説教「良い実」 マルッテイ・ポウッカ牧師、マタイによる福音書7:15−29

 

 


私たちは毎日いろいろな話を聞きますね。ラジオでも、テレビでも、または商店街でも話が聞こえます。「これを買ってください」とか「私を選挙の時選んでください」というようことはいつものことです。 
 
イエスの時代にもいろいろな話が聞こえました。当時、ラジオとかテレビはまだ存在しませんでしたので、全部ライブだったでしょう。 
預言者たちも話しました。良い話も悪い話もありましたので、区別するのは非常に難しかったと思います。では、どうやって、それを区別すればいいのでしょうか。

 
イエス様はこのことについてこう教えられました。 
15。「偽預言者を警戒しなさい。彼らは羊の皮を身にまとってあなたがたのところに来るが、その内側は貪欲な狼である。」 
 
これはイエスの警告でした。何かを聞く時、よい話でも気をつけなければなりません。つづいで、イエスはこうアドバイスして下さっています。 
16−20。あなたがたは、その実で彼らを見分ける。茨からぶどうが、あざみからいちじくが採れるだろうか。すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実 を結ぶ。良い木が悪い実を結ぶことはなく、また、悪い木が良い実を結ぶこともできない良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。このよう に、あなたがたはその実で彼らを見分ける。」 
 
「実を見ると、分かります。」このアドバイスはリンゴについての話ではありませんね。では、どんな実がイエスの言われる良い実なのでしょうか。 
 
このような教えが書いてあります。 
 
御霊の結ぶ果実についての教えです。 
キリスト者は、なお罪人ですが、信仰によってキリストに連なっているために、御霊の実を結ぶことができるのです。愛はそれらの実のうち最も大きな実です。 
神はまた教会建設のためには特別な恵みの賜物を信者に与えられます。 
「これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です」(ガラテヤ5:22-23)。 
「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である」(第一コリント13:13)。 
 
このような実があるなら、預言者は、自分の栄光とか利益のためではなくて、神様の栄光のために働いるということです。そして、神様の御心による実は当然にこのような良い実なのです。 
 
今日の聖書の個所に戻りましょう。 
21。「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。」 
良い行いは、信仰の実です。信仰によって、神様の御心に従う行いがあらわれます。信仰によって、イエス様は、心の中に住んでいらっしゃるからです。 
 
信仰によって、奉仕への贖いの心が生まれます。 
 
神がその恩恵によって、私たちの罪を赦してくださったために、私たちの内に感謝と愛と信仰による服従心が生まれ、神と隣人とに奉仕するようになります。キリスト者の全生涯は奉仕の生涯であり、このような奉仕の生涯を私たちはキリスト教倫理と呼びます。 
「わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです」(第一ヨハネ4:19)。 
 
そして、行いだけではなくて、心の態度も大切です。 
 
では、キリスト信者のあるべき態度はどのようなものでしょうか。 
 
キリスト者は、その行う行為が神の御心にかなうだけでなく、全生涯の方向において神の御心にかなうような生活を送らなければなりません。 
私たちは神の恵みによってのみ生きているのですから、謙遜でなくてはなりません。また全ての賜物および職務を、神からいただいているのですから、あらゆる点で、忠実でなければなりません。そして、自分の運命を神の御手から受け、試練と苦難との中に、忍耐を覚えなければなりません。 
キリスト者は、あらゆる点において、真理を守り、またその良心に神の御声を聞いているのですから、人の批判と審判とを気にかけません。 
「木が良ければその実も良いとし、木が悪ければその実も悪いとしなさい。木の良し悪しは、その結ぶ実で分かる」(マタイ12:33)。 
 
神様のみ心が分かるために、または良いみを結ぶために、次のような生き方がふさわしいと思います。 
 
信仰生活において、 
 
まず、キリスト者は、その信仰を強め、信仰生活を続けていくために、神の御言、主の晩餐、祈り、そして聖徒の交わりを、忠実に重んじなければなりません。 
「彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった」(使徒言行録2:42)。 
「ある人たちの習慣に倣って集会を怠ったりせず、むしろ励まし合いましょう。かの日が近づいているのをあなたがたは知っているのですから、ますます励まし合おうではありません」(ヘブライ10:25)。 
それから、祈りを忘れませんように。すべての祈りに、神様は御心によって答えて下さいます。 
 
 
次に、建物を建てることを考えてみましょう。それは複雑なことです。この教会の皆様がご存知のように、建物を建てる時、間違えてしまう可能性も大きいでしょう。急ぎすぎると、悪い結果をもたらします。そして、後で直すのは厄介な事です。 
 
建物に比べると、人間の人生は比べられないほど複雑なものだと思います。では、どうすればいいのでしょうか。 
 
教の聖書の個所に戻りましょう。 
 
24−27。「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を 襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。 わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れ て、その倒れ方がひどかった。」 
 
 
御言葉の上に人生を建てるのは正しい案です。神様はこの世も私たちも作ってくださったからです。ですから神様は私たちの人生の出来事をよくご存知です。 
 
人生をみ言葉の上に建てれば、私たちは良いみを結ぶことが出来ますし、その上、何よりも大切な永遠の命の希望を持つことが出来ます。 
 
キリスト者の希望というのは時代の混乱の最中にあり、キリスト教会は神の国が栄光の中に現れる栄光の日を、神の御約束を信じて待ち望んでいます。その時に神は全てにおいて全てとなられるのです。 
「被造物だけでなく、『霊』の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。わたしたちは、このような希望によって救われているのです」(ローマ8:23-24)。 
「このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ」(ルカ21:28)。 
私たちは、信仰によって救われます。信仰は希望の元です。そして、希望を持って、この世の中で、良い実を結びましょう。そして、福音を伝えましょう。

 
祈りましょう。 
天の父なる神様。あなたのみ恵みを感謝します。あなたは愛する天の父でいらっしゃいます。私たちは、 どんな痛みや病(やまい)があっても、あなたのところに行くことが出来ます。感謝します。またあなたは教会の働きを通して私たちを招いてくださっていま す。この招きにしたがって、私たちがあなたの御国のためにできる仕事を教えてください。福音をどうすれば世界へ伝えることができるのか私たちを一人 一人を導いてください。どうか敵をも愛することができるように助けてください。よい僕になれるように導いてください。あなたの御言葉がわかるように、あな たの御心(みこころ)に従うことが出来るように私たちを教えてください。また、隣人を愛せるように、地震や津波からの復興のために苦しんでいる人を助けられるように、互いに仕え合うことが出来るように私たちの愛を主イエスキリストによって強めてください。心の中にあなたの光を照らすことが出来ますように。 
この祈りを主イエスキリストによってお祈りいたします。アーメン。

 

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