に歩んで下さるようになります。

今教会の礼拝で牧師が礼拝の終わりに神さまからの祝福を大人も子供もみな一緒に授けます。礼拝だけでなく、洗礼式では洗礼を受ける人に、結婚式では新郎新婦に神さまからの祝福を授けます。それらの祝福の意味はイエス様がなさった祝福と同じです。天の神さまがずっと一緒にいて守り見導いて下さるということです。

フィンランドのクリスチャンは友達や同僚に会って別れる時は必ず「祝福がありますように」と言います。メールや手紙の終わりにも書きます。クリスチャンの挨拶言葉になっています。この挨拶を通して、神さまがあなたと共にいて守り導いて下さいますようにと願うのです。その人を天の神さまの守りと導ぎに委ねるのです。

私もこの挨拶をよくもらって感謝します。私は今年の春小さな手術を受けなければなりませんでした。これは私の人生の初めての手術で、成功するかどうか心配がありました。いろいろ悩みました。しかし手術の前に励ましの言葉を多くの方々からもらいました。その中にはもちろん「神さまの祝福がありますように」もありました。この言葉の深い意味を考えると心配はだんだん軽くなって手術を神さまの守りと導きに委ねることが出来ました。この手術のことや結果のことも天の神さまが一番よくご存じなのだと神さまを信頼しました。手術の日はもちろん緊張がありましたが、心の中に平安を感じました。それは神さまが与えて下さった平安でした。それを神さまに感謝しました。

このように、神さまの祝福は自然の美しさの中だけでなく、私たちの生活の中でも神さまの守りと導きとして祝福があります。このことを信じられると心に平安がもたらされます。

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