説教「信仰と洗礼を抱きしめて」神学博士 吉村博明 宣教師、マルコによる福音書16章9-18節

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン

わたしたちの主イエス・キリストにあって兄弟姉妹でおられる皆様

1.聖書は聖霊のコントロールが働いて出来たもの

イエス様の復活は本当にあったのかどうかという問題は、それについての福音書の記述が信頼できるものかどうかという問題に結びついています。そこで、復活についての記述そのものに問題があり、それがその信ぴょう性を揺るがしていると見る人たちが大勢います。本日の福音書の箇所があるマルコ16章9-20節も問題ありと見なされる記述の一つです。何が問題なのかというと、16章9-20節は、もともとマルコ福音書が16章8節で終わっていたのに、後で付け足して書かれたものと見なされるからです。つまり、マルコ1章1節から16章8節までが本当のオリジナルのマルコ福音書で、その後は誰かがイエス様の復活を本当のことのように見せたいために、もともと空っぽの墓で終わっていた福音書に、姿をとって現われたイエス様のことを付け加えたのだ、と言うのであります。もっともらしく聞こえますが、事実はそう単純ではありません。

そういうわけで本日の説教では、最初にこのマルコ16章9-20節の信ぴょう性について少し考えてみたいと思います。その次に本日の主題である信仰と洗礼についてお話ししたいと思います。第一部と第二部に本日の説教は分かれることになります。第一部は、ひょっとしたら大学の講義みたいに聞こえてしまうかも知れませんが、実はその結論で述べることが第二部のお話の大前提になるので避けて通れません。申し訳ないですが、少しの間ご辛抱下さい。もっとも、大学の講義みたいになるとは言っても、普通、大学の神学部の授業だったら、マルコ16章9-20節は付け足しだったと教えるのが多いのではないかと思います。その意味では、第一部は、大学の講義みたいにはならないでしょう。

まず、マルコ1章1節から16章8節までがオリジナルのマルコ福音書であったということがどうしてわかるのか、という問題があります。マルコ福音書は4つある福音書の中で一番古いと見なされ、西暦70年にローマ帝国の大軍がエルサレムを徹底破壊する直前ないし直後に書かれた、というのが学界の多数派の見解です。(なかには、西暦30ないし40年代に書かれたという研究者も若干います。)しかしながら、オリジナルのマルコ福音書は現存していません。私たちが目にすることができるのは、オリジナルの後に出て来た手書きのコピーだけです。15世紀のグーテンベルグの活版印刷術までは、本は手書きでコピーされていました。新約聖書の中にある書物の手書きコピーは地中海世界のあちこちで発掘され、今では主として欧米諸国の博物館や大学の図書館に保存されています。発見された新約聖書の手書きコピーの中で一番古いものは、西暦200年代のものです。そういうわけでマルコ福音書は、オリジナルは言うに及ばず手書きコピーにしても、本が生まれてから少なくとも150年位の間のものは発見されていません。さらに注意すべきことは、マルコ福音書の年代の古い手書きコピーをみても、どれも完全からは程遠い一部分しか残っていないものばかりです。西暦300年代、400年代以後になると完全に近い形のコピーが出てくるようになります。古い断片的な手書きコピーを土台にして、オリジナルのものを「復元」しようとする努力がなされてきました。(現在、ギリシャ語の新約聖書としてよく用いられるNovum Testamentum Graecaeはそのような復元作業の成果であります。)

今ここで問題となっているマルコ16章9-20節は、古い手書きコピーには入っていませんでした。西暦700年代、800年代のコピーの中に入っているものが見つかりました。このようにこの箇所は、見つかった年代が遅いために、後世の付け足しであるという見解を強めています。しかしながら、西暦200年代の手書きコピーになかったとは確実には言いきれないのです。なぜなら、その年代の発見された手書きコピーは、どれを取っても福音書の一部分しか残していないからです。残っていない部分にどんなテキストがあったかはわかりません。さらに忘れてはならない大事なことが一つあります。それは、イレナエウスという西暦100年代後半に活躍したリヨンの教会指導者が、他でもないこのマルコ16章9-20節を引用しているのです(この引用の事実は4世紀終わりに由来する引用のラテン語訳から知ることができるのですが)。そうなるとマルコ16章9-20節の起源は、一気に西暦100年代後半に遡ります。これで、700年代の手書きコピーに出てくるから、その年代に書かれた付け足しであるという説は成り立たなくなります。

