2023年6月11日(日)聖霊降臨後第ニ主日 主日礼拝

<私たちの父なる神と、主イエス・キリストから、恵と平安が、あなた方にあるように>

「罪人を招くキリスト」    2023611

聖書:マタイ福音書9章913

きょうの聖書のテーマはキリストは地上では罪を許す権威を持つ方である。ということです。

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福音書を見ますと、この権威をめぐって、イエス様とユダヤ教の律法学者との間にはいつも対立がありました。この対立が激しくなって、ついにイエス様を十字架上で処刑するという恐ろしいことになってしまいました。対立や憎しみ、争いからは何も良い事は生まれません。行き着く先は悲劇の結果しかない。その悲劇が今も世界で戦争が続いています。きょうの聖書のマタイ99節から13節までのところでもイエス様を批難する、という対立が出て来ます。まず99節には、徴税人のマタイをイエス様は弟子の一人に招かれたのでした。この福音書を書いた「マタイ」その人です。このマタイという人がどういう人であったか。マルコ福音書214節によれば、「アルパヨの子レビ」と呼ばれていました。だから元の名は「レビ」であった。ヨハネ福音書1章の42節のところで、シモン・ペテロの兄弟アンデレが兄のペテロに「イエス様に会ったよ」と言って紹介した。そしてシモン・ペテロをイエスのところに連れて行った。イエス様はそこで「あなたはヨハネの子、シモンであるがケファ(岩という意味)と呼ぶことにする」と言われた。ちょうどそれと同じように、アルパヨの子レビもイエス様の弟子とされた時「マタイ」とあだ名されるようになった。と言うのです。マタイ99節を見ますと、「イエスはそこを去り、通りがかりにマタイという人が徴税所に座っているのを見かけて『私に従いなさい』と言われた。」と書いています。マタイが自分の事を書いているんですね。このマタイという人が徴税所に座っていた。ですから、彼はユダヤ人でありながら税金を取り立てる仕事をしていたのです。ユダヤは、この当時ローマ帝国の支配下にありました。ユダヤはローマ帝国に税金を納めなければならない。その税金を取り立てる仕事をマタイは請け負っていたわけです。徴税人と呼ばれユダヤの民からは蔑まれ、憎まれ、裏切り者と呼ばれ売国奴として皆から嫌われていました。イエス様はマタイのそうした職業の立場で苦しんでいることなど、すべてをご存知の上でマタイに目をかけて声を掛けられたのでありました。実はイエス様は、この前に既にガリラヤの漁師をしていたペテロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレと言った漁師たちを「これからは人間をとる漁師にしよう」と言って弟子として招いておられました。漁師ですから、彼らは力強い、素朴な男たちです。でも貧しく教養もない者たちです。こうした男たちに、まず弟子となる声を掛けられたこと自体が驚きでした。しかし、今度はマタイを弟子にされています。漁師たちと違って、彼は教養もあり金もある、しかしユダヤの同胞からは嫌われていた徴税人であった彼に声を掛けられていいます。

これは、また一層の驚きであります。「私に従って来なさい」とのひと声にマタイは立ち上がりイエス様に従ったのです。マタイはこれまで徴税人として、かなり金も持っていて家族や友人などもあったかもしれない。それらの一切を捨ててイエス様に従ったのです・。これは大変なことです。彼の一生の一大転換の出来事であったでしょう。何故イエス様のひと声にマタイは従って行ったのでしょうか。マルコ福音書213節を見ますと、「イエス様が中風の人を癒す奇跡の出来事をなさって、イエスは再び湖のほとりに出た行かれた、群衆が皆そばに集まって来たのでイエスは教えられた。」とあります。恐らく彼方此方で群衆がイエス様のもとに集まってきたので、そこで大切な教えをなさった。また、行く先々で病人を癒したり、人々が驚くような奇跡を起こされた。その噂を人づてマタイは聞いていたのでしょう。特にイエス様の語られる教えに胸打たれ、また罪人や弱い人々を限りなく慈しんでゆかれる姿に心惹かれ、マタイは常々話を聞いては考えさせられていた。自分はどうしてこういうユダヤ人として生まれてきたのか。生きていくため本当は望まない仕事でも、やらざるを得ない。彼は貧しい自分の民から無理やりでも税を取り立てて、心がどんなにか痛んでいたことでしょう。そうした中にイエス様の目にとまり、ひと声の招きを聞いた瞬間、彼の全ての思いと魂が光に打たれたような、運命的なみ霊に包まれて導かれて行ったのです。そして、即座に自分の過去もこれからの事も一切このお方に委ねてゆく決心をして立ち上がり、ただ従って行ったのです。もう、後戻りはできない。これから自分の人生がどうなって行くのかもわからない!漁師であったペテロ、ヤコブたちは又戻っても恐らく兄弟たちか家族があとを継いで漁師をやっていますでしょう、だから後戻りが出来るでしょう。マタイは税を取り立てていたサラリーマンでしたから、もう彼の後釜は誰かがやっていて道は塞がっている、後戻りなどできない。前に進むしかない、イエス様の弟子たちと共に運命を預けて行くことになったのです、マタイの思いはどうだったでしょう。私自身もサラリーマンを捨てて神学校に入った途端、それまでの月給もボーナスも収入は全くない、学費と生活のための一切をどうして生きていったらよいのか。マタイの気持ちが良くわかります。

