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今日のみことばは、新約聖書の一番はじめにあります福音書を書いた、マタイという人の回心の出来事であります。マルコ2章13節に、「イエス様は、再び湖のほとりに出て行かれた。群衆が皆、そばに集まって来たので、イエスは教えられた」とあります。ここに「再び」とありますから、以前にガリラヤ湖に行かれた事があって、今、再び行かれたのでしょう。マルコ1章16節を見ますと、すでに、イエス様はガリラヤ湖のほとりを、歩いておられた姿が記してあります。その時には、ゼベダイの子ヤコブと、その兄弟ヨハネを弟子に招されています。そして、再び湖のほとりに行かれて、その「通りがかりに」収税所に座っているアルファイの子レビを見かけられた。イエス様は、収税人レビに声をかけられます。「わたしに従いなさい」。すると、レビはすぐ様、イエス様に従う者となったのです。ここの訳でレビとなっているのがマタイのことでした。
ヤコブとヨハネは、ガリラヤ湖のほとりで漁をしていた漁夫たちです。幼い頃から、生まれ育ったガリラヤ湖で魚をとり、畑では、野菜や麦をつくって生活していた、おだやかな漁民でした。ところが、今日の聖書では、イエス様が弟子に招かれたマタイは、漁師たちとは全くちがいます。ユダヤの人々から、税金を取り立てる仕事をしている、取税人と言われる者です。ユダヤの民からすれば、最も憎い取税人です。この取税人マタイに、イエス様は声をかけられたのです。「わたしに従いなさい。」
なぜ、イエス様は、他の誰れもがきらうような、取税人を求められたのでしょうか。
ガリラヤは、古代代世界の中で、陸上交通の中心地の一つでありました。神学者バークレーの研究によりますと、パレスチナは、ヨーロッパとアフリカを結ぶ陸橋である、と言われた程、すべての陸上交通は、そこを通過しなければならない。海の大道はダマスコからガリラヤを経由して、カペナウムを通り、カルメル山のふもとをまわり、シャロンの平原に沿ってガザへ出て、そこからエジプトへ至る、という壮大な幹線道路です。そのような幹線の要所がカペナウムの町でした。カペナウムが、なぜ要の場所となるかといいますと、この当時、パレスチナは大きく二つに分割されていて、ユダヤ全体はローマの長官の下におかれていましたが、ガリラヤはヘロデ大王の息子、ヘロデ・アンティパスによって支配されていました。
もう一方、東の領土(テラコニスとバタネア)は、ヘロデ大王のもう一人の息子ピリポに支配されていました。さて、このピリポの領土からヘロデの領土への道で、旅人たちの来る最初の町が、カペナウムであったのです。つまりカペナウムという町は、国境の町であったゆえに、そこには税金を取り仕切る収税所があった。旅人や人々がカペナウムを通るたびに、交通税、物を輸入したり、輸出するたびに税が課せられていった。又一般に、所得税や消費税もとられていたことでしょう。
マタイは、そういう収税所に座って、働いていたのでしょう。彼のような収税人は、ユダヤの民からは憎まれていたのでした。なぜ憎まれていたかといいますと、取税人たちは、取れるだけ税を取り立てていたからです。当時の人々は、自分がいくら税金を払うべきかを知らない。役所からの通知とか新聞もテレビもない。取税人にまかせられていたから、取れるだけ絞り取って、余った分は彼らの手数料として、私腹を肥やしていたからです。このようにユダヤの民からは、きらわれ者、罪人として見られていたマタイが、なぜイエス様によって、弟子とされたのでしょうか。マタイには一つだけ取り柄があった。ヤコブやヨハネのように漁師出身の彼らには、物を書くことが出来なかった。魚を捕っていればよかった。その点マタイは、物を書くことが出来る専門家であった。
イエス様がマタイに声をかけ、「従って来なさい」と言われた時、彼はその一声ですべてを捨てて、イエス様に従った。ただ一つ、捨てなかったものが、彼の筆であります。マタイは、文章の才能をいかして、神様のために用いられたということです。そうして、イエス様の生涯と教えを記録として、福音書として書き残したということです。この事が、どんなに大きな働きとなっていったか、はかり知れないものでしょう。マタイが書きました、福音書の大きな特長は、先ずユダヤ人のために書かれた福音書であるということ。その大きな目的の一つは、旧約聖書の預言が、イエス様によって成就された、ということを実証することであった。
イエスというお方こそ、メシヤであるということをユダヤ人に、しかと証明するため、先ず、彼自信がユダヤ人であり、彼の経験と、筆の技術が用いられたのです。ユダヤ人を回心させるため、ユダヤ人であるマタイをイエス様は招かれたのです。しかも、ユダヤの人々からは嫌われていた、取税人であった者を、弟子へとされたのです。神のなさる御計画というものが、私たちには到底はかり知れない、深くて大きな、不思議なものであります。
