手芸クラブの報告(2023年10月25日)

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この秋の最初の手芸クラブは10月25に開催されました。10月の終わりなのに寒くなく秋の爽やかな朝にスオミ教会に集まりました。

今回の作品はかぎ針編みです。かぎ針編みのテクニックを使って作ったペットボトルや水筒用カバー、小物入れ、鍋敷きをモデル用に準備しました。最初にそれを見て参加者の作りたいものを選びます。今回は参加者の皆さんは小物入れに興味を持ってそれを編むことにしました。

shugeiまず、好みの色の糸を選びます。それからかぎ針編みの基本を思い出しながら作っていきます。初めは鎖編みでスタートして、それを丸くしてから1段から3段まで長編みと鎖編みの繰り返しをします。編んでいる内に四角の形になります。最後に四角の周りに小編みをして一枚目が出来上がりました。皆さんは可愛い色の四角を上手に2枚編みました。残りの2枚はお家で編んでもよいし、次回いらしたときに編んでも宜しいです。残りの2枚が出来てから小物入れになるように組み合わせをします。お家で仕上げられた方もいました。

今回は編み物に集中したためか、時間はあっという間に過ぎて、いつの間にかコーヒータイムになりました。そこでモニターから映し出されるフィンランドの秋の景色を眺めながらヴィヴァルディの「四季」の中から「秋」の演奏を聴き、コーヒーとフィンランドの菓子パン・プッラを味わいました。歓談の時を持ってから、フィンランドの「編み物会」やお祈りについてのお話がありました。

次回の手芸クラブは11月29日の予定です。詳しくは教会のホームページの案内をご覧ください。皆さんのご参加をお待ちしています。

 

手芸クラブの話 10月28日「編み物会」

この間私たちのミッション団体の雑誌を読んだ時、フィンランドの教会の「編み物会」ついて面白い記事がありました。その記事について少し話したく思います。

shugeiフィンランドでは「編み物会」という教会の活動が1800年代後半にとても盛んになりました。会の名前は「編み物会」ですが、そこに集まった女性たちは編み物だけではなく色んな手芸もしました。女性たちは教会に集まって、手芸をしたり、いろいろ話し合ったり、コーヒーや紅茶を飲んだりして、聖書の教えも聞きました。この時代、多くの女性たちの生活は家に限られていたので、「編み物会」は女性たちにとって大事な社交の場になりました。「編み物会」は、ただ集まって楽しい時を過ごすことだけが目的ではありませんでした。この活動はもっと深い意味がありました。女性たちは「編み物会」で作った手芸品をバザーで販売して海外ミッションの為にお金を集めました。教会の海外伝道すなわちミッションを支えるという役割を果たしたのです。

フィンランドのルター派の国教会は、多くの宣教師をアフリカ、ヨーロッパ、ロシア、アジアに派遣してきました。この働きのためにはお金が必要です。フィンランドの教会ではクリスマスやイースターの前にバザーが行われます。女性たちはバザーで「編み物会」で作った手芸品を売って、得た収入をミッションのために寄付しました。このため「編み物会」の名前も「ミッション編み物会」とも言われます。

ompeluseura私たちを日本に派遣しているミッション団体は「フィンランド・ルーテル福音協会」と言い、1873年に設立されて今年はちょうど150年になります。ルーテル福音協会は1900年に最初の宣教師を日本に派遣しました。それで日本でのキリスト教伝道には長い歴史があります。日本の伝道はフィンランド人にとってとても愛すべきものだったので、宣教師を派遣するために女性たちは多くの教会で「編み物会」を始めてお金を集めました。もちろん伝道のためにお金を集める方法はいろいろありますが、ルーテル福音協会の「編み物会」は最初の宣教師を日本に派遣してから始まり教会の活動として定着しました。

雑誌の記事によると、昔の「編み物会」の女性たちは海外伝道を支えるために靴下や手袋などを編んだので、編むことにとても大きな意味を感じました。現在は、自分の手で何かを作ることの喜びを得るために行うようになりました。また、編み物や他の手芸は脳の働きを良くしたりストレスを減らすために良いので推奨されます。それでも、編み物や手芸は現在も信仰的な意味があります。どんな意味でしょうか?それは、靴下や手袋を編んでいる時に他の人のことを覚えてその人のためにお祈りをすることです。

昔の編み物会で女性たちは毎回世界各地で働く宣教師を名前で覚えてお祈りをしました。それは編み物会の重要な役割の一つでした。もし私たちが自分で編んだ靴下や他の手芸品を友達や親戚の人たちにプレゼントすると、aiそれは愛を示すことになります。同じように他の人を覚えてその人のために天の神さまにお祈りをすることも愛を示すことになります。しかし天の神さまにするお祈りとはどんなことでしょうか?

キリスト教では祈りとは心の中で天の神さまとお話しすることです。聖書の中には決まった形の祈りも教えていますが、もちろん自分の言葉でするお祈りもあります。祈りの中で私たちは天の神さまに感謝の言葉を述べたり、困った時に助けをお願いするお祈りをします。すぐお祈りした通りになるかどうか分かりませんが、神様は必ず聞いてくださいます。結果はいつも神さまが決めて下さいます。

「エフェソの信徒への手紙」で使徒パウロは、エフェソの人たちに自分のためにお祈りするように頼んで次のように言いました。その時パウロは牢獄に繋がれていました。「私はこの福音の使者として鎖につながれていますが、それでも、語るべきことは大胆に話せるように祈ってください。」祈りは自分のことだけでなく他の人のためにもするものです。エフェソの人たちはパウロのためにお祈りしたでしょう。私たちの働きを支えているフィンランドの諸教会でも、私たちの働きを覚えてお祈りしてくれます。このことを心から感謝します。

「フィリピの信徒への手紙」にはinori使徒パウロが祈りについて次のように教えているところがあります。有名な教えです。「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心を考えとをキリスト・イエスにによって守るでしょう。」4章6‐7節です。この教えは私たちに大きな励ましを与えます。私たちもどんな時でもお祈りすることは出来ます。神様が必ず全ての祈りを聞いてくださいます。悩みや困ったことを天の神さまにお祈りを通して伝えることは、そのことを神さまの御手に委ねることと同じです。心配ことはすぐにはなくならないかもしれませんが、神さまが心配事を受け取ってくださったことで心の中は軽くなります。私たちも、どんな時でもお祈りを忘れないで歩んでいきましょう。

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