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さて、10節を見ますとマタイはイエスとの出会いで、もうとても嬉しかったのです。「それから、イエスが家で食事の席についておられる時のことである。」とあります。イエス様に召されたマタイのした事は第一には職業を変えた、という事。第二にはイエス様や弟子たち、そして徴税人、罪人と共に宴会を開いた、という事です。ところで、10節のところを良く読んでみますと、はじめにある「イエスが」というのは「彼が」というただの代名詞です。次の「家で」というのは冠詞がついていて「その家で」と記されている。ここを文法的に直訳すると、10節はこうなります。「そして彼がその家で席に着いていた時のこと、見よ、多くの徴税人や罪人も来て、イエスと彼の弟子たちと共に席に着いた。」とこうなります。9節から続いて読みますと「すると、彼は立ち上がってイエスに従った。そして彼がその家で席に着いた。」こう読めます。これは、いかにもマタイが立ち上がってイエスに従いイエスの家に行き、その食卓に着いた」と言うようです。マルコ福音書の方では「そこで彼は立って彼に従った。そして彼が彼の家で席に着いている」こうあります。席に着いた「彼」というのをイエスと解すればイエスが自分の家で席に着いた、ことになります。今度は「彼」というのをマタイであるとすれば、マタイが自宅で宴会を開いた、となります。このように、どちらの文章も宴会を開いたのがマタイなのかイエスなのか、また会場がマタイの家なのかイエス様の家だったのか、大変にわかり難い文章です。この事実はルカの福音書の方で明らかになります。ルカは529節に、その宴会はマタイの家で催された。しかもイエスのために開かれたのでした。ですから、会場はマタイの家で開かれ、余程うれしかったと思います。そこで費用もマタイが全部出しているのでしょう。ここで大切な事は宴会そのものはイエス様のための宴会で、マタイ自身のためのものではなかったというとです。食事を共にして、もてなしをしたい、というマタイの主イエス様に捧げたい気持ちがここにあふれるように思われます。現代の私たちの教会で礼拝をすること自体マタイのように自分の一切を捧げて神様を敬う、その一つの表れとして献金を捧げる、ことにあると思われます。さて、きょうの聖書の中心点はイエスは罪人を招くために来られた、ということです。マタイは自宅を開放し、友人たち、徴税人を招き、貧しく困った生活をしている人々に、これまでつれなく酷い税の取り立てで冷たくあしらった人々を招き、そうした罪滅ぼしの気持ちを表したい、そして社会的に日陰で辛い思いをしている人々を、いくらかでも明るく解放してあげたいとも思ったのでしょう。マタイは特に裏の社会の悲惨さも充分知っていた人ですから、皆を招いてイエス様と一緒の食事をしたかったのでありましょう。ここで私たちに教えられているメッセージは何でしょうか。マタイが催したように自分の家を開放して、いつでも心置きなく訪ねられる、又、食事を共にしてイエス様の大事な話を聞けるようにしてやったことであります。聖書を見ますと、マタイがしたように漁師であったペテロもそうでした。自宅を開放し、イエス様のカぺナウムでの伝道の拠点とされました。使徒言行録1024節にはコリネリオも自宅に友人や親族を招いてペテロの伝道集会を開きました。又、使徒言行録1212節ではマルコの母マリヤも自宅を開放してエルサレム教会の会場としました。更に、使徒言行録1614節にはルデヤも自宅を開放しピリピの伝道の会場としました。使徒言行録1826節を見ますとアクラとプリスキラもエペソの自宅にアポロを招き伝道しました。又、ロマ書163節ではアクラとプリスキラがローマの新居をローマ教会の集会場に開放しました。コロサイ書415節にはラオデキアのヌンパも自宅を教会に捧げまいた。ピレモン書2節にはピレモンも自宅を教会に聖別して捧げました。こうした、初代教会の輝かしい進展は主によって招かれたひとりびとりが自宅をイエスのために捧げ、解放して多くの友や罪人たちをイエス様の救いに与からせて行きました。考えてみますと私たちは誰でも初めての教会を訪ねた時、気恥ずかしく気後れするものです。自分のような者でも神様の礼拝に与からせてもらえるものかしらと、何度も教会の玄関ま行っても教会の敷居は高く感じるものです。心の悩みや心に重荷を負った人、罪の意識にどうしたら良いか迷っている人々は教会の門まで遠いものです。そこに貧しくとも、悩み困惑しつつあっても快く迎えられる教会の解放された姿こそイエス様が望まれた姿でしょう。さて、11節から13節を見ますとマタイの家での罪人たちとイエス様と弟子たちとが共に食事をしている光景をパリサイ派と言われる律法学者たちが来てイエス様の弟子たちに言った。「なぜ、あなたの先生は徴税人や罪人たち等と食事を共に交わっているのか」と非難したのです。それに対してイエス様は二つの反論をもってお答になりました。

