牧師の週報コラム

 宗教改革記念主日に寄せて

キリスト教の「信条」(信仰告白)の効用

6月16日付の週報コラム「キリスト教の信条(信仰告白)を学ぼう!」で私は、ルター派にとって重要なアウグスブルグ信条はスオミ教会の信徒に励ましと自信を与えると申しました。 「ア」信条やその元にあるキリスト教の伝統的な信条(使徒信条、二ケア信条、アタナシウス信条)には他にも効用があります。それは次の2つの危険から守ってくれるという効用です。一つは、様々な宗教団体、特にキリスト教会を名乗るがそうではない団体の引き込み、もう一つは、キリスト教会自身にも見られる脱・使徒的伝統の傾向という危険です。

先週そういう団体の一つから勧誘員の訪問を受けました。女性二人で訪れ、スオミ教会のホームページを見て興味を持った、自分たちもクリスチャンであると。最初、出身校が同じですね、だから先輩後輩の関係です、などと接近度を強めてから宗教的な話に。神をどう呼ぶかということについて「キリスト教の神の名前はヤハヴェです」と言うと、本当にそう呼んでいるんですか?それに対しては、「神の名は神聖なのでむやみに口にせず、代わりに「主」(アドナーイ)と呼ぶのが聖書の伝統です。それに従っています」。急に、一つ聞いてもいいですか?「どうぞ」、「イエスはヨハネからバプテスマを受けた時、聖霊が鳩の形で下って来て、天から『これは私の愛する子』という声が響いたとありますが、どうして神はイエスのことを『子』と言ったのでしょう?

これは、きっとイエスの神性を否定したいのだろうと思い、二ケア信条を思い出しつつ、「それは、マリアのお腹から生まれた形は人間の形ですが、その前に父なる神のもとにいらした時は人間の形も持たないイエスという名もない父と同質の方でした。私どもは神を三位一体として崇拝しております。」相手は少し薄ら笑いを浮かべ、恐らく、何もわかっていない可哀そうな人というシグナルなのだろうと解し、これで十分、お引き取りをお願いしました。

この出来事に先立つ先々週のこと、SLEYの聖書講座(Bible Toolbox)を読んだという方から長いメールを頂きました。ある聖句についてSLEYの解説がイエスの神性を主張していると解釈可能と言っているのは納得できないと。私はその聖句のギリシャ語原文を見て、神性を主張しても別に問題ないと思ったのですが、批判者はギリシャ語にも通じているようで日本の著名な聖書学者の見解を引き合いに出して批判を展開。最後に頂いたメールでは自分は「正統主義」とは距離を置く立場であると明らかにされました。「正統主義」とはキリスト教の伝統的な信条に忠実たろうとする立場です。

この批判についてBible Toolboxで翻訳と編集を担当しているヘルシンキ在住の神学者・高木賢氏と話し合いました。確かにギリシャ語やヘブライ語のような原語で聖書を読むのは大事だが、語彙や文法の分析だけで理解しようとすると収拾がつかなくなる。また、歴史的背景の解明も参考にはなるが、歴史は後世の研究者が自分たちの観点で再構築するものだから信仰の土台としては危うい。そうすると結局は、キリスト教の歴史の中で築き上げられた信条を羅針盤にして進むのが一番確かで安全な道ではないかと。その意味でルター派は、とことん理詰めで解明しないと気が済まないということがなく、理解を超えたところは、もうそういうものなんだと受け入れる、子供のような信仰だね、とお互い嬉しく納得した次第です。

なので、キリスト教を名乗る団体だけでなく、いろんな宗教団体が引きずり込もうと近づいてきたら、私どもは三位一体の神を愚直に信じる者です、それ以上でもそれ以下でもないので、ほっといて下さい、で宜しいと思います。薄ら笑いを浮かべられても、引け目や恐れを感じる必要はありません。私たちには2000年の歴史の中で鍛えられた信条があるのですから。それにしても宗教団体の中には正規のキリスト教徒を引き込めばポイントになるところもあるそうです。点数稼ぎの手段にされるなんて迷惑な話です。それだけに信条を信仰の土台にできていることはますます大事です。

宗教を持っているとそういう厄介なことに関わることになる、だから、社会を騒がす団体が近づいてきたら私は無宗教です、興味ありません、と言って追い返せば、それで済む話だと言われるかもしれません。しかし、宗教社会学の先生も指摘するように、追い返せるのは人生順調に行っている時だけで、何か不幸なことがあると引き込まれる可能性が高まります。聞いた話ですが、宗教なんかまったく無縁だったエリート夫婦に障害のある子供が生まれて、ある宗教団体の執拗な勧誘が始まり、結局は入ってしまったと。どこかに不幸がないか見張っているのかもしれません。正規のキリスト教徒は不幸があっても、愚直に「たとえ我、死の陰の谷を往くとも、禍を怖れじ、汝共にませばなり」という心意気でいます。

正規のキリスト教会内にも見られる脱・使徒的伝統の傾向について。先日、某キリスト教団の月刊誌を見ていたら、聖書の解釈にトマス福音書を根拠にあげているのを目にしてビックリしました。聖書には4つの福音書、マルコ、マタイ、ルカ、ヨハネがあります。それ以外の「福音書」の名の付く書物は全て使徒的伝統に相いれないとして正典から除外されました。最近では初期のキリスト教はこんなに多様性があったということで注目されているようですが、キリスト教は使徒的伝統以上でも以下でもありません。多様性に流れたらキリスト教とは言えなくなります。使徒的伝統を映し出しているのが信条です。本当に信条は大事です。

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