付け足し説にもう少しお付き合いするとして、マルコ16章9-20節は西暦100年代半ばに書き足された、しかし、オリジナルのマルコ福音書はやはり16章8節で終わっていた、と主張してみます。ところが、先ほど申しましたように、マルコ福音書はオリジナルは言うに及ばず、手書きコピーも西暦100年代のものは発見されていません。付け足しかどうかということは、その年代のコピーを発見して確認しないと確実なことは言えないのです。

マルコ16章9-20節がもともとのマルコ福音書になかったと疑うもう一つの根拠として、マルコの記述の仕方がマタイ、ルカ、ヨハネの他の三つの福音書の記述を要約したもののように見えるということを挙げる人もいます。つまり、付け足しを書いた人がマルコ福音書より後に出た三つの福音書を読んで、イエス様が人々に姿を現した出来事の部分をそれぞれ要約してつなぎ合わせて、マルコ福音書の終わりにくっつけた、というのであります。例えば、マルコ16章9-11節はイエス様がマグダラのマリアに現れた記述ですが、これはヨハネ20章14-18節にある詳細な記述の要約と見なされる、と。またマルコ16章12-13節にある移動中の二人の弟子にイエス様が現れたという記述は、ルカ24章13-35節にある有名な「エマオの道」の出来事の要約である、と。マルコ16章14節のイエス様が11弟子に現れたと記述は、ルカ24章36-43節とヨハネ20章19-23、26-29節にある詳細な記述の要約ではないか、と。そしてマルコ16章15-18節にあるイエス様の弟子たちに対する宣教命令は、マタイ28章18-20節の要約である、という具合です。

しかしこれも、文章をよく見るとそう単純なことではないのです。というのは、要約したとされる内容ともとにあったとされる内容との間に食い違いがあり、マルコの記述は必ずしも、三つの福音書の要約とは言い難い点があるからです。移動中の二人の弟子にイエス様が現れた出来事について、マルコでは他の弟子たちが二人を信じなかったことが強調されますが、ルカでは他の弟子たちの不信仰は触れられません。またイエス様の宣教命令をみても、要約元とされるマタイ福音書では、マルコ福音書にある、信仰を持つ者が行う奇跡について何も言っていません。こうなると、マルコ16章9-20節は、マタイ、ルカ、ヨハネの三福音書のつまみ食い的な要約とは言えず、三福音書の記述と並んで、ひとつの独立した伝承の流れに乗ったものと見なすことができます。

このように、復活したイエス様が人々に現れた出来事について、4つの異なる伝承の流れがあるとすると、どの流れが実際の出来事を反映しているのか、という疑問が起きます。これは、4つの福音書では同じ出来事の記述になぜ違いがでるのか、という問題につながります。手短に説明しますと、イエス様にまつわる出来事の目撃者である弟子たちの証言がまず生まれました。それが口伝えされたり記録にとどめられていくうちに、そうする人たちの置かれた状況やものの見方も手伝って、例えば強調したいところはより強調され、瑣末に思われるところは背後に退くということが起きる。それで、最初の目撃者の証言の伝承や記録は、時間の経過とともに膨らんだり縮んだり、また記述される出来事の文脈が変わってきたりすることもあります。