第一は医者の例を話され、医者という者は病人のためにあるのだ。医者が病人に接して病気がうつるからと言って離れていては病人は治らないでしょう。そのように、救い主も救いを必要とする罪人を招くために来たのである。パリサイ派の人の如く「自分は健全だ」と自惚れ「自分こそ義人だ」と言っている者にはイエス様とは縁がないでしょう。自ら救われたい、と願っている魂の病人にとってはイエス様は慰めと癒しを豊かに与えて下さる医者であられます。

第二に、イエス様は言われます。「私が好むものは憐みであって、生贄ではない」これは旧約聖書のホセア書66節の言葉を引用してパリサイ人に答えられたのです。「憐み」というのはヘブル語の原語では「ケセド」と言い「慈しみ」と記されています。BC8世紀の預言者ホセアは「エフライムよ」と言って北のイスラエル人に呼びかけました。又、「ユダヤよ」と言って南のユダヤに呼びかけて南北、全イスラエル人の罪を責めました。その罪とは「あなた方の愛、ヘブル語のケセドが雲か露のように消え失せる、儚さにありました。反対に神様が求めたもうものは、まさにそのケセドである愛、慈しみなのです。ですからイエス様が好まれるのは神への愛、神への慈しみなのだ、と言っておられるのです。それには、神を知ること。神を喜ぶことであります。その「知る」というのは知識として神を知るだけではなく、結婚関係を結ぶほどの一体となる体験的知り方を表しています。つまり、神と結婚関係に入ったイスラエルが、つまり神の選ばれた民が神との契約に忠実なことを意味しています。”エフライムよ、ユダよ、あなたの貞節は実にはかない、それで私は。我が口の言葉で裁いた。私が欲しいのは見せかけの供え物などではない。本当に神の花嫁らしい、操が欲しいのだ”と言われておられるわけです。イエス様は供え物という礼拝形式よりも、神への忠実さが大切だ、と言っておられるのです。パリサイ人は供え物のような規則を守ることや、異邦人とは交わるな、と言った形ちばかりを追いかけて行く、それは本末転倒で神への忠実という中身を忘れている、というのです。

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イエス様は、ただ罪人と席を共にするために来たのではない、罪人を招き、神に忠実な民へと生まれ変わらせるために来たのである。、とそう言っておられるのであります。

<人知では、とうてい測り知ることのできない神の平安があなた方の心と思いをキリスト・イエスにあって守るように。>                       アーメン

礼拝はYouTubeで同時配信します。後でもそこで見ることが出来ます。

 

 

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