新約聖書は、四つの福音書と使徒言行録を除きますと、殆どが使徒パウロの手紙です。このパウロは、神様のために働く前は、名をサウロと言い、キリスト者を迫害していたのです。迫害から逃れて、ダマスコへ行ったキリスト者を追って、次々と捕えてはエルサレムへ送って殺していった人物です。ところが、サウロはダマスコへの途中で、突然、天からの光に打たれて、目が全く見えなくなり、地面に倒れたのです。そうして、天からの声を聴いたのです。「サウロ、サウロ、なぜ私を迫害するのか」。するとサウロはたずねました。「主よ、あなたはどなたですか」。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」というイエス様の声に、彼の生涯は一変していきます。
神様は、パウロの劇的な回心の出来事を、彼の身に起こして、今度は、主であるイエス様のことを、全世界へと伝える、伝道者にされたのです。これまた、神様は考えられない、逆転の人生をもたらして用いていかれます。神様の不思議な、驚くべき御業であります。
マタイは、ユダヤ人の嫌がる、憎んでいるユダヤ人のために向けて、福音のために用いていかれる。パウロは、迫害していた彼を回心させて、キリスト者へと伝道者へ変えられていく。神様の導きは、誠にすごい事であります。
最後に、どうしても不思議に思いますのは、マルコ1章16~20節のところで、漁師をしていたペテロやヤコブの兄弟たちには、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。彼らは網を捨てて、イエス様に従っていった。一家の家計を支えていた若者たちが、職業を捨て、親、兄弟をはなれて、イエス様の弟子となっていく。そこには、とても説明のできない内的悩み、苦闘があったにちがいない。しかし、それにもまして、圧倒的な不思議な引かれる力におされて、魅力に引かれて、ただ、ただ、イエス様の言葉に従って行ったのであります。自分の人生のすべてを、イエス様にかけて行こうと、決意していったのです。
マタイについて言いますならば、恐らくこの時、マタイは心に痛みを持っていたでしょう。彼はイエス様について、すでに聞いていたにちがいない。彼はイエス様が語られていたメッセージを、群衆の外側で聞いていたにちがいない。又、彼は心の中に、何かが動いていたにちがいない。自分自身と、この取税人という嫌な仕事を憎んでいたにちがいない。堂々と、人々の前に顔を向けて歩いていけない、自分の人生に嫌気がさしていたことでしょう。彼は熱心なユダヤ教の国粋主義者でありましたから、正統な善人たちのところへ行けたら、と思ったことでしょう。そのような時、イエス様の方から、全く思いがけなく、声をかけられたのです。「わたしに従って来なさい」と招いて下さった。イエス様のことを、人々からもいろいろ聞いていて、メシヤであられるかも知れない。そのお方のほうから近付いて、招いて下さるとは、何ということだろう。イエス様のひと声の招きに、どんなに感動し又救われたことでしょうか。まさに恵みの時、救いの時、マタイは全く新しい人生へと、導かれていったのです。神様に用いられる道とは、そういうものでしょう。理屈や、納得等というものを超えた、神様への不思議な道へと、人生が引き込まれていく世界でありましょう。
15節以下では、イエス様は、マタイの家で食事を共にされて、そこに多くの取税人や罪人と呼ばれた人々と、弟子と共に同席しておられる。その中に、イエス様がおられる、という存在そのもに、神の国の福音が輝いているのです。
ルカ17章21節に「実に、神の国はあなた方の間にあるのだ」とあります。イエス様は、パリサイ派の律法学者たちの非難に対して、はっきとり宣言された。「医者を必要とするのは丈夫な人ではなく、病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」。ガリラヤで、「時は満ちた。神の国は近付いた。悔い改めて福音を信じなさい」というイエス様のこの宣言が、弟子たちを招かれていった、すべての根底に響きわたっているのであります。
マタイという取税人を弟子にして、マタイの家で大勢の罪人を招き、食事を共にされることを通して、神の国は、そこに現に存在していることを、教えられるのであります。私たちもマタイと同じように、主イエス様に従っていく人生の中で、福音の証人として用いられてゆきたいものです 。 アーメン
聖霊降臨後第二主日 2015年6月7(日)