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ルターによる御言葉の説き明かし(フィンランドの聖書日課「神の子らへのマンナ」3月31日の日課から
キリスト信仰の国家論の基礎!
「私の国はこの世に由来するものではない。」(ヨハネ18章36節)
「自分の十字架を喜んで背負う者は誰か?それは、この王と彼の国の性質を正しく知る者である。その者は、主も同じように十字架を背負われたのだと知っている。そればかりではない。その者は、この世で苦難を受けなければならなくとも、目的地に到達すれば喜びと幸いがあることが励ましと慰めになっている。
これとは逆に、こうしたことを知らない者たちは、思い通りにならないと、取り乱し、しまいには絶望の淵に落ちてしまう。彼らは、もし神が本当に憐れみ深い方ならば、こんなに多くの不運が起こるのを許すはずはない、または起こっても直ぐ助け出して下さる方のはずだ、と考えているのだ。このような考えは、キリストの国はこの世に由来するものではないと信じていないことの表れに他ならない。この世の王(現代なら権力者)は臣民(現代なら国民)の命と財産を守るだろう。しかし、栄光の王であるキリストは、身体、命、財産その他全てのものが危険に晒されることを否定しない。
ゆえに、君はこの世にいる限り、自分は満たされて何一つ不足のない者になるためにキリスト信仰を用いてはならない。君の真の王に何が起こったかを見よ。受難の道を歩み、嘲りの的となり、不名誉な死を遂げたではないか?だから、キリストの国に属している者も、彼が金銀その他のものを与え、この世の王(権力者)のように富をもたらしてくれるなどと期待してはならない。肝心なことは、彼は罪を赦し、永遠の死から救い出して下さる方であるということだ。さらに、彼の御声に聞き従う者に聖霊と永遠の命を与えて下さる方ということだ。」
キリスト信仰者は、この世にある国と天の御国の二つの国を持って生きています。この世にある国は現実の目に見える国ですが、天の御国は現実にはあるものの、まだ目に見えません。しかし、ヘブライ12章で言われるように、今の世が終わりを告げる時、世にある国は全て揺り動かされて取り除かれてしまいますが、天の御国が唯一揺り動かされず取り除かれないものとして現れます。その時、キリスト信仰者の国は一つになります。キリスト信仰者にとってこの世の国の中で生きることには大きな意味があります。そこは、信仰者が神の意思に沿う生き方と罪の赦しの恵みに生きることを実践する場だからです。また、いろんな課題や挑戦を得られて、神の助けと導きを受けられるコンテクストでもあるからです。