しかしながら、このような場合でも絶対忘れてはならないことがあります。それは、
(1)記憶のされ方やものの見方に相違が出るとは言っても、これらの目撃者や伝承者や福音書の記者たちはすべて皆、イエス・キリストが死から復活した神の子であると信じた人たちということ、
(2)さらにパウロを含む使徒たちの教えに忠実だったということです。つまり彼らは、共通の土台の上に立っていたのです。従って、記憶やものの見方に相違が生じても、それは土台そのものを覆すほどのものではなく、許容範囲にとどまるものでした。その意味で、目撃者の証言の伝承の過程において聖霊の影響力とかコントロールがしっかり働いていたと言うことができます。(「聖霊のコントロール」などと非学術的な言葉を使わないで、学術的な言葉を使って言い換えると、「使徒的伝統に忠実だった」となります。両者は同じことを別の言葉で言い表しています。)当時は、聖霊のコントロールから外れた伝承、教え、見解が多く流布しておりました(例として、トマス福音書とかユダ福音書とか)。しかし、そうしたものは一切、聖書のなかに入ることはできませんでした。そういうわけで、聖書は聖霊の働きの結晶です。聖書をあなどってはいけません。

そういうわけで、4つの福音書のイエス様の復活の記述にいろいろ相違があっても、
(1)墓の前の大石が取り除かれ墓が空だったこと、
(2)最初にそれを目撃したのは少なくともマグダラのマリアであったこと、
(3)イエス様が復活してすでに墓から出て行ったことを天使が告げたこと、
(4)その後でイエス様は何人かの弟子たちに現れ、最後に11人の弟子に現れたこと、以上は、どれも中核を成す共通項です。本当に起こったことは、この中核部分に結びつくものだったのでしょう。

以上から、マルコ16章9-20節は、後の付け足しであると結論を下すためにはクリアーしなければならない問題が多くあることが明らかになったと思います。もちろん、以上の議論をもって同箇所がマルコ福音書のオリジナルにあったと結論づけられるかというと、それもまだ決定的なことは言えないというのも事実です。しかしそれでも、ひとつ確実な結論があります。それは、マルコ16章9-20節は、マタイ、ルカ、ヨハネの記述に寄りかかってできたものでなく、それらと並んで、同じく聖霊の影響力・コントロールが働いて出てきた記述であるということです。それゆえ、聖書の他の箇所と同じく、人に信仰を生み出す力を持つ神の御言葉であるということです。

 

2.

それでは、マルコ16章9-20節も人に信仰を生み出す力を持つ神の御言葉という以上は、この箇所は私たちに何を教えようとしているのでしょうか?ここから本説教の第二部に入ります。ここでは、イエス様が「信じて洗礼を受ける者は救われる」(16章16節)と言っていることについて、つまり、救いの前提には信じることと洗礼を受けることの二つがあると教えていることについて見ていきたいと思います。

日本語の訳にあるように、「信じて洗礼を受ける者は救われる」と言うと、救われるためには、最初に信じることがあって、次に洗礼を受ける、というような順番があるような印象を受けます。しかし、これは正しくは、双方が一緒にそろって救われるという並列の関係です。順序ではありません。つまり、救われるためには、イエス様を救い主と信じることと洗礼を受けることの双方がそろわないといけない、と言うのであります。

そうなると、赤ちゃんは幼児洗礼によっては救われないのか、洗礼は子供が誰を救い主と信じるか自分でわかる年齢に達するまでは受けても意味がないのかという議論が起こります。ここで注意しなければならないことは、幼児洗礼には、救いというものが神からの贈り物として与えられる、ということが最も強くあらわれるということです。どういうことかと言うと、人間は堕罪によってそれまであった自分の造り主である神との結びつきを失ってしまいました。神との結びつきを持たないままこの世を生きるだけでなく、この世から死んだ後も永遠に自分の造り主から引き裂かれた状態に陥ってしまう、つまり永遠の滅びに陥ってしまう存在になってしまったのです。そこで神は、人間が再び自分との結びつきを回復してこの世を生きられるようにと、またこの世から死んだ後は永遠に自分のもとに戻れるようにと、そのために一人子イエス様を御許からこの世に送られました。そして、自分と人間との結びつきを壊した原因である罪と不従順を全てイエス様に請け負わせ、あたかも彼が全ての張本人であるかのようにして、彼が与り知らない罪の罰を全て身代わりに受けさせて十字架の上で死なせました。さらに神は、一度死なれたイエス様を今度は復活させて、死を超えた永遠の命に至る扉を人間のために開いて下さいました。

