手芸クラブの報告2025年2月26日

ストール

2月の手芸クラブは26日に開催しました。前日までは寒い日が続きましたが、この日は朝から太陽が輝いて穏やかな天候の日となりました。

今回は1月の手芸クラブに続いてストールを編みました。初めに前回参加された方々がお家で頑張って編み続けたものを見せて下さいました。「きれいな色ね」、「可愛らしい」「暖かそう」「柔らかい」とお互いにほめたたえる声が。皆さん「Silmukannostotekniikka」が上手になってストールをきれいに編まれました。それぞれ色がきれいで、完成されたかたもいらっしゃいました。

前回参加された方はストールを編み続けます。始めて参加された方はストールを前回と同じやり方で編み始めます。始めての方もあっという間に「Silmukannostotekniikka」が編めるようになって網の模様が見えてきました。それを他の参加者に見せると「色合いが可愛い」との声が聞こえてきました。

ストール皆さんはおしゃべりをしながら編み続け、ストールはどんどん長くなって完成させた方もいらっしゃいました。

今回、お家で編み始めた方はマフラーを持参してそれを編まれていました。長いものになっていましたが、これからどのようなものになるか楽しみです。

春に向かって暖かくなりますが、まだストールが必要な寒さが戻ってくるかもしれません。編まれたストールを首に巻いたら暖かくなるでしょう。自分で編んだものだから特に暖かさも身近に感じるのではないでしょうか。

編み物に集中した後はコーヒータイムで一息入れます。今フィンランドではラスキアイスプッラの時期なので、ジャムとクリームを挟んだラスキアイスプッラをコーヒーと一緒に味わいながら歓談の時を持ちました。その後で、フィンランドのラスキアイネンの日の過ごし方やラスキアイネンから始まる受難節、イエス様が盲人を癒やす奇跡の業の出来事についてのお話がありました。今回も楽しい歓談のひと時を一緒に持ちました。

次回の手芸クラブは3月26日の予定です。詳しくは教会のホームページの案内をご覧ください。皆さんのご参加をお待ちしています。

手芸クラブのお話2025年2月

フィンランドのカレンダーでは来週の火曜日はラスキアイネンと呼ばれる日です。この時期になると多くの家庭ではラスキアイスプッラを作って美味しく味わいます。ラスキアイスプッラはちょうど今の期間にお店でも喫茶店でも一番多く販売されています。

ラスキアイネンの日とはどんな日でしょうか?ラスキアイネンは「下る」という意味で、季節がイースターに向かって下って行く最初の日のことです。その日からイースターの準備期間になります。イースターの準備期間のことを「受難節」と言います。イエス様の十字架の受難の前の40日間の期間です。イースターの日はクリスマスと違って毎年変わります。今年は4月20日でいつもより遅くなります。それで今年のラスキアイネンの日は遅くて来週の火曜日となります。

パンラスキアイスプッラは普通は1月頃から「受難節」の前までの期間に食べられます。フィンランドではラスキアイネンをどのように過ごすでしょうか。この日の習慣としてフィンランド人は雪の中をそりですべったり、美味しいラスキアイスプッラを味わったりします。大人も子供も寒い中そりで滑った後で暖かい部屋に入ってラスキアイスプッラを暖かい飲み物と一緒に楽しみます。それがラスキアイネンの雰囲気を作ります。私は子どもの時、兄弟たちとラスキアイネンの朝に誰が一番早くそりで滑るか競争したので、その日は学校に行く前に朝5時や6時に滑ったこともあります。

ラスキアイネンの日が過ぎたら受難節に入ります。フィンランド語では、この期間は「断食の期間」と呼ばれます。これは、昔カトリック教会の時代の言い方が今でも続いているからです。もちろんフィンランド人はこの期間に断食をしませんが、人によって好きなお菓子を食べないとかSNSを使うのを減らすとか生活に変化を与えることをする人もいます。受難節を少しでも意味のあるものにしようとするのです。

受難節は自分の生活を新しい視点で見るのに良い期間だと思います。生活の中には慣れることが多くていろんなことが当たり前のことになります。当たり前のことの中に何か問題や新しい事が起きても気がつかなくなってしまうかもしれません。その時、私たちは目があっても見えない人のようになってしまうかもしれません。しかし見えるようになるために時々助けが必要です。

ここで新約聖書の「ヨハネによる福音者7章」にある、イエス様が盲人をいやす奇跡の業の出来事を紹介したいと思います。イエス様は通りすがりに生まれつき目の見えない男の人を見かけられました。弟子たちはその男の人を見て、「この人が生まれつき目の見えないようになったのは、彼が罪を犯したからですか?彼の両親ですか?」と聞きました。そこでイエス様はお答えになりました。「本人が罪を犯したからでも、両親が犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。」イエス様は唾で土をこねて目の見えない人の目にお塗りになりました。イエス様はその人に「シロアムという池に行って洗いなさい」と言いました。その人はイエス様が言われたことを疑わずにその通りにしました。すると目が見えるようになったのです。この人は目で見えるようになりましたが、それだけではなく心の目も開けかれました。それではイエス様が天の神様の子でこの世に送られた方であるとわかって信じるようになったのです。

CC0受難節は聖書を読むのに良い期間だと思います。聖書を読みイエス様を信じることには、私たちの心の目をあける力があります。生活の慣れて当たりまえになってしまったいろんなことの中で、天の神様の愛やみ心は何だろうかと考えるようになります。中には難しいこともあって、神様の愛やみ心をはっきり分からないかもしれません。でも、それは神様が私たちに祈りなさい、と勧めていることなのです。神さまの愛や御心がはっきり分かって大きな喜びに包まれたら、神様に感謝しなさい、ということなのです。

神さまが私たちの心の目を開くと、全ては新しい目で見ることが出来るようになります。

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