歳時記

樫の木

三寒四温とは良く言ったもので今の時期がそれに当たるようです。裏のタンポポも開いたり閉じたりで忙しそうです。その上の辛夷は泰然自若とばかりにゆっくりと芽を膨らませています。 その下ではそろそろ土筆の出番と思って探していますがまだ出て来ません。鳥たちも木の実が無くなってきたのか忙しそうに飛び回っています、

先日の聖書研究会で創世記12章を学びました、その折に6節にある「アブラムはその地を通って、シェケムという所、モレの樫の木まで来た。その頃、その地にはカナン人が住んでいた。 」とあり何故樫の木と言う樹種を特定しているのか気になりネットで色々調べてみました。不思議な事に聖書によっては樫の木がテレビンの木に変わりフインランド語の聖書では楢と訳されて文語体の聖書ではマロニエ(栃の木)に変わったりで真に不思議な木です。さらにテレビンの木elahはヘブライ語el-神を文字の中に含み、力・強さを象徴するとあり樫と同様に礼拝の場、墓地などに植えている。従って聖書にあった樫の木はテレビンの木と訳しても問題が無かったようでした。(テレビンの木からとれる実は香りが良く食することも出来、その一種にピスタチオがあるそうです。)アブラムにとっての樫の木(テレビンの木)は神との信仰による交わりのシンボルとなった。以下、吉村牧師からも貴重な情報を頂きました。

パレスチナでは一般的な木で、4種類あると(それぞれQuercusで始まるラテン語名があります)。イザヤ213節の「バシャンの樫の木」というのはQuercus aegilopsで、バシャン地方でとても多く茂っている木であり、この間の聖書研究会に出てきたモレの樫の木もそれで、幹回りが10メートル以上あるそうです。かなりの大木です。それで力を象徴するものと見なされたと(根拠はアモス29節)。創世記358節にあるように、死んだ者を葬る場所として木の根元が選ばれることもあったようです。

他にも、イザヤ613節を見ると、イスラエルの王国が滅ぼされる時、樫の木が倒されるのに例えられていて、国や権力を象徴するものと見なされていたと言うことができます。

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