こうして人間は、イエス様の十字架の死と死からの復活によって、全ての罪が償われて、目の前に死に打ち勝って自分の造り主のもとに通じる道が開かれたのです。あとは人間の方が、これらのことが自分のためになされたとわかって、それでイエス様を救い主と信じて洗礼を受ければ、この「罪の赦しの救い」を神からの贈り物として受け取ることができるのです。

洗礼の時、無力で非力な赤ちゃんは100%受け身に徹しているので、救いはまさに注がれるようにして受け取られます。他方で大人は、どうしても自分はちゃんと聖書や教理を理解できているかとか、どこまで真人間になったかとか、ということが気になって、洗礼を受けるのにまずそれにふさわしい人間にならなければならないと考えてしまう。しかし神からみれば、人間が、自分のことを罪と不従順に染まった存在であるとわかって、そこから助けて下さい、私のために十字架にかけられたイエス様以外には救い主はいません、と叫べば、本当はそれで十分なのです。もちろん、大人が洗礼を受ける時は、洗礼が何をもたらすのか知らないでは受けられませんので、その意味で教理を学ぶことは必要です。しかし、その学びは、学べば学ぶほど自分は神の救いを赤子のように受け取らないと救われないと観念するような学びでなければなりません。その意味で赤ちゃんは、そのような学びが必要ないのです。

しかしながら、赤ちゃんが洗礼を受けたら、それで終わりかというと、そうでもないのです。子供が育っていくにつれて、自覚や理解力ができてくるにつれて、今度は自分がどれほど大きな贈り物を受けているのか、洗礼が自分に何をもたらしたのかをわかるようにならなければならない。そうなるために両親の責任は大きなものがあると言えましょう。つまるところ、幼児洗礼を受けた人の場合の信仰とは何かと言うと、自分が既に受けた神の愛と恵みの深さ大きさをわかるようになること、そのようなものを受けた者として自覚的に生きること、と言い換えてもいいでしょう。大人洗礼の場合は、これから受けることになる神の愛と恵みの深さ大きさがわかって洗礼を受け、そのようなものを受けた者として自覚的に生きていきます。どっちにしても、「信じ、かつ洗礼を受ける者」になります。

ところで、私が長年居住したフィンランドをはじめ欧米の伝統的なキリスト教国に近年顕著にみられる傾向ですが、幼児洗礼は形式的な通過儀礼に堕してしまっているということがあります。子供が自分の受け取った神の贈り物がどれほど大きく素晴らしいものか、わからずに大人になってしまうことが多くみられるようになりました。これでは、「信じ、かつ洗礼を受ける者」にはなれません。親の責任は重大です。人は神からの贈り物がわからなければ、心に神への感謝は生まれなくなります。神への感謝が生まれなければ、人のものの見かたや考え方は自分の造り主を忘れた人間中心になり、また永遠の命を忘れたこの世中心なものとなってしまいます。

それでは、今度は逆に、自分はイエス様が救い主であると自覚して生きるから洗礼はいらない、と言った場合はどうでしょうか?例えば、ルカ23章にありますが、イエス様の十字架の隣の十字架にかけられた犯罪人が死ぬ直前にイエス様のことを神の国の王と告白する場面があります。この犯罪人は洗礼を受けなくても、イエス様から救いを約束されたではないか、と。この場合は、洗礼を受けるも何も、もう最後の瞬間で洗礼式など執り行える可能性はゼロです。このような他に手立てがない場合には、イエス様を救い主と告白することだけで救われるという例であります。しかし、一度告白した後もまだ先がある場合は、そうしたらあの犯罪人が行ったような全身全霊の告白をずっとしなければなりません。洗礼なしで、そんなことは可能でしょうか?

このことを考える時、ペトロがイエス様のことをメシア/救世主、神の子と告白した時、イエス様は、この告白はペトロ自身(「人間の血と肉」)から出たのではなく、天の父なるみ神がペトロに言わしめた、と言ったこと(マタイ16章17節)を思い出すとよいでしょう。加えて、本日の使徒書の箇所でヨハネは、イエス様をメシア/救世主と信じる者は神から生まれたのである、と言っていました(第一ヨハネ5章1節)。これらから明らかなように、人間がイエス様を救い主と信じるのは、人間の力や能力から来るのではなく、神の霊である聖霊の力によるのです。人間の力や能力だけでイエス様のことを知ろうとすれば、せいぜい歴史上の類まれな宗教家とか哲学者とかイデオローグないしは社会改革者というような捉え方で終わるでしょう。歴史上の人物ですから死にますし、今復活した状態で天におられるなどとはとても考えらません。これは知識上のイエス・キリストであって、信仰上の主ではありません。知識は、人を自分の造り主である神のもとに連れて行くことも、死を超えた永遠の命を与えることもできません。それができるのは、信仰です。

人がイエス様を救い主とか、今も復活しておられると信じ始める時というのは、その人が聖霊の影響を受け始めたことを意味します。ここまで来たらあとは洗礼を受けるのが自然の流れです。洗礼を受ける時、人はイエス様が約束された聖霊を注がれます。洗礼を通して聖霊を受けることで、人は恒常的にイエス様を救い主と信じる信仰を持って生き始めることになります。洗礼を受けられる可能性がありながら、それをあえて受けないままでいて、人がイエス様を救い主と信じて生き続けることは不可能です。

 

3.

最後に、「信じる者に伴う」(16章7節)奇跡のしるしについて少し触れておきましょう。本日の箇所で、そのようなしるしとして、悪霊を追い出すこと、異言を語ること、蛇をつかんだり毒を飲んでも傷つかないこと、病人を癒すことが数えられています。ここで注意しなければならないことは、これらのことが伴わなくても、それは信仰の弱さとか欠如を示すものではないということです。「伴う」パラコルーテーセイπαρακολουθησειというギリシャ語の動詞は未来形ですが、ギリシャ語の未来形は「伴うことが可能である」と可能性の意味に考えることもできます。仮に未来の意味で考えても、はっきりしていることは、「イエス様を救い主と信じ、かつ洗礼を受ける」ことこそが救われる大前提であるということです。これは、先に見た通りです。この大前提があれば、別に奇跡のしるしを行わなくとも、救いには何の影響もありません。他方で、自分に信仰があることを示してやろうと、こういう奇跡のしるしを追い求めることは本末転倒です。それは「神を試す」(マタイ2章7節)ことになるからです。

ここにリストアップされている奇跡のしるしは、福音の宣べ伝えに際してあらわれたものであることにも注意しましょう。「毒を飲む」というしるしの事例は新約聖書には見つかりませんが、「蛇をつかむ」ことはパウロがローマに送られる途中のマルタ島で体験したことが使徒言行録に記されています(28章3-6節)。そういうわけで、キリスト信仰者は自分にはどんな奇跡のしるしが伴うかを気にするのではなく、自分は福音の宣べ伝えを行っているかどうかを先に考えるべきです。私たちの隣人が「信じ、かつ洗礼を受け」て救いを受け取る者となれるように、祈り、働きかけることの方が本質的なことであります。父なるみ神にそのための知恵と力と勇気を与えてくれるよう、祈り求めましょう。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安があなたがたの心と思いとをキリスト・イエスにあって守るように。アーメン

 

主日礼拝説教 復活後第一主日
4月12日の聖書日課 マルコ16章9-18節、使徒言行録3章11-26節、第一ヨハネ5章1-5節

 

礼拝の後ポウッカ先生が恒例のフルートの演奏をして下さいました。

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